1031のだらだら日記

世界中の人々が、あとほんの少しずつ優しくなれますように…☆

バイトの話

2006年09月04日 01時43分19秒 | Weblog
さぁ~☆
いよいよ、ダメダメ講師ワースト10も大詰めになってまいりました☆
ついに、ワースト1の発表です!!☆









いったん、ここでCMで~す(ウザ☆
っていう、わけのわからん前置きはなしにして栄光の初代王者であるワースト1は






(ここで小太鼓の伴奏なんかがあるといいですね☆)

ダメダメ講師、初代王者(多分もうこんなくだらないコンテストしませんが)は…
読売 小僧(管理人)先生(稼動中)です!!!!☆  (パチパチ

☆語録☆

あんまり面白いのが浮かばないのではしょります(マテ☆

☆王者の歴史☆
2004年 1月「読売小僧(管理人)が現在通っている大学に合格」
     2月「バイト探し開始。かねてから教員免許取得を目指していたため、塾講師を主にバイトを探すもことごく不採用をくらう。」
     3月「現在のバイト先に雇用される」
     4月「念願の塾講師としての初仕事を経験(このころは未熟でした)」
     5月「違うバイト先で副業を始める」
     6月「固定の担当生徒(中学生)が決定☆ 受験生を担当する」
     7月「担当した生徒の成績が上がらず副業をやめることを決意」
     8月「副業をわずか4ヶ月でやめる。自動車学校に通うことを決意」
     9月「固定の生徒をはずされそうになるもなんとか継続して担当することが決定」
     10月「無事、運転免許証を修得」
     11月「やはり、担当生徒の成績が伸び悩む。生徒が針路変更を決意しランクを下げざる得なくなる」
     12月「受験特訓を開始」
2005年 1月「模試での成績が伸び悩む(原因は私です)」
     2月「結局、ランクを3つ以上落とすことによりなんとか担当生徒は合格」

・・・この私の最初の担当した生徒(中学生)はあらゆる意味で謝罪をしたいです。あのころの私の指導力は低いもいいとこの塾講師としては最低ランクだったと思います。しかし、この生徒がいなければ今現在の私はいないでしょう。
この生徒は私の恩人であり、同時に私の犠牲者となってしまった娘です。今でも、たまに地元の駅で見かけると私に挨拶してくれる、本当にかわいくて素直な娘なのに、私の力不足で受験は良い結果とはなりませんでした。
本当に、申し訳ありませんでした・・・。

2005年 3月「新しく担当の生徒が私にまかされる」
     4月「高校3年生で物理を一回もやったことが無いがなんとかあと一年で仕上げてくれとのこと。。。ムリ(爆」
     5月「やっぱり伸び悩む」
     6月「私が担当していた別の生徒が学年で一位の成績を上げる」
     7月「周りの私への評価が変わり始める」
     8月「物理の成績がだんだん上がるもまだまだ志望校のレベルではない」
     9月「やっと物理Ⅰがすべて終了」
     10月「医学部志望の生徒が新しく私に任されることになる。このときほぼ同時に農学部志望の生徒を本格的に受験指導し始める」
     11月「物理Ⅱにはほとんど手が付けられずにセンター対策」
     12月「模試の結果が横ばいになりあがらない」
2006年 1月「センター試験ではなかなかの成績を上げ見事、工○院大学(第一志望)に合格」
     2月「私が担当した生徒(小・中・高)すべて第一志望校に合格」
     3月「副室長に就任」

・・・この一年はほぼ大成功の年だったと思います。この一年を通して私は大きく成長したような気がします。人として・大人として・これから臨む社会人として必要なものはほとんど教わったような気がします。
これも、一年目の大失敗があってこその話ですが。。。失敗は成功の元はよく言ったものです。
しかし、私は「成功のためならば、多少の犠牲は仕方ない」という意見には反対の人間です。成功することはいいことだけど、失敗のために犠牲になった方たちはどうするのだと言ってやりたい人間なのですが、現に私自身の手で犠牲を出してしまったことは今でも心が痛みます・・・。



そんなこんなで、自分自身の成功のために約一名の犠牲者を出した私がどうどうの第一位です☆
さ☆ もう、仕事の話はおしまいだぁぁっぁぁぁぁっぁっぁっぁぁぁああああああああああああ☆


へへへへ・・・☆

べんべん。