蘇る記憶は現実です。
けれど、それが現に蘇ることはけしてないのです。
( 白石藤原鉱山 in 某所 )
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< 悠響聖歌 昼下がりの舟遊び 更新 >
あ、そうだ。
私、初めて「死体」見ました。
「人間」の。
じゃ、ないですよ?(笑)
野ウサギの死体でした。
こんなところにウサギがいるんだなぁ・・・・・・と妙に関心。
ということは、キツネやら狸やら熊やら、あと猛禽類やらもいそうです。
けれど、それが現に蘇ることはけしてないのです。
( 白石藤原鉱山 in 某所 )
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あ、そうだ。
私、初めて「死体」見ました。
「人間」の。
じゃ、ないですよ?(笑)
野ウサギの死体でした。
こんなところにウサギがいるんだなぁ・・・・・・と妙に関心。
ということは、キツネやら狸やら熊やら、あと猛禽類やらもいそうです。
・・・・・いや、ご対面しなかっただけ、マシ?
たまに実家の夢を見るのですが、夢の中の実家は今はもうなき、私が二十歳まで過ごした家。
残るのは、思い出だけです。
鶴見緑地のあの写真、結構あの構図で撮る人多そうな気がします(笑)
あまり野生の命を目にする機会はなかったので、今回ある意味衝撃でした。
廃屋もあまりお目にかかる機会がないですからね。
慣れないと難しいものです ^^;
逆にできないかも。
こればかりはいざ遭遇してみないと、ちょっとわからないな ^^;
それでも、人であっても野ウサギでもあっても命の重さに変わりはないと思うと、なんとも切ないものです。
人もまた、その摂理の中で生きるもの。
それを忘れてはいけませんね。
最盛期はかなり賑わっていたでしょうに、その頃の面影はどこにもなく。
なんとも儚いものです。
でも、どうせなら生きている野ウサギにお目にかかりたかったものです。
実はこの壊れ具合、サバイバルゲームの痕跡でもあるんです。
でも、それに気づかなかったとしても、なんともはかない感じです。
たとえ人が作ったものでも、あっさりと朽ちていく。
結局、この世の中はすべて現の夢なのかもしれません。
びっくりしました。。。
でもRARAは人間の死体を見たことは
ないですけど、死体があった場所に
偶然いたことがあります。
しかも十数体・・・。
ニュースになってました。
※まじです。
ビックリしました。。。
今はなき高校まで過ごした家、
記憶だけは鮮明に蘇りますが、現実には・・・
「昼下がりの舟遊び」、近い撮影日に似たような構図で撮ってました(笑)
意外と身近な死という存在
山行していると
出会っちゃうんですよね
廃屋
撮ったことがほとんどない題材
どう、撮れるのかな?
少し興味が湧いてきます
野兎だったんですね。
自然の摂理、厳しいものですよね。
今日の1枚とても好きです。
素敵なショットから、様子、雰囲気、伝わってきました。
風情を感じました。
意外に、・・・・・・。
昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
と思ってしまいましたよ。
自然の摂理とはいえ、儚さを感じてしまいますね。
写真、
窓の破れ具合、緑の迫り具合が、朽ち果てた感を
ぐっと感じさせてくれますね。