goo blog サービス終了のお知らせ 

星 力馬 俳句日記

元高円寺メトロノーモの店主
星 力馬の日々の俳句

俳号ならびにタイトル変更

2007年06月20日 | 当季雑詠
俳号と伴にタイトルも変わりました。

いままでの内容と、少し変えようと思っております。
しばらく準備期間として、更新をお休みします。
お待ちくださいませ。

画像は、先生に書いていただいたものです。
(手持ちの歳時記に書いていただきました)

風鈴 ━河村瑞賢

2007年06月16日 | 当季雑詠
 ふうりんや西風を待つ港町


今日は、河村瑞賢(かわむらずいけん、1617年- 1699年6月16日)の忌日。江戸時代初期の豪商。淀川河口の治水工事などの河川の開発で知られるが、海運上の西廻り航路・東廻り航路を開いた人物として重要である。東廻り航路は、東北から南下してきて房総・伊豆下田を経て、西南の風を待って江戸湾へ向かうという新たな航路であった。

苔清水 ━マックス・ヴェーバー

2007年06月14日 | 当季雑詠
 苔清水プロテスタントの礼拝堂 


今日は、マックス・ヴェーバー(Max Weber, 1864年4月21日 - 1920年6月14日)の忌日。ドイツの社会学者・経済学者。社会学の黎明期の主要人物として、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)」の記念碑的な論文で知られる。


夏柳 ━小早川隆景

2007年06月12日 | 当季雑詠
 夏柳あまた矢の地を攻むごとし


今日は、小早川 隆景(こばやかわ たかかげ 1533年-1597年6月12日)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利元就の三男。「三本の矢」の逸話は、毛利隆元、吉川元春のふたりの兄との間の話と言われている。


雲の峰 ━マリー・ローランサン

2007年06月08日 | 当季雑詠
 肖像を描く絵筆や雲の峰


今日は、マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)の忌日。20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家。フランスのおいて「狂乱の時代(Les Années Folles)」と称された1920年代に、時代の体現者としての売れっ子画家となった(画像は1928年 40歳のとき)。ふたつの世界大戦のあいだに活躍のあとは、静かな晩年をすごした。


「雲の峰」とは「積乱雲」「入道雲」のこと。

若葉風 ━ウェーバー

2007年06月05日 | 当季雑詠
 指揮棒の白き残像わかば風


今日は、カール・マリア・フォン・ウェーバー(Carl Maria von Weber, 1786年11月18日 - 1826年6月5日)の忌日。ロマン派初期の作曲家、指揮者、ピアニスト。モーツァルトによるドイツオペラの伝統を継承し、自らの『魔弾の射手』によってドイツ・ロマン派のオペラ様式を完成し、そしてヴァーグナーへと流れを導いた作曲家。ほかに、オーケストラの配置を現在に近いものにしたり、指揮棒をはじめて使用したり、クラシック音楽の現代への姿の基を築いた。



夕焼 ━張作霖

2007年06月04日 | 当季雑詠
 満州に生まれし母よ大夕焼


今日は、張作霖(ちょうさくりん、Zhāng Zuòlín 1875年3月19日-1928年6月4日)の忌日。中華民国初期の軍閥政治家。満州の統治者であり張学良の父。馬賊からなりあがり、中国東北地方三省をおさめるまでになったが、いわゆる張作霖事件で鉄道爆破により殺害された。張の没後、東北地方に満州国が建国された。

木下闇 ━織田信長

2007年06月02日 | 当季雑詠
 おおうつけ者の楽園木下闇


今日は、織田 信長(おだ のぶなが、1534年-1582年6月2日)の忌日。戦国時代から安土桃山時代の武将・大名。家臣の明智光秀の謀反(本能寺の変)により自害した。



松落葉 ━佐竹曙山

2007年06月01日 | 当季雑詠
 松落葉踏みし足裏のやや跳ねり


今日は、佐竹 義敦(さたけ よしあつ、1748年-1785年6月1日)の忌日。出羽国(現・秋田県)久保田藩の第8代藩主。号の佐竹曙山(しょざん)の名で、絵描きとして知られている。はじめ狩野派に学び、のちに藩士の小田野直武とともに平賀源内の影響を受け、「秋田蘭画」といわれる洋風画を確立した。直武と共に著した「画法綱領」「画図理解」は、日本最初の西洋画論をまとめた著作であった。
(画像は、佐竹曙山「松に唐鳥」)

黒南風(くろはえ) ━フリードリヒ・ヴィルヘルム1世

2007年05月31日 | 当季雑詠
 兵(つはもの)の去り黒南風の来たりけり


今日は、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(Friedrich Wilhelm I. 1688年8月15日-1740年5月31日)の忌日。第2代プロイセン国王(在位1713年2月25日-1740年5月31日)。決して文化的な君主とはいえないタイプであったが、財政・軍制の改革によってプロイセンの強大化に努め、兵隊王(Soldatenkönig)とあだ名された。ヨーロッパの小国から大国となる基を築いた。


「黒南風(くろはえ)」とは、梅雨の雨雲が陰鬱に垂れ込めたときの湿った南風のこと。