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一歩の未来

時間は次第に加速する。その加速にブレーキを掛けるためには「生き急ぎ、感じ急く」しかない。言葉は空を舞い、文字は踊る。

ホームヘルパー殺人事件

2006年11月11日 | Weblog
  ホームヘルパーの女性が、担当のお年寄りを殺した。 こんなショッキングな試験が起きるとは。一瞬、体が凍り付きました。孤独な老人のためのサポートが、ホームヘルパーの仕事。現在、日本には一人暮らしのお年寄りが40万人もいると言われています。今後、高齢化社会から、高齢社会へと世界規模で、大きな転換点を迎えていく時代を前にして、介護制度や社会福祉制度は、ますますその重要さを増してくるのは分かっています。
 ホームヘルパーは、一人暮らしのお年寄りのケアのため、掃除、洗濯、買い物からゴミ出し、入浴介助から料理まで、暮らしを根底で支える家族同然の仕事で、今後もっとも重要かつ需要の高い業務です。
 そのホームヘルパーになるには筆禍試験試験を受け、派遣会社などに所属し、孤独な老人を物心両面で支えていくケアが求められます。
 なんと、そのホームヘルパーが、お年寄りのお金をねらい、肉親同然の業務が高じて金の斟酌から窃盗、ついには担当のお年寄りを殺害するまでに至った。
 もし、これが氷山の一角で、そんなお年寄りとの親密な関係を持つヘルパーが、そのお年寄りの金品を盗み、着服し、預金を引き出したり年金を無断で下ろしたり、巧いことを言い、お金を預かって管理し着服する。あるいは、虐待まがいのことをする。それは、あり得ることになる。
つまり、この事件はこれからの高齢社会にお切り売る、もっとも恐ろしく、しかも現実的で危険をはらむ事件です。このように事件を再発させないために、徹底したヘルパー教育と管理システム、またダブルチェックを機構化する等の第三者監視体勢を緊急に確立することが求められる。
 これは、とても危険な事態を象徴しています。


単位未履修問題と内申書偽造は別問題

2006年11月02日 | Weblog
受験生たちに何の罪もないと言うことで、未龍科目の補習時間を軽減する措置でどうやら、救済策が図られる。

 (1)未履修が2単位分(70コマ)を越える場合は、補習70コマとレポート

 (2)未履修が2コマの生徒は、校長裁量で50コマ(3分の 2)に軽減

(1)の該当者は、全国でおよそ2万人、(2)の生徒は約6万千人に及ぶ。

この救済措置は、これから行われるわけですから、受験生にとっては、とんでもない負担になる。大きなハンディを学校のたくらみのお陰で重圧として背負わされてしまった。卒業者にはもはや手を出すわけには行かないだろうが、きちんと受けてきた生徒にとっては軽減措置は矛盾を感じるはずだ。

 と同時に、私たちが追求しなければならないことは、内申書の偽造問題でもある。

教育という、将来の子供達を育成する立場の期間が、公文書を偽造した罪が不問に付されて言い訳がない。このことを、恐らく国は見て見ぬ振りをしてやり過ごすに違いない。こんな、教育界やリーダーが国をも動かす以上、正義も改革もへったくれもない。

現代日本の教育界に一撃を

2006年11月02日 | Weblog
教育現場が揺れている。それは間違った方向へと瞑想しているとも言い換えられる。

大学受験予備校と化した進学高校は、その結果を求めるあまり、高校で広い知識と教養を深め、価値観や判断力や表現力を習得し、いまやグローバル化した先進国の一員として、しっかり社会人として生きていく力を、興味や探求心を深めるべきにもかかわらず、受験に不要?な科目を切り捨ててしまうことが、そもそも大間違い。

さらに、教育という現場で、子供達を正しく教育すべき教師達が、単位を修得したと偽装して、公文書を虚偽表示する文書偽造の詐欺行為をやらかす。この、不届きな教育失格者たちが全国に、かくも多く横行し、まかり通る教育界には明日などまったく見えてこない。そう思いませんか?

体裁や上辺の評価にばかり終始し、その為には真実も覆い隠すような日本の教育界は、根本から大間違い。学校全体の大改革とモラルの教えを校長以下、全教員に徹底しなければ、明日の子供達の未来、ひいとは世界の将来なんてものは見えてきません。こんな馬鹿どもが子供達を育てていたのかと思うと情けないの一言です。日本を駄目にしていくのは、教師たち、そのものではないのでしょうか。

 このことで、茨城県のある校長が自殺したとのこと。あなたは、なぜ死ぬのですか。ちゃんと、子供達を良い方向に導き、子供達があなた達の行動を見て、学ぶ訳ですから、どう適切、適正に振る舞うかを見せて示さなければなりません。窮地に陥ったら、ごまかして逃げたり、自殺して、未解決に放置してはいけない。しっかりした態度で、模範を示さないといけないのです。

 朝日の朝刊では、第1面でこの責任は文部省か、教育委員会か、それとも校長かとお互いの責任のなすり合いを始める始末。大人達の態度を子供達がどう学ぶのか、分かっていますか? 

 今回の、「いじめ」による中高生の自殺が相次いでいますが、学校の隠蔽工作や見て見ぬ振りの自己中心的で不適切な態度、あるいは親には虐めの事実を認め、翌日は、「いじめ」などないと思う、そのときは意識がもうろうとしていた?? などとの虚偽表現。あなたは、それでも、校長ですか?人間としても最低の部類ではないでしょうか。こんな馬鹿野郎が、子供達を育てる資格などもともとないのです。

 いま阿部総理は教育改革を改革の目玉にしていますが、保身ばかりを気にするモラルのない教育の根本的な大改革。はたして出来るのでしょうか。このままでは、日本という国、さらには世界に明日などないのです。


「いじめ」問題で教育界に一言

2006年11月02日 | Weblog
最近、虐めによる性との自殺が相次いで報道されている。

その一方で「パワハラ」(パワーハラスメント=上司による権力を使った嫌がらせ)が報道された。校長の教師に対する「いじめ」て゜ある。

子供達は「いし゜め」をどこから学ぶか?それは周囲の社会や大人達の行動を模写し、善悪の判断が不十分なままに相手に使うのが「いじめ」の根本だ。

一番の教育者達が、その学校という場で、これはあいつを傷つけるからやってはならないことだと始動するのが、学校に与えられている大きなテーマの一つだと言える。

 どんな「いじめ」をしたのか、「いじめ」があったならに、どう今後は改善し、いじめられた子供にどう接するべきかを指導しなければならない。その責務を忘れて、社会的な地位や保身を体裁として、「いし゜め」を隠蔽したり、改善を試みようとしないなどはもってのほかだ。

 たびたび報道される学校側の不適切な対応の根本は、教育者のモラルの欠如、その一言に尽きる。これらの教育思想を背景に生徒と接していること自体が、もはや論外と言わざるを得ない。

 教育界の体質を完全に根本から問い直す力がないと、学校に明日はない。つまり、子供達に「少しはましな未来」など見えては来ないのである。はたして、その自浄力があるのだろうか。

認知症 

2006年06月04日 | Weblog
父の入院から10日が経過。ほぼ毎日の見舞いと下着交換や入院用具の手配など、ごょうきの進行状況や今後のことを石と相談しながら見守ってきていた。アルコール性の痴呆や老人性の痴呆など、ぼけの進行は相変わらずで、冴えているときは顔つきもすがすがしく、会話も弾んでいる。ボンヤリしているときとの落差も酷く、つじつまの合わないことや、事実とはまるで違うことが妄想されていたりと、入院前とさほどは変わらないように思え、「病院脱走計画」も院内スタッフにはご迷惑を掛けるものの、大分性行も把握され、ベッドに捕捉帯は夜寝るときだけになってきているようだった。本人も、次第に病院生活に馴染み始めてきていた。
 ただ、今日は私が父の誰であるかが出なくなり、問いただすと説明しきれなくなった。つまり、私は本人にとっては誰なのか。それが分からなくなってきていた。説明すると「俺の子」という認識にたどり着くことはできたが、はたして、いつまで記憶に残るかがはっきりしない。
 認知症は痴呆同様古い記憶は比較的はっきりしてたいるが、最近の記憶は極度に落ちてくる。同じことを繰り返し言い、日にちの区別は付かなくなる。