三大煩悩の最後は『愚癡(ぐち)』です
よく『無明』と同じと言われる事もありますが違います
『無明』とは『真理』を理解実践(さとり)していない状態です
『愚癡(ぐち)』は心が『煩悩』に侵されている状態のことです
『愚癡(ぐち)』とは三種類しかない感受の一つ『非苦非楽』によって生まれ出る煩悩です
『非苦非楽』という苦しくもなく楽しくもないと感じている状態の時、人の心は『正念』という今の瞬間の心に気づいている、というブッダが説くところの最高の境地とは正反対の状態です
集中力という大切な力を放棄している危険な状態です
危険といっても『貪欲』『瞋恚』ほど活発ではありませんが、身の上に迫りくるよいことも悪いことも分からない状態なのでいつ何時不幸が襲ってくるかもしれない状態なのです
この地球という箱舟の人間世界という視点から見れば、人間・生命全体が幸せになる生き方の方程式は真理を発見したブッダにはすべて分かっていたのです
その生き方と正反対の生き方、それはあまりにも情けなく不幸な生き方なのです
悪友を呼び寄せる隙だらけで、よき友は近づいてきません
考える必要のない過去や未来、欲望や怒りなどの雑念、妄想にさいなまれ、苦しみという大海の真っただ中で生きる生き方をブッダは強く否定しています
心が『苦』と感じている時は、その感じている対象を避けようと『瞋恚』が働きます
心が『楽』と感じている時は、その感じている対象を手に入れようと『貪欲』が働きます
そして心が『非苦非楽』と感じている時は、その感じている対象を意識せず、ボケーッとみていますから、雑念・妄想を起こし、過去や未来のどうしようもない出来事にストレスを自ら生み出し悩み苦しんでいるのです
その雑念・妄想はのちに説明する様々な煩悩・悪感情を生み出すので大いに気をつけなければならないのです
後先考えずに、家や車など様々な欲しいもの思うがままに買ったり、おいしいものを食べたり飲んだり、恋愛・結婚をしたり、偽りや暴言や無駄話や陰口をたたいたり……
このようなことで人生がマイナスに傾いてしまった人は大勢いるでしょう
そんな人には『愚癡(ぐち)』という煩悩が、強く大きく働いているのです
よく『無明』と同じと言われる事もありますが違います
『無明』とは『真理』を理解実践(さとり)していない状態です
『愚癡(ぐち)』は心が『煩悩』に侵されている状態のことです
『愚癡(ぐち)』とは三種類しかない感受の一つ『非苦非楽』によって生まれ出る煩悩です
『非苦非楽』という苦しくもなく楽しくもないと感じている状態の時、人の心は『正念』という今の瞬間の心に気づいている、というブッダが説くところの最高の境地とは正反対の状態です
集中力という大切な力を放棄している危険な状態です
危険といっても『貪欲』『瞋恚』ほど活発ではありませんが、身の上に迫りくるよいことも悪いことも分からない状態なのでいつ何時不幸が襲ってくるかもしれない状態なのです
この地球という箱舟の人間世界という視点から見れば、人間・生命全体が幸せになる生き方の方程式は真理を発見したブッダにはすべて分かっていたのです
その生き方と正反対の生き方、それはあまりにも情けなく不幸な生き方なのです
悪友を呼び寄せる隙だらけで、よき友は近づいてきません
考える必要のない過去や未来、欲望や怒りなどの雑念、妄想にさいなまれ、苦しみという大海の真っただ中で生きる生き方をブッダは強く否定しています
心が『苦』と感じている時は、その感じている対象を避けようと『瞋恚』が働きます
心が『楽』と感じている時は、その感じている対象を手に入れようと『貪欲』が働きます
そして心が『非苦非楽』と感じている時は、その感じている対象を意識せず、ボケーッとみていますから、雑念・妄想を起こし、過去や未来のどうしようもない出来事にストレスを自ら生み出し悩み苦しんでいるのです
その雑念・妄想はのちに説明する様々な煩悩・悪感情を生み出すので大いに気をつけなければならないのです
後先考えずに、家や車など様々な欲しいもの思うがままに買ったり、おいしいものを食べたり飲んだり、恋愛・結婚をしたり、偽りや暴言や無駄話や陰口をたたいたり……
このようなことで人生がマイナスに傾いてしまった人は大勢いるでしょう
そんな人には『愚癡(ぐち)』という煩悩が、強く大きく働いているのです