朝、ベランダに出ると風が冷たく南国とは思えない。朝晩と日中の温度差、日陰と日向の温度差は空気が乾いているせいか。部屋にいて扇風機が回っているだけで涼しく、クラーはいらない位だ。
すぐ近くにモスクが見える。朝4時に起こされたのはこのモスクの拡声器から流れてくるコーランの読経のようだ。部屋の窓際にメッカの方向を示す印を見つけ改めてモスレムの信仰の篤さを実感させられる。
8時30分、アンマンから3時間程の行程にあるペトラ遺跡に向かう。
アンマンの郊外にはわずかな農耕地が張り付き、牧草地が続き、そして砂漠地帯が延々と広がる様子がわかる。砂漠にしか見えない所でも冬の雨期になれば雨が降り農地になるとのこと。乾燥に強いオリーブ栽培が盛んで国民は食用油はオリーブ油しか使わないと言う、
ガイドの家ではパンにもオリーブ油を塗ってその上からジャムを塗って食べる、それだけではなく食前に少量飲む習慣もあると言う。オリーブの木があれば何とか生きていける、女の子が生まれたらオリーブの木を植えろ、そうすれば結婚するころには金になると言う教えがある、日本の桐の木を植える教えと同じだ。
行きに寄った土産屋でトイレ休憩をしていよいよペトラ遺跡に向かう。
2時間程走ると眺めの良い峠にさしかかる、果てしなく広がっている砂漠に霧がかかっている様に見える、ガイドの説明では砂嵐で舞い上がった砂とのこと。やがて遠くにごつごつした岩の固まりが見える、その先にペトラ遺跡がある。
ペトラの町に入り、くねくねした坂道を登っていくとホテルや土産屋が並ぶ通りに出る。我々は遺跡近くのホテルで昼食をとり遺跡見学に向かう。外は日差しが厳しい、これから4時間程、この酷暑の中を且つホコリっぽい所を歩かなければならないと思うと少々うんざりする。

ペトラの街
解説書によるとペトラは紀元前4世紀、アラビア半島の南から移動して来たナバタイ族によって支配され地中海とアラビア半島を結ぶ交易の要所として栄えた。紀元2世紀にはローマの属州となりビザンチン帝国時代に度重なる地震で建物が倒壊し荒廃していった。7世紀以降は歴史の表舞台から姿を消し忘れ去られ、19世紀にスイス人の探検家によって発見された。発掘作業が本格的に行われたのは近年になってからであると書かれている。ペトラ遺跡が観光地として有名になったのは何と言っても映画「インディー・ジョーンズ」のおかげであろう。
我々が向かう遺跡はナバタイ人やローマ人の墓地であり劇場や神殿を持つ都市でもあった。入口付近は死者を葬る墳墓や壁龕が見られる、更に進むとかってかって用水路の入口であったシク(天然の峡谷)の入口がある。シクの左右の壁にナバタイ族とローマ人が築いた用水路が穿かれている。

キリスト教徒のガイド/ローマ時代の水道の跡を示す
奥に進むと岩壁は増々高くなりついに100mに達する、路幅は狭いところでは2mに満たない、このシクが1500m続く、まるで岩の割れ目に入り込んだ蟻のようである。
ガイドから左側の壁に沿って歩くように指示が出る。何事かと思いながら言われる通り歩いていくと突然、眼前に巨大なエル・ハズネ(宝物殿)が姿を現す。感激のあまり「ウワッー」と歓声が上がる。ガイドはエル・ハズネとの最高の出会いを演出してくれたのだ。

シクを通って行く *写真が横になっています!

シクの隙間からエル・ハズネ遺跡が見える
インディージョーンズでおなじみのシーン *写真が横になっています!
エル・ハズネを作ったナバタイ族にとって重要だったのはギリシャ・コリント様式のファサードだったようだ。なぜなら内部は飾りっ気が無い質素なスペースと小さな部屋があるだけだったからだ。外と内部のこの違いは何だろうか。
シクはここで終わり岩壁は左右に退き路が広がる。そして左手に岩を削って作られた5000人を収容できるギリシャ様式の劇場が姿を現す。建物は洪水で流され4本の柱しか残されていなが、ここがどれほど栄えていたか偲ぶことは充分出来る。

ローマ劇場
奥にはまだ遺跡があるが残念ながら我々は引き返す事にする。ペトラ遺跡はまだ発掘中で全容が見えていないと言う、これだけの規模の都市が岩山の中に築かれたことは驚きである。
遺跡の中は常設の土産屋あり、道ばたにわずかな商品を並べる露天商あり、手に持って売り歩く移動土産屋がいる、更に馬車や馬が観光客を乗せ狭いシクを往来し、馭者の発する大声と馬のひずめの音は騒がしくゆっくり古代を味わていられない。特に狭いシクでは馬の糞の臭いが充満しハンカチを鼻にあてて這々の体でシクを抜ける始末であった。

遺跡の中の土産屋

墳墓群
17時、日陰で一息入れてバスに乗り込む。途中、連綿と続く砂漠の中にベドウィン人のテントや空き家が目立つ集落が見えた。
19時帰船、シャワーを浴び、荷物を片付け夕食をとる。
今回の1泊2日の旅で遠い国のほとんど自分と関わりがないと思われていたパレスチナ問題がより身近かなものとなった。また、ベドウィン人の生活を遠くからながめながら、不毛としか思えない砂漠を牧草地に畑にかえ人間が住めるようにしてくれる水に無頓着だったことに気づいた。
ペトラは遺跡のシクとエル・ハズミの組合せは一見の価値はあったがもう少し静かに落ち着いて味わえたらと思うのは贅沢だろうか。

何処までも続く砂漠地帯を通ってアカバへ到着
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アカバを出航 街の灯りが旅情を感じさせる