西赤石岳から「銅山越」を経て旧別子銅山へ下る登山道は、まさに歴史&地学の道でした!
まずは、別子銅山をご存知でしょうか。
【Wikipekiaより】
別子銅山(べっしどうざん)は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山。1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までに約280年間に70万トンを産出し、日本の貿易や近代化に寄与した。一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。
最初の採鉱は海抜1,000メートル以上の険しい山中(旧別子山村)であったが、時代と共にその中心は新居浜市側へ移り、それにつれて山の様相も変化していった。坑道は全長700キロメートル、また最深部は海抜マイナス1,000メートルにもおよび、日本で人間が到達した最深部である。
5月18日、東赤石岳から西赤石岳へ縦走しました。
西赤石岳ではアケボノツツジが見事に稜線を飾っていました。
山頂からは「銅山越」方面へ下山しました。目的は別子銅山の遺構を見るためです。
別子銅山跡です。左側斜面の植生が疎らです。かつてここの地下で銅の採掘がされていました。
「銅山越」1294m。別子銅山で採掘され精錬された粗銅は、人々の背に背負られ2日かけて新居浜へ運ばれました。その峠にはお地蔵さんがありました。
重い重い粗銅を背負って人々が歩いた石畳の道。当時の苦労を想像すると、涙が出そうになります。
別子銅山は、高品位の銅山。銅の含有率が20%と、世界でも有数の高さでした。その銅を掘り出すのは手作業です。
今も残る鉱道入口。
最盛期には大規模な街も作られた別子。社宅、小中学校、劇場、遊戯施設などもありました。
その繁栄は、見事に積まれた結晶片岩の石垣から、垣間見ることができます。
これは、ダイヤモンド水。冷たくて美味しい水が大変な勢いで噴出しています。、
昭和26年、鉱脈調査のために行われたボーリングで大量の水が噴き出しました。
ボーリングのヘッドのダイヤモンドが外れ、今も地下に眠っているため、この名前がついたそうです。
別子銅山遺構は「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれ、急斜面の谷あいに見事な遺構が残っています。
現在、世界遺産登録に向けて整備中だそう。私は世界遺産登録には十分な価値があると、確信しました。
素晴らしい遺構集、ぜひ訪れられることをお勧めします。
まずは、別子銅山をご存知でしょうか。
【Wikipekiaより】
別子銅山(べっしどうざん)は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山。1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までに約280年間に70万トンを産出し、日本の貿易や近代化に寄与した。一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。
最初の採鉱は海抜1,000メートル以上の険しい山中(旧別子山村)であったが、時代と共にその中心は新居浜市側へ移り、それにつれて山の様相も変化していった。坑道は全長700キロメートル、また最深部は海抜マイナス1,000メートルにもおよび、日本で人間が到達した最深部である。
5月18日、東赤石岳から西赤石岳へ縦走しました。
西赤石岳ではアケボノツツジが見事に稜線を飾っていました。
山頂からは「銅山越」方面へ下山しました。目的は別子銅山の遺構を見るためです。
別子銅山跡です。左側斜面の植生が疎らです。かつてここの地下で銅の採掘がされていました。
「銅山越」1294m。別子銅山で採掘され精錬された粗銅は、人々の背に背負られ2日かけて新居浜へ運ばれました。その峠にはお地蔵さんがありました。
重い重い粗銅を背負って人々が歩いた石畳の道。当時の苦労を想像すると、涙が出そうになります。
別子銅山は、高品位の銅山。銅の含有率が20%と、世界でも有数の高さでした。その銅を掘り出すのは手作業です。
今も残る鉱道入口。
最盛期には大規模な街も作られた別子。社宅、小中学校、劇場、遊戯施設などもありました。
その繁栄は、見事に積まれた結晶片岩の石垣から、垣間見ることができます。
これは、ダイヤモンド水。冷たくて美味しい水が大変な勢いで噴出しています。、
昭和26年、鉱脈調査のために行われたボーリングで大量の水が噴き出しました。
ボーリングのヘッドのダイヤモンドが外れ、今も地下に眠っているため、この名前がついたそうです。
別子銅山遺構は「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれ、急斜面の谷あいに見事な遺構が残っています。
現在、世界遺産登録に向けて整備中だそう。私は世界遺産登録には十分な価値があると、確信しました。
素晴らしい遺構集、ぜひ訪れられることをお勧めします。
別子銅山が財閥住友の基で、それが四国にあるというのは勉強になりました。たしか、四財閥のうち二つまでが四国に関わりがあるのですよね。
オノロゴ島が四国に近いから、四国は力強いのかもしれませんね。
日本の近代経済発展を支えた重要な鉱山でした。次は銅山跡の博物館や「マイントピア別子」も訪問してみたいです。