『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

信じるもの

2008年03月20日 | 

真理を信じる人は幸せである

虚妄を信じる人は不幸である


ダンマパダ(法句経)③

2008年03月18日 | お経の紹介 『ダンマパダ(法句経)』

『「私には子がある。私には財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。』62

(ブッダの真理の言葉感興の言葉 中村元訳 岩波書店)



物事が自分のものである!との『こだわり・執着・思い込み』が苦しみの原因である、
とブッダは説きます
一般的な認識・常識からすれば子供も財産も自己の所有物という考えが出てきても当然
でしょう
しかし仏教的に見れば、自分という存在自体は自分の思い通りになることはあり得ませ

もし自分が自分の物であるならば寿命も病気も全てコントロールできるはずです
しかしそのようなことはあり得ません
自分さえ自分の物ではないのだから、自分の物である子供も財産も自分の物ではありま
せんというのが仏教の基本的な『無我』という真理の教えであります

物事の所有にこだわらず、あるがままに命・事物・現象を尊重することが
『命』という乗り物に乗って人生を楽しく幸せに旅するコツであるかもしれません

『ペットの死』にたいしての悲しみと費用

2008年03月17日 | 修行日記

お参りに行ったある門徒さんのお宅、十数年かっていた室内犬が亡くなったそうでありました
月一回の合同葬式に行き、合同火葬なら3万円、個別の火葬なら5~10万円ほどと言っておられました
犬一匹飼っていてかかったお金は100万円を軽く超えていたとも
『犬一匹に何ともお金のかかるもんだねぇ』との話される中、悲しみと寂しさも一杯のご様子でした

手厚く人間に可愛がられ供養もされるペットもいれば
道端で命終えた肉体をカラスやトンビにつつき喰われる猫もいます
時に生肉を食い荒らされる残酷さを感じながらも
時に生肉や焼いた肉を頂く私がいます

『命とは何であろうか』
と命の終わりに触れた時にひしひしと感じます
さ迷う命が、命の終わりに触れることで、命の大切さを知ることもしばしば
死を嫌い、死とかけ離れた生き方が定着しつつある現代社会

死を嫌いながらも、死を見つめ、死を克服し、死を乗り越えたブッダの教えが
命を軽く見てしまう私を戒め、正してくれ続けています

ダンマパダ(法句経)②

2008年03月16日 | お経の紹介 『ダンマパダ(法句経)』
『戦場において100万人に勝つことよりも、ただ一つの自己に勝つ者こそ、実に最上の勝利である』103

           (ブッダの真理の言葉感興の言葉 中村元訳 岩波書店)

『この言葉の意味が分かりません』
『どう考えても100万人の敵に勝つよりも自分に勝つことのほうが簡単だ』
と考える人もいるかもしれませんがブッダの見方は一般世間とは違います

ブッダから見て『自己に勝つ』とは、『欲望・煩悩を制すること』です
人間とは知らず知らずの内に他人のあらや不具合な所にばかり目が行ってしまって、自分のことは棚に上げている場合が多いかもしれません
無意識のうちに『自分が正しい!』という『慢』という心を基準にして世間を見てしまうのです
『自分の事を棚に上げている』言葉は滑稽です
ブッダの智慧から見れば、世間に浮かび発せられている言葉の中にはそのような見方から導き出された言葉が結構多いのです
ブッダは世間の虚妄に即した基準で自分中心に物事を見ることをきつく戒められているのかもしれません

『まず自分を観て、自己を整えてから、その上で他人を観る
とにかくそこからですよ、人間が目指すべき正しい生き方は』

というようなブッダの心が私の胸に突き刺さったようなお経でした


常識も非常識も無常

2008年03月13日 | 社会への提案

『常識』『非常識』って何でしょうか

常識も非常識も常に変わります

常識も非常識も無常だからです

だから常識・非常識にとらわれてはいけません

常識・非常識は時に見直す必要があります

常識の中に正しい理があるわけではなく

正しい理の中に常識があるだけです

間違っている『常識』『非常識』ありませんか?

諸行無常・一切皆苦・諸法無我

2008年03月12日 | 真理
全ては物質の集積
無常という性質が創り出した世界
全ての原子・粒子がそれぞれ自然の法則に従い
止まらずに働き続ける
それが我々が生きている世界

我々はその無常の性質でできた世界の中で
誕生し、生き、死ぬ
そして生への執着・こだわりが
輪廻転生に我らを導く
我々は輪廻転生の中でただ一つだけ
来世に持っていく事ができる
それはこの世での業・行い
それが次の命への行き場を選ぶ
業・行いに沿った命が与えられ
無常・苦・無我の真理の世界を覆った
常・楽・我の虚妄の世界を生きさまよう

夢から現実に目覚めなければ夢を見ていたと気付かないように
虚妄から真理に目覚めなければ虚妄の世界に生きている事に気付かない
真理の世界へ引っ張ってくれるのがブッダの教え・仏法
虚妄の世界へ引っ張るのが欲望・煩悩の悪魔

ブッダに引っ張られた時、物質が集積したり、解け散ったりし続けている様が見える
悪魔に引っ張られている時、物質も感情も時間に逆らって止まっている

真理の眼が開眼される時まさに
あるがままに世界を見ることができる別人に生まれ変わることができる

死を考えてから生き方を考える

2008年03月11日 | 
死を考えることで幸せな死に方を考える

幸せな死に方を考えることで幸せな生き方を考える

幸せな生き方を考えれば正しく生きることを考える

そこでふと気づくと正しい生き方が分からない自分がいる

正しい生き方を求めてブッダの教えに出会えば幸いであり

正しい生き方を求めて邪教に出会えば苦しみである