またまた、京都河原町オーパの ”bookof” にて究極の一冊
≪藤田まこと最期≫を見つけました、何時もの様に200円です
高いお金を出して買うのは掘り出し物やない・・・と言うのが私の美学
だから200円以上の本は買わない、・・・今回はこの本一冊だけでしたけどね
《亡くなる4年前の出版です、藤田まことさん、もう亡くなって5年になりますのやな~・・・この本見つけたんと同時に56年前の事が・・・》
そうですね・・・・・前にも書きましたけど、中学を出て、西村紙工所に就職
ナント3ヶ月ちょっと働いて、4ヶ月も入院するのです・・・ようクビにならんと
京都府立大学病院でした、16歳の時ですわ・・・ポール・アンカの【ダイアナ】とか
ニール・セダカの【恋の日記】、日本では水原弘の【黒い花びら】等の流行った時代
又不思議に同じ16歳の歌が流行りました、ケーシー・リンデンの【悲しき16歳】と
ニール・セダカの【素敵な16歳】、日本では、ザ・ピーナッツのデビューの頃ですかね
さて本題の思い出なんですが、府立病院に入院中のお話です・・・(何で藤田まことが)
まあ、そう焦りなはんな、入院していたのは4人部屋でした、その中に警官が二人
たまたまなんですけど・・・別に二人が私の監視役と違いまっせ
ホンマにたまたま
二人のうちの一人の警官さんが、たしか飯田さんと云わはりました
飯田さんにお嬢さんが居られまして、よくお見舞いに来たはりました・・・・その時父娘の会話に
”藤田まこと”、と言う名前がよく出ていたんです・・・・地方巡業に行っていた話でした
娘さんの芸名がたしか ”イイ・セツコ” さんでした
おそらく飯田の飯を取ったんでしょう
娘さんは、藤田さんと言わないで、”まことさん” と言ってたと思います・・・(たぶん娘さん歌手でした)
1959年ごろですから、まだ【てなもんや三度笠】の3年前ですわ、
娘さんがお父さんに・・・藤田まことの 《歌の物まね》 が大変上手くて人気者やと云ってました
その当時『へェ~藤田まことと巡業に行ったはんにゃ、』と思っていたと言う事は 藤田まことを
知っていたんでしょうかね・・・・物まねの ”藤田まこと” で名前が出掛かっていたのかも
不思議な事に飯田さんの顔は浮かぶのですが、セツコさんの顔が浮かばないのです
56年前の・・・・・甘酸っぱい思い出です、藤田まことさんに親しみを感じるのは・・・
こんな思い出によるものですかね~・・・【必殺】の中村主水、【京都殺人案内】の音川刑事
【はぐれ刑事純情派】の安浦刑事、【剣客商売】の秋山小兵衛・・・
みんな15年以上の長寿番組、生まれは東京らしいけど、関西が生んだ庶民派大スター
56年前の思い出と共に、何時までも心に残る役者さんです、
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