煩悩には数多くの種類がありますが、煩悩の三毒と言って最も代表的なものが三つあります
『貪欲(とんよく)』『瞋恚(しんに)』『愚痴(ぐち)』の三つです
さまざまある煩悩はすべてこの三つから発生しているともいえるでしょう
この三つを押さえて置くことが基本です
それではまず、ビッグスリーの一番目『貪欲』を説明します
『貪欲』とはその字があらわす通り、むさぼる欲望といった所の意味です
人間はまず自分という存在があって、そしてその自分という存在が有する感覚器官(眼耳鼻舌身)によってこの世界全ての存在を感じ取るのです
人間が感覚器官によって感じる種類は三つしかありません
『苦(苦しみ)』と『楽(楽しみ)』と『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』です
無明(真理に気づかない状態)である我々は
『苦(苦しみ)』から自動的に『瞋恚』という煩悩を生み出し
『楽(楽しみ)』から自動的に『貪欲』という煩悩を生み出し
『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』から自動的に『愚痴』という煩悩を生み出します
その自分が感じる三つの対象の中で好ましいと感じる対象『楽(楽しみ)』を自分のものにしたい!という強い気持ちが『貪欲』なのです
人間が『楽しい』と感じているとき必ず同時に生まれているのが『貪欲』という煩悩なのです(ブッダはその瞬間に感じる『貪欲』に気づきその瞬間でその感情を捨てなさいと『大念処経』で教えてくれています)
自分が欲しいと思うものを手に入れたい!という気持ちが何で悪いんですか、という風に感じる方もおられるかもしれませんがブッダの教えの基本は『無常』です
『全ての物事は移ろいゆく 怠ることなく精進なさい』
といったブッダのお言葉があります
それが意味するところの一つに
自分が欲を持って得たものは、すべて、自分の手から離れていきますよ
結局は苦しみに変わるものだから
私のものだというこだわりは捨てなさい
といったところでしょうか
例えば、自分の子供が幸せになってほしい!と親ならばだれでもそう思います
その『幸せ』という中身には実はいくつかの種類があリ、それを大きく分けると『貪欲』と『慈しみ』です
・『慈しみ』といってこの世のことわりに基づいて幸せになってほしいという全く汚れのない純粋な気持ち
・親が思っている価値観にじゅんじた子供になって幸せになってほしいという『貪欲』からくる幸せ
前者がもたらすものは子供の健やかな成長です
後者がもたらすものは子供を枠にはめる窮屈さから生じる歪んだ成長です
ブッダの教えを正確に学ばなければなかなか分らない所かもしれませんが、子育てに悩み、誤って失敗している親は知らず知らずのうちに『貪欲』の気持ちに染まった子育てをしているのです
そこに早く気付いて『貪欲』を捨て去ることが真の幸福をもたらす道です
子育てだけではなく全てのところで『貪欲』を捨てる道をブッダは教えてくれているのです
最後に一言で説明すると
『貪欲(とんよく)』とは、楽しいと感じた対象を自分に引き寄せ、自分のものにしようとする強い欲望です
『無明』で生きる人は
『楽しみという殻に覆われた苦しみの種(煩悩)』を求めて得て、後々に育った『苦しみ』という果実を受ける
という方程式に気づかないのです
『貪欲(とんよく)』『瞋恚(しんに)』『愚痴(ぐち)』の三つです
さまざまある煩悩はすべてこの三つから発生しているともいえるでしょう
この三つを押さえて置くことが基本です
それではまず、ビッグスリーの一番目『貪欲』を説明します
『貪欲』とはその字があらわす通り、むさぼる欲望といった所の意味です
人間はまず自分という存在があって、そしてその自分という存在が有する感覚器官(眼耳鼻舌身)によってこの世界全ての存在を感じ取るのです
人間が感覚器官によって感じる種類は三つしかありません
『苦(苦しみ)』と『楽(楽しみ)』と『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』です
無明(真理に気づかない状態)である我々は
『苦(苦しみ)』から自動的に『瞋恚』という煩悩を生み出し
『楽(楽しみ)』から自動的に『貪欲』という煩悩を生み出し
『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』から自動的に『愚痴』という煩悩を生み出します
その自分が感じる三つの対象の中で好ましいと感じる対象『楽(楽しみ)』を自分のものにしたい!という強い気持ちが『貪欲』なのです
人間が『楽しい』と感じているとき必ず同時に生まれているのが『貪欲』という煩悩なのです(ブッダはその瞬間に感じる『貪欲』に気づきその瞬間でその感情を捨てなさいと『大念処経』で教えてくれています)
自分が欲しいと思うものを手に入れたい!という気持ちが何で悪いんですか、という風に感じる方もおられるかもしれませんがブッダの教えの基本は『無常』です
『全ての物事は移ろいゆく 怠ることなく精進なさい』
といったブッダのお言葉があります
それが意味するところの一つに
自分が欲を持って得たものは、すべて、自分の手から離れていきますよ
結局は苦しみに変わるものだから
私のものだというこだわりは捨てなさい
といったところでしょうか
例えば、自分の子供が幸せになってほしい!と親ならばだれでもそう思います
その『幸せ』という中身には実はいくつかの種類があリ、それを大きく分けると『貪欲』と『慈しみ』です
・『慈しみ』といってこの世のことわりに基づいて幸せになってほしいという全く汚れのない純粋な気持ち
・親が思っている価値観にじゅんじた子供になって幸せになってほしいという『貪欲』からくる幸せ
前者がもたらすものは子供の健やかな成長です
後者がもたらすものは子供を枠にはめる窮屈さから生じる歪んだ成長です
ブッダの教えを正確に学ばなければなかなか分らない所かもしれませんが、子育てに悩み、誤って失敗している親は知らず知らずのうちに『貪欲』の気持ちに染まった子育てをしているのです
そこに早く気付いて『貪欲』を捨て去ることが真の幸福をもたらす道です
子育てだけではなく全てのところで『貪欲』を捨てる道をブッダは教えてくれているのです
最後に一言で説明すると
『貪欲(とんよく)』とは、楽しいと感じた対象を自分に引き寄せ、自分のものにしようとする強い欲望です
『無明』で生きる人は
『楽しみという殻に覆われた苦しみの種(煩悩)』を求めて得て、後々に育った『苦しみ』という果実を受ける
という方程式に気づかないのです