「今日のビジュ、すっごくよくない?」
といったJKたちの会話が聞こえて来るこのごろ。どうも、これって「見た目」のことみたいですね。
「見た目」も特にメイクがきれいにできたといった意味合いに使われていることが多いっぽい。
高齢者女子の私たちの時代に女子高生はメイクなんかしなかったよなあと、ビジュのために、
スキンケアから化粧品やらに全力をかけるJKたちに「時代の変遷」なんてものを感じる。
あったりまえだ。私の高校時代なんて、半世紀前の話なんだよ。私は高齢者女子。
高齢者に女子を付けるあたりで、ご批判の声は聞こえて来る気はするけど、いいの。女子は女子よ。
頭の中では「ビジュ」と言われても違和感なく付いていけてるしねー。←何の自慢だ?
「ビジュ」を気にするJKたちを見ていると、私は母のことを思い出す。
今の時代に母が生きていたら、さぞかし、「ビジュ」重視のJKになっていたのは間違いない。
何しろ、若いころから、毎日、同じものを着ないほどのおしゃれっぷりで、私が覚えている小さいころでも
母の鏡台の上には高そうな化粧品が並んでいた。←若者たちよ、鏡台とはドレッサーのことじゃよ。
終戦が小学生だった母が若いころなんて、戦後まもなくの時代だから、今のようにファストファッションなんて
ものはないから、高価なのはもちろん、そもそも、欲しい服が潤沢に手に入る時代でもない。
母はどうしていたのか―。そう、自分でデザインして、自分で作っていた。
自分のワンピースとおそろの日傘を作っていたほどの器用さだったというから、恐るべし。
まあ。そんなビジュが抜群の母のことだから、モテモテだったらしいですよ。その時代、輝いてたんでしょうね。
が、そんなビジュ母に、結婚してから、「汚点」ができた。それが私だ。←ごめんよ、母。
私が生まれた瞬間、「あ、こいつ、夫の方に似てるな」と思って、心底がっかりしたと、母に言われた私。
「えー。生まれた瞬間からのだめ出し?」と、そのときは思ったけれど、口には出さなかった。母が怖くて。
本当に母は最強だった。言いたい放題。どれだけ私が傷つこうがお構いなし。サンドバック状態。
「顏も頭もスタイルも性格も最悪。私に1ミリも似たところがない」と罵られ続け、大きくなってからは、
「私の娘だと人に言うな。外で会ったら、他人のふりをしろ」「一緒に出掛けるときは3メートル以上離れて
歩け」と言い渡されていた。
母の周辺に近づかないようにと気を付けていたけれど、一度、同じ美容室に行って、名字が同じというだけで、
美容室の人には娘と勘付かれて。うそをつけない私はキョドりながらも、肯定したら、母が激怒した。
「こんなに恥ずかしい思いをさせるなんて、もう二度とあの美容室には行けない」と泣いて怒って手を付けられず、
私は自分の行きつけの美容室が潰れて、母の美容室に仕方なく行ってしまったことを死ぬほど後悔した。
今になると、「ビジュいのち」の価値観に自分を合わせられなかった反省点はあるけれど、母にもなぜ。
娘がビジュを磨けなかったのか、娘の心にあった「トラウマ」にも気がついてほしかったなとは思う。
あ。父に似ていると嫌っていた母だけれど、父はイケメンの部類で、よく俳優さんに似ていると言われていたせいで、
父の仕事先の方には「お父さんのDNAが1ミリも入っていないんじゃないのか」と言われた。
くー。どっちにも似てないのは自覚してるけどね。父の会社の人も母同様、辛辣過ぎませんか。
みんな心の中で思ってもいいけど、口にするときは気をつけようね。一生、恨まれるから。
といったJKたちの会話が聞こえて来るこのごろ。どうも、これって「見た目」のことみたいですね。
「見た目」も特にメイクがきれいにできたといった意味合いに使われていることが多いっぽい。
高齢者女子の私たちの時代に女子高生はメイクなんかしなかったよなあと、ビジュのために、
スキンケアから化粧品やらに全力をかけるJKたちに「時代の変遷」なんてものを感じる。
あったりまえだ。私の高校時代なんて、半世紀前の話なんだよ。私は高齢者女子。
高齢者に女子を付けるあたりで、ご批判の声は聞こえて来る気はするけど、いいの。女子は女子よ。
頭の中では「ビジュ」と言われても違和感なく付いていけてるしねー。←何の自慢だ?
「ビジュ」を気にするJKたちを見ていると、私は母のことを思い出す。
今の時代に母が生きていたら、さぞかし、「ビジュ」重視のJKになっていたのは間違いない。
何しろ、若いころから、毎日、同じものを着ないほどのおしゃれっぷりで、私が覚えている小さいころでも
母の鏡台の上には高そうな化粧品が並んでいた。←若者たちよ、鏡台とはドレッサーのことじゃよ。
終戦が小学生だった母が若いころなんて、戦後まもなくの時代だから、今のようにファストファッションなんて
ものはないから、高価なのはもちろん、そもそも、欲しい服が潤沢に手に入る時代でもない。
母はどうしていたのか―。そう、自分でデザインして、自分で作っていた。
自分のワンピースとおそろの日傘を作っていたほどの器用さだったというから、恐るべし。
まあ。そんなビジュが抜群の母のことだから、モテモテだったらしいですよ。その時代、輝いてたんでしょうね。
が、そんなビジュ母に、結婚してから、「汚点」ができた。それが私だ。←ごめんよ、母。
私が生まれた瞬間、「あ、こいつ、夫の方に似てるな」と思って、心底がっかりしたと、母に言われた私。
「えー。生まれた瞬間からのだめ出し?」と、そのときは思ったけれど、口には出さなかった。母が怖くて。
本当に母は最強だった。言いたい放題。どれだけ私が傷つこうがお構いなし。サンドバック状態。
「顏も頭もスタイルも性格も最悪。私に1ミリも似たところがない」と罵られ続け、大きくなってからは、
「私の娘だと人に言うな。外で会ったら、他人のふりをしろ」「一緒に出掛けるときは3メートル以上離れて
歩け」と言い渡されていた。
母の周辺に近づかないようにと気を付けていたけれど、一度、同じ美容室に行って、名字が同じというだけで、
美容室の人には娘と勘付かれて。うそをつけない私はキョドりながらも、肯定したら、母が激怒した。
「こんなに恥ずかしい思いをさせるなんて、もう二度とあの美容室には行けない」と泣いて怒って手を付けられず、
私は自分の行きつけの美容室が潰れて、母の美容室に仕方なく行ってしまったことを死ぬほど後悔した。
今になると、「ビジュいのち」の価値観に自分を合わせられなかった反省点はあるけれど、母にもなぜ。
娘がビジュを磨けなかったのか、娘の心にあった「トラウマ」にも気がついてほしかったなとは思う。
あ。父に似ていると嫌っていた母だけれど、父はイケメンの部類で、よく俳優さんに似ていると言われていたせいで、
父の仕事先の方には「お父さんのDNAが1ミリも入っていないんじゃないのか」と言われた。
くー。どっちにも似てないのは自覚してるけどね。父の会社の人も母同様、辛辣過ぎませんか。
みんな心の中で思ってもいいけど、口にするときは気をつけようね。一生、恨まれるから。