星 力馬 俳句日記

元高円寺メトロノーモの店主
星 力馬の日々の俳句

夏隣(なつどなり)

2006年04月30日 | 当季雑詠
暖かいのを通りすぎ、暑いくらいの日になった。
日が暮れてから、やや涼風が吹いてくるのが爽やかに感じるのは、この歳初めてのことだと思う。
今日は、永井 荷風(ながい かふう1879-1959)の忌日。『あめりか物語』『濹東綺譚』『断腸亭日乗』などの作品を残した。耽美的に作風は独特の魅力を持ち続ち、小生も好きな文人のひとりだ。『断腸亭日乗』の日記に記されているのをみると、晩年に通った天麩羅屋で最期の前日までかつ丼を食している。79歳という年齢を考えると、健啖家だったのだろう。
こういう陽気になると、「夏隣」の季語がふさわしい。かつ丼にも、どこか「夏隣」な感じがある。
 (写真は、荷風が通った大黒家の当時のようす)

 夏隣かつ丼へ七味唐辛子

みどりの日

2006年04月29日 | 当季雑詠
今日は、みどりの日。しかし、この名で呼ばれるのは今年が最後で、来年からは「昭和の日」になるらしい。
平成になるまえまでは天皇誕生日だったのは、昭和を知るひとであれば誰しも知っているはず。あえて祝日の名を変えるのは、昭和の名を忘れない為なのだろうか。
昭和天皇は1901年の今日が誕生日。1989年まで、まさに20世紀を生き抜いた。1899年の同じ日、ジャズの巨星デュークエリントンが生まれている。スイングジャズバンドの代名詞といっても過言ではない、彼の楽団のテーマ「A列車で行こう」のメロディーは今でも親しまれている。
昭和天皇の即位は1925年、エリントンの初録音は1926年。昭和天皇よりちょうど1歳年上のバンドリーダーは、15年早く1974年の5月24日に没している。
今日は、デュークエリントンを聞きながら、昭和の時代を思い出してみようか。

 靴べらのスウィングしたりみどりの日



花水木

2006年04月28日 | 当季雑詠
拙宅の庭のハナミズキが、花を咲かせた。
長く働いた二子玉川を去ることになった8年ほどまえ、記念に「ハナミズキのまち二子玉川」のお祭りで手にいれた苗木を育てて、去年から花を咲かせるようになったという愛着がある。30センチだった苗木は、いまは3メートルの高さの木に育った。
今日は象の日だという。1729(享保14)年、交趾国(現在のベトナム)からの献上品として初めて日本に渡来した象が、中御門天皇の御前で披露された日にちなんでいるらしい。長崎に上陸した象は歩いて京都へ行き、その後江戸までさらに歩いて徳川吉宗に献上された。やがて幕府から払い下げられた象は、いまの中野坂上の近くで1743年というから21歳くらいまで生きたらしい。江戸時代のひとが、初めてみる大きな動物に驚いたことを想像すると面白い。
ハナミズキは元はアメリカ原産で、ワシントンDCへ桜と交換されたのが最初だ。
百年近くたった今は、たくさんの子孫たちが春と夏のあいだに花を咲かせている。

 ハナミズキ内側へ巻く象の鼻

お玉杓子(おたまじゃくし)

2006年04月27日 | 当季雑詠
春の終わりの季節と雨は、子供のころのお玉杓子の記憶と重なる。
息子の通う小学校には小さな池がまだあるが、昔の比べるとお玉杓子に出会えるような池や水たまりはなくなってしまった。
今日は、ソクラテス(Sokrates;紀元前469年頃-紀元前399年)が捕らえられ、獄中で刑死した日。古代ギリシャのアテナイ(アテネ)の哲学者であるソクラテスは、自説の著者を一切残さなかったが、哲学者として聖人として、今もその名を残している。「自分は無知であることを知っている(無知の知)」はよく知られた彼の言葉だ。
今、情報に溢れた社会に生きていると、情報に振り回され溺れそうになる。
お玉杓子を見ていると、その泳ぎが哲学的にも見えてくる。
(写真は「ソクラテスの死」ジャック・ルイ・ダヴィッド作(1787))

 無知たるを知りたるのかお玉杓子

夏近し

2006年04月26日 | 当季雑詠
昨日は、雷が鳴ったり夜になって冷え込んだりで、目まぐるしい変化がある日だった。
変わりやすい気候は、春ならではのもの。それと同時に夏が近づいていることでもある。
今日は、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、洗礼日1564年4月26日-1616年4月23日)の洗礼日。誕生日は通説では23日といわれているが、はっきりはしないらしい。その生涯も同様に不明なところが多く、フランシス・ベーコンやヘンリー・ネヴィルといった別人説もあるほどだ。
しかし、演劇の古典としての存在はいまも偉大さに翳りをみせることなく、さまざまなかたちで愛され続けている。
いま、季節はあたかも幕間のときのようだ。咳払いをしているうちに、夏の幕があく。

 咳払ひせし幕あひま夏近し

春雷

2006年04月25日 | 当季雑詠
昼まえに真っ暗になったと思ったら、春の雷だった。
しばらく雷鳴と雨が続いたが、今は嘘のように晴れ上がっている。
今日は、歩道橋の日。昭和38年の今日、日本ではじめての大型歩道橋が、大阪の駅前に完成した日であることに由来するそうだ。数えて40年とすこし、意外と短い歴史に感じる。すなわちそれは、車社会になってから、さまざまな社会の変化が急速になっていることを意味するのかもしれない。
大きな歩道橋を歩いていると、僅かな縦揺れが奇妙に感じることがある。
春の雷は、歩道橋のそんな縦揺れに似て、不思議と短い時間で過ぎ去っていった。

 春雷や歩道橋真ん中撥ねり


巣立鳥

2006年04月24日 | 当季雑詠
緑の切妻屋根の写真がある。
カナダのプリンスエドワード島に再現されている「赤毛のアン」の家だ。
今日はルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery 1874年-1942年)の忌日。 カナダの最も有名な児童文学者で、「赤毛のアン(Anne of Green Gables)」は日本でも有名だ。
原題の(緑の切妻屋根のアン)のとおりのニューイングランド様式の建物がならぶ、プリンスエドワード島はとても美しい島らしい。そう遠くないナイアガラの滝とあわせて、日本からの観光ツアーも人気があると聞く。
まだ巣から出て間もない鳥を見かけた。
まだ、ぎこちない動きの巣立鳥を見ながら、「赤毛のアン」が読みつがれていることがわかるような気がした。

 切妻の緑屋根より巣立鳥


春闌く(はるたくる)

2006年04月23日 | 当季雑詠
曇りがちの天気の日曜になったが、暖かさがやっと安定してきた。
「春闌く(はるたく)」は、春の季語。「春深し」と同じく、どことなく春の盛りの過ぎた感じをあらわす言葉。今はまさに、そんな時季にさしかかってきている。
今日は「サンジョルディの日」。日本書店組合連合会などが1986年に制定した日で、本を贈ることを推奨する日。もともとはスペインのカタロニアで、守護聖人サンジョルディを祭る日に、女性から男性に本を贈り、男性から女性へバラを贈る習慣があって、それに由来している。
本は良いもの、本の贈答もまたよいものだ。
春の終わりに、ゆっくり本を読む時間をとってみようと思った。

 春闌くる本棚の本傾けり

若布

2006年04月22日 | 当季雑詠
今日は、アースデー。1970(昭和45)年に、アメリカの市民運動指導者で当時大学生だったデニス・ヘイズが提唱したのが始まりで、1990年以降は毎年開催される世界的行事になったらしい。
しかし、1997年に世界的な環境問題を鑑みて京都議定書が議決されたにもかかわらず、世界の協調は取れないままでいる。アメリカの協力が積極的ではないのも、皮肉なことだ。
若布は、春の季語。春から初夏にかけて繁茂する海藻で、日本列島全域に分布する為、古代から食されてきた。海に囲まれた国ならではの食文化は、これからも大切にしたい。
海をこえたグローバル化の現代では、環境問題も地球規模になっている。
国際協調は、若布のように漂ったままではないようであって欲しい。

 かけがえない地球に生(あ)れし若布喰ふ

蘖(ひこばえ)

2006年04月21日 | 当季雑詠
拙宅の月桂樹に根元から、たくさんの若枝が生えている。
歳時記では、その若枝を「ひこばえ」と言い、春の季語としている。
1583年の今日、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗北した日。越前北ノ庄に敗走した勝家は、3日後に妻の「お市の方」と共に自害した。柴田勝家は剛の表の顔と別に優しい部分も持ち合わせており、お市の前夫浅野長政の子を手元で育てた。北ノ庄で残された三姉妹はやがて、淀君(秀吉側室)・初(京極高次正室)・江与(徳川秀忠正室 家光の母)となる。勝家の優しさと、信長の妹であるお市の血は、後の世にも累々と継がれていったということになる。
ひこばえは、親株が切り倒されても希望のごとく伸びてゆく。
季節の植物は、ひとの世の常も教えてくれるようだ。

 ひこばえや伸ぶるかたちの掌(たなごころ)