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雲仙普賢岳の火砕流

2011年06月02日 | 地質・地形・地球科学
雲仙普賢岳(長崎県)が噴火を始めたのは1989(平成元)年。11月には群発地震が起こり始め、1990(平成2)年11月17日に噴火。熱水や噴煙を噴き上げています。
同年12月には噴火も小康状態となり終息するかと思わましたが、1991(平成3)年2月に再噴火し、溶岩ドームを形成。

そして6月3日午後4時、火砕流が発生。
取材中の報道関係者16名、火山学者ら4名(著名なクラフト夫妻、アメリカ地質調査所のハリー・グリッケン氏ら)、消防団員12名など合わせて、死者行方不明者43名と9名の負傷者を出す大惨事となりました。



火砕流とは火山ガスと火山灰が一緒になって斜面を高速で流下するもので、その速さは時速100kmをこえるものもあります。

この雲仙岳は、1792年(寛政4年)にも大災害を引き起こしています。
5月に雲仙岳の眉山で発生した山体崩壊による火砕流が島原を襲い、海になだれ込んだことにより発生した津波(なんと波高50m!)が肥後の国を襲いました。
「島原大変、肥後迷惑」です。肥前国と肥後国合わせて死者、行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害です。
これに関しては、とっても興味深い本が出版されています。

さて、私たちの日本は4枚のプレートの境界に位置しており、「日本のどこでも」地震と火山の災害の危険性があることを、忘れないでいなくてはいけないのですね。

はみだし記事

この雲仙普賢岳の火砕流の時、私は南米コロンビア共和国の田舎で働いておりました。
田舎町で売られていた新聞(裏表2ページしかないもの)の一面トップ記事が、
「日本で火山が大爆発!」
という見出しでした。
びっくりして読んでみると、「NAGASAKIの山がガスを噴き出し大勢の人が熱風で死んだ」と書いてありました。
私がそこに滞在した2年間で日本に関する記事が1面トップになったのは、これが唯一です。


4 コメント

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普賢岳 (morimiki)
2011-06-02 07:53:53
今年4月に、普賢岳、眉山、噴火による災害の記念館、火砕流に襲われた当時のままの小学校の校舎など見てきました。
20年も経ったなんて思えないような今の普賢岳とその周辺の荒涼とした感じ、20年するとこんなに普通の街になるのかと思えるような町並み、自然の恐さと優しさと人間の弱さと強さを感じました。他にもいろいろぐっときたのですが、うまく表現できません。
さて、その立派な記念館ですが、20周年で入館料半額でした。20周年なんて知らずに行ったので、うれしかったです。
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行ってみたい (Repu)
2011-06-02 20:01:36
私も記念館へ行ってみたいと思い続け、昨年12月に長崎へ行く機会があったのですが、日程&天候のため、行けませんでした。残念。
morimikiさん、精力的に動き回っていますね!
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肥後では‥ (ちかちゃん)
2017-09-03 07:35:00
普賢岳の噴火から随分と時が過ぎました。
あの時、職場にいて異変を感じました。
空が暗くなり異臭がしたのです。
ゴムが焼けるような変な匂い。
何か臭くないか?と周りの職員に尋ねても、焼却炉で何か燃やしているんだろうとの、答え。
おかしいと思って1階に降りてみると、外に出ていた人々が黒い雨が降ってきた!と建物内に入ってきました。見ると服には泥ではない何かベタッとしたものが付いていて‥
私は原爆に近いものが落ちたのでは?と動揺しました。早めの帰宅をしていた職員が車のフロントガラスに泥水が張り付き危ないと戻ってきました。只事ではないと強く思ったことを覚えています。自然の力というものは体験すると驚愕する大きさです。どう対抗しようもありません。肥後の長周期パルス地震。巨大な鉛の弾が何処かに落ちたかのような縦振動の直後の大きな揺れ。
地面の持つエネルギーの巨大さを畏れをもって感じる出来事でした。
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ちかちゃんへ (Repu)
2017-09-04 08:20:59
こんな古い記事にコメント、ありがとうございます!
熊本ではそのような黒い雨が降ったのですが‥、知りませんでした。
熊本地震、お見舞い申し上げます。ちかちゃん、被災されたのでしょうか。一日も早い復興をお祈りします。
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