海辺の暮らし。

海に行くとストレス解消&へなちょこぴーちゃんとの毎日。そんな生活を、きままに発信してます。

想いを馳せる季節

2007年07月24日 | Weblog
我が家に向かう坂道に ゆりの花がたくさん咲いています。

ゆりの花を見ると祖母を思い出します。
明治生まれなのに ゆりなんて洒落た名前なんだと言うのが祖母の口癖でした。

父と母が深夜まで働き続けていた幼児期、祖母に抱きかかえられ
さみしくないよ、おばあちゃんがいるよと優しい言葉と着物からする樟脳の香りで
眠りについた夜。

成人式の晴れ姿が見たかったよと言い残して私の19の春に天国へ行ってしまった
祖母。思えば血のつながらない私に無条件に愛情を送り続けてくれた初めての人。

控え目に、健気に、忍耐強く、働き続けた明治の人。
高い位置で髪を結いあげ、着物を着こなしていた祖母。
具合が悪くなったとき、切ったことのない髪をショートにした。

鏡を見ながら、言った一言が今でも耳に焼き付いている

   もう着物は着れないね。と。

祖母とお別れして20年。今でも ゆりの花を見るたび祖母の匂いが蘇る。

そして7月になると大切なあの人を思って仕方ない。
3年前の7月。
Nさんは突然逝ってしまった。42歳。

私たちのもうひとりの家族。
世界中を渡って子供たちの写真を撮るのが彼の夢だった。
そんな夢をかなえるために、やりたくはないけれどとはにかみながら
撮影現場に行っていた。。。業界ではちょっと名の知れたAV監督。

脚本、キャスティング、男優、監督、そしてカメラまで全部こなす。
休みも取らず、欲しいレンズや機材、そして旅費を稼ぐために毎日現場へ行く。
そんな毎日を何年も続けていた。
そして、疲れると必ず お魚食べに行きますねと焼酎片手にやってくる。

自分のためには休みは取らず、年間スケジュールはぴーのために開けている。
運動会、七五三、入学式、遠足・・・すべてはぴーの写真を撮るために
ぴーの表情をいちばん知っていたのはNさんかもしれない。

いまだに都内のどこかで・・新橋のガード下で、中目黒の町中で、下北沢のいつもの店で・・・
会えると信じている私は、中延の彼のお墓に参ることが怖いまま。

つらいお別ればかり・・・本当はひとつだって認めたくないし、
さよならだって言いたくないよ。

それでも今年は少しは認めてみようと家田荘子氏の書いた彼像を本を引っ張り出して読んでみたりしてる。

もうすぐ、N氏が逝ってしまった日が今年もやってくる。