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一歩の未来

時間は次第に加速する。その加速にブレーキを掛けるためには「生き急ぎ、感じ急く」しかない。言葉は空を舞い、文字は踊る。

大気汚染

2013年02月02日 | 自然
中国各地の自動車排ガスや工場の排煙による大気汚染は、限界を超えているというメディア報道があった。肺がんなどを引き起こすという微粒子状物質PM2・5の濃度が東部地域では1月、一時は世界保健機関(WHO)の指針値の数十倍まで上昇。北京市では呼吸器不調を訴える住民が急増しぜんそく発作で死者も出た。恐らく死者は今後増大していき、時間を掛けて人体をむしばんでいく。有害物質を含んだ濃霧は日本の国土の3倍半に広がった。西日本への飛来も確認され、福岡市などでは日本国内の基準値を超える濃度が観測されている。国境を越えての汚染拡大は許されない。温家宝首相は先月29日、「現実的で有効な措置を取らなければならない」と述べたが、中国政府の対応は無責任に過ぎる。世界第2位の経済大国としての自覚をまったく欠いている。国際法規を施行し、環境汚染はグローバルなルールで法制化。自国内だけではなく、他国への悪影響の基準値をルール化し、損害賠償を強制敵に処罰化できるようにしないと、それこそ地球も危ない。
 中国の大気汚染が目に見えて進んだのは1月11日ごろからだという。中国環境保護省によると、北京、天津両市や河北、山東両省では6段階の大気汚染指数で最悪の「深刻な汚染」となり、東北地方や内陸部でも2番目に悪い「重度の汚染」となった。放射冷却現象に無風状態が加わり、地表近くの高湿度の空気中に汚染物質が滞留したという。


母の物語(子供への異常の分散)

2012年10月25日 | 自然
 人類は他の動物と異なり、二歳くらいまで乳児は母親の保護を受けない限り自力では生命を維持できない絶対的な受け身の期間がある。この人間に特有な期間にこそ、人類の原始共同体の在り方そのものが、なんらかの形で象徴されていると考えられる。それは何故か。ここに彼は相互対応関係が付けられ、また解明できていない歴史が隠されていると考えた。人間社会と個体の無意識の段階からの発達との対応付けは、個人幻想と共同幻想の発達進化過程の同致でもある。この強引な類推は、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」の六段階の過程と「母の物語」の幼児と母との交信の対応にも試みられている。吉本は彼自身の思想の着地に向け、思想的営為を巡らして試行しているとみるべきだろう。
 胎児は母との内コミュニケーションで薄明の意識の沃野という無意識の核に、さまざまな情報が伝えられ、高度な刷り込みが行われる可能性があると考えられている。その根拠は胎児へのさまざまな外的アプローチと類推が、察知能力や誕生後の心的現象の病理との関連を裏付ける。パラノイアは、この乳胎児期の母との感情と意識の交信が、スムーズに流れていない場合に起きることを指摘。生活環境の場面で夫婦関係や人間関係、あるいは経済環境等が母に抑圧として働く外的要因にならず、愛情豊かに母が乳胎児を思いつつ接していれば支障は起きない。ところが、逆に母にストレスや抑圧として精神的な負荷が継続してかかる場合、乳胎児はその心の流れの「渋滞」に対して、障害を避けようと、脱出できる別のルートを生み出すという。その仮構された回路になる媒介項が、像としての新しい母親像だ。あくまでも理論上の類推だが、その仮構された母親像は、抑圧を受けてゆがんだ母の虚像そのものだ。無意識の核に刻印されたその像が、やがて成長した個人の心的抑圧装置となって、当の個人に対して「幻想の抑圧者」として成長した乳胎児を追跡し、あるいはプレッシャーを掛けることになる。またフロイトはパラノイアは同性愛的な因子を持つともいう。 
 乳児期に母親に精神的な二重性があるとする。例えば①抱く→抱きたくない。②授乳する→ゆとりがないが仕方なく授乳する。③眠らせる→忙しいが寝かしつけないと乳児に良くないから仕方くやる。④排便そのたの養育行為→汚い、めんどくさいが仕方ない。こうした思いで接しながら、邪険に乳児を扱ったり、怒鳴ったりしながら育児に不満や不安を抱いているとする。この母の精神状態は、安定した母の形を持たず精神の二重化で乳児に対立や屈折をすり込むことになる。親和と分離、安堵と不安、上昇感と下降感のような二極の対立は、精神分裂の原因となる。
子育ては地域により多様だが、一方の極に①西欧型の育児にはキリスト教という宗教上の儀礼から乳児の割礼や陰核切除、さらに親との引き離し乳児期に行われる。これらは子供の心に傷痕を残し、当然乳児は自閉し、内閉的になることを強いられる。利己的で思索的な西欧文化の傾向を生み出した原因ともいえる。他方、②日本型の育児法は、数週間は母が付き添いで母乳や養育のためのあらゆる行為を行う。添い寝は二歳以上まで続くばあいもある。この受け身の時期に母の情動が、良くも悪くもすべてすり込まれる。その育児法が生育後にさまざまな病理を生み出すことがある。
家庭内暴力は、日本に特有の現象だが、乳幼児期に母親の子育てが不十分で行き届かなかったという反省が、子供の躾に対して強く出られない。その腰の引けた引け目感が、子供のわがままや暴力に踏み込めなくなることが原因と考えられる。
最近、男性の女性化や女性の男性化という性の混合、もしくは性意識の境界が薄められ、意識の性差がなくなりつつある。例えば女装してみたい男性、性同一障害、男性なのに女性になってしまわざるを得ない内的意識に逆らえない男性がみられる。実は、その謎を究明するには乳幼児期に戻る必要がある。乳胎児期に母親が鬱屈や抑圧の状態が無意識の核に乳児はすり込まれたとする。言葉の獲得と共に、母への過剰なエロス覚の固着を持つように成長する。やがて思春期をとともに自分を母と同一視するようになる。そして母にさらなかった欠如感を自分を性の対象として満たそうとするナルシズムに陥るか、自分に似た自分以外の同性に、母に願望したエロス覚を注ごうとする。これが同性愛的な傾向の原因で、パラノイアとも共有しうる根拠でもある。
 また、乳児は男も女も男性としての母に対しては全て受動的で女性である。乳児が男児も女児も女性的でしか生命を維持できないからだ。つまり乳児期の性は男女性に意識の上では分化していない。言語を獲得していく過程で、しかも乳児が栄養摂取と性の欲動が身体の内臓系でいちばん鋭く分離する場所と時期に、性別の獲得が始まる。同性愛的傾向がパラノイアに多いのは、パラノイア自体がまず「愛する」という情動と行為に関わるからである。男性の女性化も、女性の男性化も同一の起源を幼児期に持っている。男性が女性化することで同性である男性を愛し、女性が男性化することで同性である女性を愛す。これが同性愛の根拠だが、この同性愛の欲求は思春期における「大洋」への退行であり、乳児が自体愛まで退行することと同質でもある。特に思春期以後は同性愛と異性愛の二重性で現われ、同性愛の固着は男性的なエロス覚を母親もしくは父親が十分に乳児に与えられなかったことにあると考えられる。
 近年、女性の社会進出=自立とともに女性が今までの女性幻想を変え、中性=男性化へと質的変容を遂げている。その労働にともなう社会環境の変化も加速している。性としては、その対局として男性は女性化することで従前の男性幻想も自己崩壊している。幻想の性の質的変容から、生理としての性も変化すら始めている。男女差別の否定が叫ばれ始めてから、その叫びを生み出す意識基盤の変化にともない、次第に明確な性の意識差が狭まり、異性の性差がなくなりつつある。また、生育環境も変わりゼロ歳児保育、母子家庭など、性別が備わる乳幼児期に両親が育てられず、母親が父性をエロス覚として与えられない場合、女性の性が男にも女性化として現われる。


残暑お見舞い 申し上げます。m(*- -*)m

2007年08月13日 | 自然
 今日はお墓参りに、父を連れて行ってきました。普通なら、大勢の方達が仏花を持ち、線香片手にお参りの姿があるはずか、がらんどうで、墓前にはお参りの形跡もなく、最近はお盆の行事もやらなくなったのかと思いました。  養老院から連れ出した父は、墓前で線香を上げ、手を合わせ、昔のことを思いでして居ました。お参り後には、和食を二人で食し、満足して貰いました。たまたま、話を小耳にしたところでは、館林のおばあさんが、せがれに旅行に行こうと車に乗せられ、着いたところが埼玉の老人ホーム。それ以後は、一度も子供達は来所せず、職員の扱いが嫌で逃げ出したいと言っている。とのこと。言葉を失います。


新緑の初夏に 華香る 穏やかな日々

2007年04月26日 | 自然
へたくそだけど がむしゃらに 思い切り生きてやる。 


傷ついても 何かが残る。


そこには 踏み出さなかったら 得られない 小さな喜びも 

あるさ。


勝ち負けの人生ではなく


自分に 悔いを残したくない


それだけ・・・ そう思って 挑んだ戦い

走り続けて 疲れ切って 

一人 部屋で 起き上がれなかった

敗北するために 戦う馬鹿なやつだと ののしられた

てせも 自分で決めたんだから

もう 走り出したんだから

結果ははかっていたとしても 

そこには 悔いがあっても

得難いことばかりが ぼくの周囲を囲んでくれている

あなたから 届いた華の香り

がんばれと書かれた便せんを握りしめ

ぼくは いま あなたを勇気づけていることを知った

一人で決めて 人の助けを借りず

たった 一人だけの戦いっただけど

君の気持ちを たくさん 抱えることができたね

ほら これこそが 踏み出してよかったと 思える

いちばん 大切な ことなんだよ