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一歩の未来

時間は次第に加速する。その加速にブレーキを掛けるためには「生き急ぎ、感じ急く」しかない。言葉は空を舞い、文字は踊る。

少子化と家庭内暴力の根は同じ

2007年01月23日 | Weblog
文明が発達するほど 人類は少子化が必然的となる

つまり文明の後進性は多産であるとともに

生命の価値や意味づけが低いため

命を奪うことや失うことが自然的である





文明の発達は生命の価値に意味を与え

個体の生命の価値に意義を与える





さまざまな観念の発達は生命そのものに有意性を持たせ

人間の命を奪うことや失うことを嫌う





この二つの尺度が文明の尺度となる





文明の先進性は少子化し生命を尊重する度合いが強く

文明の後進性とは産むことを抑制せず多産化し





生命の価値はより自然の一部という意識が強く

生命を失うことは自然的であることから

個体化している生命尊重の観念は弱いといえる



また文明が高度化し男女平等社会が実現していくと

少子化と同時にもうひとつの問題が発生する



それは子ども達への時間のかけ方や

愛情の注ぎ方の変化が起きると言うことだ



女性は子どもを産まなくなると共に

男女平等意識が高まり

異性である男性と対等になるため

男を見下し始める場合が起き

子どもへの愛の接し度合いが低下し始める

それが大事なある時期に欠落あるいは希薄になるため



子ども達が成長し 暴力的な行動を心の核に抱える

可能性が大きくなってしまったのだ



少子化と家庭内暴力とは同時進行している

車の両輪のように起きる現象だと言えよう

                           

連続する「バラバラ殺人事件」ブーム

2007年01月12日 | Weblog
どうしたことだろう。殺人事件が連日のように報道される。しかも、多くは死体をバラバラにし、遺棄するものばかり。今回は30代の妻が、30歳の夫をバラバラにして都内のあちこちに、死体を遺棄した。死体が重いのでのこぎりで切断し、バッグに入れて、あちこちに捨てたという。

その生活ぶりは別として、相手への怒りが抑えきれずに、前後が判断できなくなり、憎悪を抑えきれずに、家族を或いは夫婦が殺し合う。昨日は兄が妹を殺害し、バラバラに。今日は妻が夫を。その報道の一方では、茨城でまたバラバラ殺人が起きているという。
 全ての事件の関係者の日常の様子や動機を調べないとはっきりしたことは言えないが、最近のいくつかの報道では、犯行に及んだ容疑者は、等しく自身の存在感をないがしろにされるような誹謗中傷の発言が日々向けられ、その苦痛に耐えきれず犯行に至っているようだ。解決手段が話し合うことではなく、心にため込んで一気に憎悪を爆発させ、前後の見境を失い、殺人という凶行にブレーキを掛けられず、何度も暴行を加えて死に至らしめている。死後は、肢体の処理に困り、凶行を隠蔽しようと、死体をそのままに隠すのではなく、体をノコギリで切り離して個々に処分していくやり方は、報道から学習しているように思われる。

 直情的憎悪の爆発が、個人のアイデンティティーを壊されたと思うことで引き金になっている。殺人は世間にばれ、日本中に報道され、1人の存在が忽然と消失することに周囲が不信に思い、事件も発覚してしまうことも予想できないままの抑制やコントロールができない直情的な怒りの噴出行為である。

 

東京国際女子マラソン

2006年11月19日 | Weblog
自分が好きなランナーの高橋尚子選手と土佐礼子選手が、いま走っている。お互いの走る個人史を抱えてきて、次真北京オリンピックに向けて、高地トレーニングなど、我々にはあまりに過酷な鍛錬に耐え抜くことで、場分を鍛えてレベルアップをストイックにやり続けている。

人生の中で、こんな自己鍛錬を、目標に向けて自分がやり切れているだろうか。彼女たちの、この走りが自分に大きなやる気と、前向きな気持ちを与えてくれる。高橋は敗北を知って、自分を成長させ、ますます心を大きく成長させている。その心を、私たちは推古句でまた、ステップをさせてもらっているような期がする。

 大きな目標ががむしゃらな自分を作るが、目標と併走しながら自分を呼吸させつつ、鍛える高所の精神領域は限られた物にしか見えない世界なのかもしれない。

もっと、もっと、自分も努力しよう。もっと、もっと苦しみに耐え、深化することで加速させよう。孤独に、自己歩調を図りながら、泣きながら、苦しみながら走ろう。時間は後から来る。きっと、悩むから見えないものも見える。そのいくつかがきっと他の人達の指針にもなる。時間は限られているから、追いつめて、鍛えて、苦しんで後に松、一瞬の開放感を味わう。

きっと、それは人生では最後の最後でいいんだろう。結果はいまの、ひた走る一歩にあるのだから。

生体腎臓移植問題

2006年11月16日 | Weblog
 『愛媛県宇和島徳洲会病院の臓器移植問題で考えてみる。
 「移植学会のルールより、患者を救うことが大事」という執刀医、万波誠医師の主張とは、

臓器売買事件を契機に、愛媛・宇和島徳洲会病院での生体腎臓移植は
その後、様々な問題点を浮き彫りにしています。その後の報道などで明らかになってきたのは…

(1)万波医師は移植手術を積極的に進める事で医学界では有名な医師で、
 弟の万波廉介医師らと協力して多くの生体腎移植を行っていること。

(2)万波誠医師が執刀した移植手術の中で11例が病気の腎臓を移植する
 「病気腎移植」と呼ばれる手術だったこと。

(3)日本移植学会が定める生体臓器移植の指針に反する臓器移植手術が
 行われていたこと。

以上のようなことが明らかになってきました。

(4)万波誠医師の言い分

一連の移植医療では
現時点で万波誠医師が法律を犯したわけではありません。
万波誠医師は、病気腎移植に踏み切った理由について
「移植を希望しながら臓器提供者(ドナー)がいない現状があった。
 医療技術の向上で、今まで破棄されていた腎臓が少数ではあるが
 有効に利用されるチャンスが出てきた。
 生体腎移植、死体腎移植に続く第3の道としてこのような医療行為
 (病気腎移植)も残っていてもいいのではないか」

患者への説明と同意については、
「市立宇和島病院時代から患者だけでなく家族にも説明してきた。
 ボロ腎臓を植え付けた、と文句を言ってくる人がおったら
 いけんからね」と話しています。

日本移植学会の指針に反する行為については、
「移植を待つ患者を救うことが第一で使える腎臓があれば移植する。
 倫理指針を全部守っていたら、何も進まない」

■万波医師が移植を推し進めるのはなぜか?

万波誠医師が数多く手がけている腎臓病を例に取ると
深刻なドナー不足の状態です。

糖尿病を原因とする腎臓疾患などによる透析患者は増加する一方で、
腎臓移植希望者も増え続けています。
人工透析患者の数は89年から04年までの間に倍以上増えて、
約25万人に上ります。

その一方で、生体臓器移植に関する法律はなく、学会の自主的な取り
組みに任されているのが現状で、日本移植学会は原則禁止の立場です。

親族に限った移植や病院などの倫理委員会の承認を条件に例外を
認めていて、生体腎移植件数は95年の432件から、05年は
834件と増加していますが、追いついていません。

■問題点


 いくら、腎臓移植の希望があり、健康な腎臓移植が勧められないからといって、臓器売買あるいは、ガン患者の不健康な腎臓や機能低下している悪質な腎臓を移植してまでも、患者のために良かれと言えるか。そんなもの、言える訳がない。このよう悪質な移植屋が世にはばかり医術を売り物にして、収益をあげるような医師がまかり通るようなシステムを禁じ、さらに法制化して、勇み足をした医師を処罰するように患者を保護しないと、闇の臓器売買や悪質臓器移植は裏で平然と行われてしまう。臓器移植には制限があるのは当然だといえる。