2011年12月26日(月)この本だいすきの会主催 年の暮れ集会
今年の講演は、富安陽子先生です。
平日だったので半休をとり、午後、大急ぎで会場へ向かいます。
ギリギリながらも、マコTが一番前の席をとってくれてました。マコTありがとう。
富安陽子先生の作品をご存じでしょうか。以下はほんの一部。
「ドングリ山のやまんばあさん」「ムジナ探偵局シリーズ」「奈の子先生シリーズ」
「まゆとりゅう」「まゆとプカプカブー」
「ボッコ」「ほこらの神様」・・・・
最近読んでとってもおもしろかったのが「盆まねき」です。
『なっちゃんがお盆の間におじいちゃんたちから聞いたふしぎなお話。
そのあとなっちゃん自身がした本当にふしぎな体験。作者の親族への鎮魂歌 』
お盆の中で小3のなっちゃんがむきあう「死」や「戦争」のこと、死んでいった人々への思いが
お盆の行事を通してとてもよく伝わってきます。
題材は重いのですが、場面場面にでてくるおじいちゃんやおばあちゃん、おばちゃんのホラ話が本当に楽しくて
軽やかに場面は進んでいきます。
十五夜の満月に導かれた不思議な体験や、戦争で死んでしまったあった事もない叔父さんとの出会いそして別れ。
「人間は二回死ぬ。一回目は心臓が止まったとき。二回目はみんなに忘れられたとき…」
お盆に皆が集まって亡くなった人々の事を思ったり語り合ったり拝んだりする事の「意味」を考えました。
子供達へ読んであげるのもよし、少学中学年から自分でも読めると思います。
もちろん大人にもとってもおすすめです。
講演会の前に、先生の作品のよみがたりがありました。
読み手は、まいあさんです。
200人近くの方々の前で、「まゆとりゅう」をとても素敵に読んでくださいました。
その後に小松崎先生のお話しちょっと。
野間文芸賞をとった「盆まねき」について。
一過性と永遠性の両方をもっている作品。おもしろいだけでなく忘れられない作品。
私もそう思います。
さて、いよいよ富安陽子先生の講演。
はじめてお会いしました。
1959年生まれ。男の子二人を育てながら作品をかいてきたそうです。
大阪弁で淡々とお話ししながら、内容はとってもおもしろい。何度も大笑いしました。
「不思議」についてのお話は、特におもしろかった。
ご自身が小さいときに周囲の大人たち(おばあちゃん、おとうさん、文子おばちゃん)が、
全力で小さな陽子ちゃんにファンタジーの世界をみせてくれたこと
妖怪の話を本当におそろしく語るおばあちゃん、ウサギがお餅をくれる話で本当にお餅を降らせる文子おばちゃん。
ホラ話しを子どもの心に寄り添ってお話をしてくれるまわりの大人達を思い浮かべるとき、あたたかい気持ちでいっぱいに
なりました。
印象に残ったお話しをかいつまんでご紹介。
◇物語は
・できのわるい子ども時代、ピンチから救い出してくれるものだった。
・どんなにいやなことがあっても、本の中で楽しいことをして元気になった。
・励まされ次の日をむかえた。
・本は、大好きな隠れ家、友だちと同じくらい大事だった。
◇聞き手から書き手への転機は
・10才。メアリーポピンズが大好きだった。
現実と非現実のはざまにたった。
・メアリーポピンズがきても家には泊まるところもない。→私の世界とは違う。
ギャップに気づいたときの次のステップ→私がかけばいい。四畳半ごしの和室から始まる物語を。
日常から歩いていけるお話しを描いていこう。
◇なぜ子どもの本をかくのか?
・子どもほど熱心な読者はいない。
・本が大親友となることもある。
・シビアな読者でもある。固定したマーケットではない。
・1冊1冊真剣勝負。
◇子どものみている世界
・子どもとは、同じものをみていても想像世界はまったくちがうことに気付いた。
・下の子、将来、ゾウさんになりたい。小さい下の子には、ゾウさんが大きくて私の考えているゾウとは
ちがったゾウをみている。
・輪ゴムになりたい子、焼きそばパンになりたい子、扇風機になりたい子。
子どもは無限な世界をもっている。
◇大人になるということ
・子どもは不思議をみつけるのが上手。また不思議の世界にすぐに入っていける。いつも不思議をまっている。
・内側に広がる世界。不思議の世界、創造の世界。
→成長するごとに、知識がついていく。外側に世界が広がっていく。
バランスをとるため、内側の世界がせばまっていく。それが大人になるということなのかも。
◇ファンタジーは、大人の目のないときにこっそりと訪れる
・今の子どもたち、時間に追われ環境もあぶない。子どもだけの時間が少なくなった。
・ファンタジーにとってピンチ。
不思議は、子どもたちだけでいるときだけ姿をあらわす。このルールは、時代がかわっても変わらない。
◇ホラ話の世界
・ウソとホラの違いは、ウソは人をだますこと、ホラは人を楽しませること。
・子どもたちは不思議をまっている気持ちを持っている。
信じる力をもっている限り、あざやかなホラの世界をつくりたい。
・お母さんは昔、カッパだった。人間のパパと恋に落ちてこの世界にきた。
子どもたちが悪いことをすると、沼に帰らせてもらいます。
・ホラ話のルール だれにもいったらあかん。
・ある程度のホラはたしなみとしてOK。
・子どもたちが不思議の世界に簡単に入っていける時間はそんなに長くはない。
・10才を境に子どもという枠の外へ踏み出そうとするころ。
富安ワールドの成り立ちにふれて、先生の作品をもっと読んでみたいと思いました。
男の子二人を育て上げたけっして素敵なお母さんではなかった失敗段なども、私にとっては
とても身近に感じました。
この日、「さいでっか見聞録」富安陽子をドッグうリーダーさんのおすすめで購入。
サインをいただきました。
エッセイもとってもおもしろい!おすすめです。
わたしにとっていつも物語は遠い世界のできごとではない。
物語はいつだって日常の中から始まり、日常とともにある。今までも、そしてたぶんこれからも。
かっぱの絵を添えてくださいました。
この後、交流会にもマコT、Sさんと参加。
こんなすばらしい作家さん達とご一緒しました。
とても盛り上がった交流会。
コマ先生もうれしそうに、日本酒の瓶をもって、つぎにまわっていましたよ。
マコT、田島征三さんの本を購入し、一緒にパチリ!
とても楽しい一日でした。
【おまけ】
富安先生の講演会補足
◇生い立ち
・周りの大人たちにホラ話しをきかされ育ってきた。
・おばあちゃんは、妖怪の達人、血も凍るような会談話が得意。
私はこういう目にあったという実体験を話してくれる。
キャーキャーいいながら、夜中にトイレにいかれなくなりながらも楽しみにきいていた。
「あぶらをなめるおたねさんの話し」※
・お父さんもまたホラ吹き。しょっちゅうホラをふいていた。
ヨーグルトはなんでヨーグルトっていうかしってるか?
よーくグルッとまわしてつくるからだ。
翌日には、答えがかわっていて混ぜるときの掛け声が「ヨーグルト!」
四国にすばらしい川がある。川からまんじゅうがたくさんながれてきて
おいしいんだ。おまえ達もつれていってやりたい。よんまんじゅうがわっていうんだ。
その他ノーベル賞の由来、ライオン狩りの話し※など、笑っちゃうホラ話しばかり※
・大好きな文子おばちゃんもまたホラ吹き。
おりこうにしていると、十五夜の夜、月のうさぎがおもちをふりまいてくれる。
4才の仲秋の名月の夜、ほりごたつにおばあちゃんと入っていると、おばちゃんの声。
いってみると月から小餅がふっていた。
「お月様のうさぎが、ようこちゃんにお餅をふらせてくれたよ」その後3回もふってきた。
私は絶対誰にも話さないと決めた。話したらきっともうこない。不思議が消えてしまう。
その後、おばちゃんと別れて長いことたち、記憶が夢か本当かわからなくなった。
小4になっておばちゃんにあってきいてみた。
「おばちゃん、小さい頃、餅ふってきたやんな。覚えてる?」
おばちゃんは、申し訳なさそうに「まだ信じてたん?」
やっぱりいわなければよかった。いってしまったから不思議がきえてしまった。
親になって、自分の子どもたちにも3才と5才にも餅まきは実行した。
※「あぶらをなめるお種さんの話」
醤油屋、女中がたくさんあった。
お種さんというねえやがきてから、おかしなことがおこりだした。
油がなくなっていく。
3日で半分、すぐそこをつく。
番頭がみた。お種さんが夜中、土間のすみで油をなめていた。
お暇をとらせた。
帰り道を番頭さんがつけた。山の中へわけいっていく。
断崖絶壁の中もどんどん進んでいく。姿なくなった。熊笹かきわけ入っていくとそこに深い穴が。
そこには、雌の古だぬきがいて、ぎろりとにらんだ。
古だぬきには、気をつけなきゃならん。見分ける方法がひとつある。
人間とは足音が違う。狸は軽いからクシャクシャとする。
よーく耳をすませ。
※「ライオン狩り」
お父さん、アフリカによくライオン狩りにいった。
ライオン狩りに鉄砲はいらない。鏡、はさみ、スコップ これがあればいくらでもとれる。
暑いサバンナでライオンは、日中、同じ場所 木陰で昼寝をして休んでいる。
その場所を探し、いない間に休む場所の近くにスコップで穴を掘っておく。そして木に登って待っていればいい。
ライオンがきて、そこで眠る。ぐっすり眠った頃、木からおりてはさみでたてがみを切る。そして鏡を置いておくんだ。
目が覚めたライオンは、鏡をみて、ビックリ!
「あー、穴があったら入りたい」
目の前に掘っておいた穴がある。そこに飛び込むからね、簡単につかまるんだ。
これで5頭つかまえた。
私の息子から質問を受けた。雌のライオンだったら、だめだね。
「たのしいムーミン一家」大好きだった。
想像の中では、ムーミン谷にいつでもいけたのです。
今でもムーミン谷の風、においがよみがえってくるのです。