さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

秋彼岸先祖供養法要が行われました

2010-09-24 12:32:36 | 倫勝寺の行事報告



9月23日、天候不順の中ではありましたが、たくさんの方にお参りをいただいて合掌の郷秋彼岸会がおこなわれました。

11時から合同供養墓・さんぜの彼岸供養が行われました。
その前から遠くで雷が鳴る音がしていましたので気になっていたのですが、やはり天気予報通り、法要最中に土砂降りの雨になってしまいました。

降り始めはさんぜの仏さま方の肩が濡れる程度だったのですが、途中からどんどんひどくなって、
終いにはテントの中に流れ込む雨水でお袈裟や法衣の裾がびしょぬれになる始末・・

御参りの方々には雨の中の法要参加、お疲れさまでした。
みなさんのお気持ち、それぞれ所念の仏さま方にきっと届いていることと思います。




いつもどおりに読経やお話をさせていただき、法要は無事にすみました。



お手伝いいただいている鳳友産業の方々には、降雨の中、気配りをいただき有難うございました。心よりお礼申し上げます。



さて、午後になって雨はいよいよ強くなり、遊水地を兼ねている地下の駐車場も閉鎖になりました。
そんな雨の中、今回の彼岸会でハープの演奏を行ってくれる八木さんご夫妻もご到着。
コンディションの良くない中、楽器を搬入し、さっそく音出しです。




大雨で本堂でのお参りの方もパラパラの状態。
あらら、やっぱりお天気が悪いといかんともしがたいなあ・・・・
と思っていたところ、午後2時の演奏開始間際になってどっと御参りの方がやってきました。
あっという間に本堂も1階のホールも満席。降雨の中、まさかこんなに沢山おいで頂けるとは・・・・・うれしい限りです。




「語り継ぐ東京大空襲 ハープの調べにのせて〜」とタイトルを打っての今回の彼岸会演奏会。
東京大空襲、横浜大空襲のことに触れながら、奥さんと一緒に作った鎮魂の曲のことを話される八木さん。
誠実な、そして温かな人柄が感じられます。

(このブログの最後に、八木さんの鎮魂の曲への思いを掲載させていただいてあります。ぜひご覧ください。)

演奏曲目はこちら。

1.   
シーベッグシーモア             オ・カロラン
2.    寒い夜に                    オリジナル
3.    ロミオとジュリエット           ニノ・ロータ
4.    ハープのお話しと体験コーナー
5.    引き潮                         マックスウェル
6.    秋桜                           さだまさし
7.    灯籠流し                      オリジナル   
8.    祈り光へ                      オリジナル    
9.    一緒に歌いましょう! 赤とんぼ、故郷

   アンコール
      アメイジング・グレイス






本堂全体をふんわりと包み込んでくれるような演奏に、おいで頂いた方々はゆったりと身を任せてゆったりくつろいでいるように見えました。
(寝ちゃっている人もチラホラ・・)

ハープの音って、本当にくつろげる音なんですね。人柄同様、心温まる素晴らしい演奏でした。
八木さん、有難うございました。




さて、演奏が終わって、午後3時すぎからはいよいよ秋彼岸の法要。
本堂全体がハープの演奏でリラックスしてるので、法要、読経も穏やかに進みます。

大きな会社の社葬のときなどに、式場内の雰囲気作りにハープの演奏をたのまれることがあるんですよ、と八木さんが言っていましたが、
うなずけることでありますね。








さて、今回ウチの小僧、学校の部活があって法要に間に合わず、出席はできませんでしたが
近隣のご住職のお子さんたちが3人もお手伝いに来てくれました。

小学校5年生、3年生、そして幼稚園の年長さん。
着なれない法衣を着て、馴れない正座をして、それでも周りのご寺院さんに助けてもらいながら一生懸命に読経します。

みんなと一緒に法要に出ているうちに、少しずつお坊さんとしての覚悟が身についてくるものです。
どうか温かく見守ってくださいますよう。








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東京大空襲・亡父の灯火を受け継ぐ八木健一

昭和二十年三月十日未明、米軍B29約三百機が来襲、東京下町に約二時間半焼夷弾の雨を降らせた無差別爆撃で十万人余りが犠牲になりました。これを東京大空襲と言い、その夜、私の父は二十歳で、母と弟三人の家族5人で深川区(現江東区)に暮らしていました。
空襲が始まると、父はすぐ五歳になる弟を背負って逃げ、母と他の二人の弟たちとは生き別れ、そのまま二度と会うことはありませんでした。業火の中を逃げまどい、最後は力尽きて市電の線路に倒れた父は、明け方になり炎が両方に引いていくと「ああ、自分は助かったんだ!」と感じたと言います。
ひどい火傷で目が見えず朦朧と歩いていると、近所の女性から「康ちゃん、大変だよ!」と言われ、初めて、背中で弟が亡くなっている事に気付いたそうです。父は後々まで、家族を満足に弔ってやれなかったことを悔やんでいました 。
 
 
そんな父は、子供が大好きで、後年近所の子どもたちにせがまれて、よくお話を聞かせていました。
私も父から怪談話を聞いた夜などは、トイレに行くのが怖い程で、父の語りには鬼気迫るものがありました。
ところが、雄弁であるはずの父は、とうとう亡くなるまで、家族である私に対しても、空襲体験を語ろうとはしませんでした。
ある時、私がコンバットという人気番組を見ていると、父が「戦争なんか見たくない!」と言って、いきなりテレビを切ってしまいました。私は何のことだか理解できず、唖然としたのを覚えています。 
 
 
 平成七年、我家で空襲の犠牲になった祖母やおじ達のために五十回忌の法要を行ないました。
戦災のどさくさ紛れで、肉親をキッチリ供養してあげられなかった自責の思いが少し晴らされたのか、父はその頃から毎年三月十日の命日には、東京砂町にある東京大空襲戦災資料センターに通うようになりました。 
 

2年前父が急逝した後、父の遺品を整理する中に、便せん五枚にボールペンで書かれた「東京大空襲への意見書」が見つかりました。
私はこれを読んで、父の秘めたる無念さを思い知らされました。

「あの空襲のあった九日の夜、逃げ場を失い肉親家族四人を失った者の悲痛な叫びを聴いてもらいたい」
と呼びかけ、さらに「あのような殺戮」「修羅地獄」「恐怖のどん底」という言葉に至っては、その場を体験した父の魂の底から絞り出すような切々たる叫びが響いてきます。
「そうだ、お父さんにとって人生でやり残したのは、空襲体験を伝えきれなかったことではないか。

だとしたら、息子として私にできるのは、音楽家としてそれを音楽で引き継いでゆくことが父の意志を継ぐことになるのではないか?」という想いが湧き上がってきました。父の納骨を終えた後、戦災資料センターに行き、事務局の方に私の想いを伝えました。年が明けて、昨年の正月に戦災資料センターから「三月十日の東京大空襲を語り継ぐつどいで演奏して欲しい!」と依頼があり、妻と相談して、妻が新たに東京大空襲の鎮魂のために作曲をしてくれました。催しではこの空襲をテーマにしたオリジナル二曲を演奏し、それから一年かけて今年の三月にCDとして発表しました。
たまたま本年は、各方面で東京大空襲が大々的に取り上げられ、その流れで、私共のCDも各新聞社が写真入りで紹介してくれることになりました。ご縁とは不思議なもので、その記事を読まれた仏教情報センターテレフォン相談員の方の目に止まり、今年六月には「キャンドルナイト2008in大船観音」で広島原爆の残り火から採火されたキャンドルが揺らめく平和を祈る場で、この曲を演奏させていただきました。

私はこの催しを通して、仏教界の僧侶の皆さんが、平和について真剣に考え・行動していることを知り、感動いたしました。仏教の役割と音楽にも共通したテーマがあると感じさせていただいています。
私にとっては無縁であった戦争や空襲が、亡父の願いを引き継ぎたいと願った瞬間に、様々な皆さんからの助力によって、演奏する機会へと繋がっていく事に感謝しています。
これからも父から私にいただいた平和の灯火を受け継ぎ、平和を希求する輪が広まるよう、ハープを奏で力の限りを尽くしてまいりたいと願っています。 

八木さんのホームページは、こちらから
 
今日はここまで。






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