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松ひとり言

谷藤松で御座います。
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≪藤田まこと最期≫を読んで56年前を思い出す

2015年09月09日 14時21分23秒 | 日記

またまた、京都河原町オーパの ”bookof” にて究極の一冊

≪藤田まこと最期≫を見つけました、何時もの様に200円です

高いお金を出して買うのは掘り出し物やない・・・と言うのが私の美学

だから200円以上の本は買わない、・・・今回はこの本一冊だけでしたけどね

《亡くなる4年前の出版です、藤田まことさん、もう亡くなって5年になりますのやな~・・・この本見つけたんと同時に56年前の事が・・・

そうですね・・・・・前にも書きましたけど、中学を出て、西村紙工所に就職

ナント3ヶ月ちょっと働いて、4ヶ月も入院するのです・・・ようクビにならんと

京都府立大学病院でした、16歳の時ですわ・・・ポール・アンカの【ダイアナ】とか

ニール・セダカの【恋の日記】、日本では水原弘の【黒い花びら】等の流行った時代

又不思議に同じ16歳の歌が流行りました、ケーシー・リンデンの【悲しき16歳】と

ニール・セダカの【素敵な16歳】、日本では、ザ・ピーナッツのデビューの頃ですかね

さて本題の思い出なんですが、府立病院に入院中のお話です・・・(何で藤田まことが)

まあ、そう焦りなはんな、入院していたのは4人部屋でした、その中に警官が二人

たまたまなんですけど・・・別に二人が私の監視役と違いまっせホンマにたまたま

二人のうちの一人の警官さんが、たしか飯田さんと云わはりました

飯田さんにお嬢さんが居られまして、よくお見舞いに来たはりました・・・・その時父娘の会話に

”藤田まこと”、と言う名前がよく出ていたんです・・・・地方巡業に行っていた話でした

娘さんの芸名がたしか ”イイ・セツコ” さんでしたおそらく飯田の飯を取ったんでしょう

娘さんは、藤田さんと言わないで、”まことさん” と言ってたと思います・・・(たぶん娘さん歌手でした)

1959年ごろですから、まだ【てなもんや三度笠】の3年前ですわ、

娘さんがお父さんに・・・藤田まことの 《歌の物まね》 が大変上手くて人気者やと云ってました

その当時『へェ~藤田まことと巡業に行ったはんにゃ、』と思っていたと言う事は 藤田まことを

知っていたんでしょうかね・・・・物まねの ”藤田まこと” で名前が出掛かっていたのかも

不思議な事に飯田さんの顔は浮かぶのですが、セツコさんの顔が浮かばないのです

56年前の・・・・・甘酸っぱい思い出です、藤田まことさんに親しみを感じるのは・・・

こんな思い出によるものですかね~・・・【必殺】の中村主水、【京都殺人案内】の音川刑事

【はぐれ刑事純情派】の安浦刑事、【剣客商売】の秋山小兵衛・・・

みんな15年以上の長寿番組、生まれは東京らしいけど、関西が生んだ庶民派大スター

56年前の思い出と共に、何時までも心に残る役者さんです、 

 


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