ちょっと多忙で更新どころじゃなかったです。オーバーワーク気味だったので自重しておりました。けっこう情熱がいるもの。社会問題て。
ので、今回はちょっと世間話です。
憲法とか教育基本法とか罰則のないなんか裁判所とかが典拠にしそうな法律っていうのは直接関わってこないだけにどうでもいいと思いがちだし、実際どうでもいいんだけど、一箇所だけ大きく引っかかる部位がありました。
・家庭教育について
旧「国、地方公共団体によって奨励されなければならない」
新「保護者は、子の教育について第一義的責任を要する」
これって国とか地方公共団体を免責してないですか。
保護者とはいえ人間は孤独な存在です。子供は社会的な存在です。現状でも「しつけは親がやるものだ」という制度になっていると思うけど、実際共働きで消耗しきっているような保護者が子供に満足な家庭教育を与えられるでしょうか。
しつけは親の責任であって公共団体は知らないよ、っていうのは、環境が良い(祖父祖母が近くにいて、生活に余裕があって母親はいつも家庭にいて、いろんな場所に出かけたり本とか玩具を買ったり習い事に行けたりする)家庭と、余裕のない家庭では教育に差が出て当然だ、ってのを公言してないですかね。機会平等と結果平等なんてことを言うけど生まれた家で教育レベルが違ってしまうのは機会平等ではない。ただのギャンブル勝者の過剰な賞賛と公の責任放棄でしかない。公が個にできることを捨てて「公を尊重しろ」って言ってるんだから立派な話です。
そりゃヤラセでもやらないと話にならないよね。
公の精神をもうちょっと大事にしようってのが今回の変更のメインの思想らしいですが、公の精神っていうのがなんで大事かっていうと、一人一人の個が利益を受けるからです。もちろん、公の側も個を大事にするべきです。なぜなら個がみんなボロボロになると公もボロボロになるから。簡単な話です。
ケネディの「国が何をしてくれるかを考える前に、自分が国に何をできるかを考えろ」も同じ。個と公は対立する概念ではなくあくまで相補的なものです。だから、公を少数の個が牛耳っている場合はそいつらを退場させて自分たちを代表する公に戻すのが個のシゴトだし、公としても個の荒廃を是正しなければならない。会社でも学校でも家庭でも地域でも国家でも、果ては人類全体についても同じです。
個が個を大事じゃなくするときに公もボロボロになります。サービス残業でボロボロになっているのは一人一人の労働者だけでなく、企業そのものであり社会なんですね。現在人件費削って、企業内留保が高いっていうのは要するに「金は集めたものの行き先がない」状態であって、これは経済的にむちゃくちゃ不健全な状態、明るい将来の見えない状態なんです。
抽象的な話だけど、もし個の尊重を行うなら公の尊重も行「わなければならない」わけで、「行き過ぎた個人主義がまかり通り、公の尊重が置き去りにされている」っていうのはどこか認識がおかしいだろうと思う。むしろ現状の献金で政治を思い通りにしている経団連とか経団連と結託して国民を貧しくしようとしている自民党あたりのほうが「行き過ぎた個」であって公共心を尊重しなければならないのはこれからの子供じゃなくておまえらだろう、と言われるべきです。
もちろん罰則もなんにもない法律で、あくまでこの国のidealな意志表明にしか過ぎない教育基本法ですが、その中にすら「公は個のことなど知ったことではない。個は公に奉仕しろ」という思惑が見えてしまうのが腐ってると思う。
でも私たちはそういうところに住んでいるわけで、愛国心だとか言うならこの状況を変えるのが愛国心じゃないかなと思うのです。愛国心は現在の権力者を愛することじゃないからね。
↓こっちに投票してくれると嬉しいですが
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トヨタ TOYOTA の奥田碩元会長はあなたの生活を脅かす提言を行いましたへのトラックバックをお待ちしています!
ので、今回はちょっと世間話です。
憲法とか教育基本法とか罰則のないなんか裁判所とかが典拠にしそうな法律っていうのは直接関わってこないだけにどうでもいいと思いがちだし、実際どうでもいいんだけど、一箇所だけ大きく引っかかる部位がありました。
・家庭教育について
旧「国、地方公共団体によって奨励されなければならない」
新「保護者は、子の教育について第一義的責任を要する」
これって国とか地方公共団体を免責してないですか。
保護者とはいえ人間は孤独な存在です。子供は社会的な存在です。現状でも「しつけは親がやるものだ」という制度になっていると思うけど、実際共働きで消耗しきっているような保護者が子供に満足な家庭教育を与えられるでしょうか。
しつけは親の責任であって公共団体は知らないよ、っていうのは、環境が良い(祖父祖母が近くにいて、生活に余裕があって母親はいつも家庭にいて、いろんな場所に出かけたり本とか玩具を買ったり習い事に行けたりする)家庭と、余裕のない家庭では教育に差が出て当然だ、ってのを公言してないですかね。機会平等と結果平等なんてことを言うけど生まれた家で教育レベルが違ってしまうのは機会平等ではない。ただのギャンブル勝者の過剰な賞賛と公の責任放棄でしかない。公が個にできることを捨てて「公を尊重しろ」って言ってるんだから立派な話です。
そりゃヤラセでもやらないと話にならないよね。
公の精神をもうちょっと大事にしようってのが今回の変更のメインの思想らしいですが、公の精神っていうのがなんで大事かっていうと、一人一人の個が利益を受けるからです。もちろん、公の側も個を大事にするべきです。なぜなら個がみんなボロボロになると公もボロボロになるから。簡単な話です。
ケネディの「国が何をしてくれるかを考える前に、自分が国に何をできるかを考えろ」も同じ。個と公は対立する概念ではなくあくまで相補的なものです。だから、公を少数の個が牛耳っている場合はそいつらを退場させて自分たちを代表する公に戻すのが個のシゴトだし、公としても個の荒廃を是正しなければならない。会社でも学校でも家庭でも地域でも国家でも、果ては人類全体についても同じです。
個が個を大事じゃなくするときに公もボロボロになります。サービス残業でボロボロになっているのは一人一人の労働者だけでなく、企業そのものであり社会なんですね。現在人件費削って、企業内留保が高いっていうのは要するに「金は集めたものの行き先がない」状態であって、これは経済的にむちゃくちゃ不健全な状態、明るい将来の見えない状態なんです。
抽象的な話だけど、もし個の尊重を行うなら公の尊重も行「わなければならない」わけで、「行き過ぎた個人主義がまかり通り、公の尊重が置き去りにされている」っていうのはどこか認識がおかしいだろうと思う。むしろ現状の献金で政治を思い通りにしている経団連とか経団連と結託して国民を貧しくしようとしている自民党あたりのほうが「行き過ぎた個」であって公共心を尊重しなければならないのはこれからの子供じゃなくておまえらだろう、と言われるべきです。
もちろん罰則もなんにもない法律で、あくまでこの国のidealな意志表明にしか過ぎない教育基本法ですが、その中にすら「公は個のことなど知ったことではない。個は公に奉仕しろ」という思惑が見えてしまうのが腐ってると思う。
でも私たちはそういうところに住んでいるわけで、愛国心だとか言うならこの状況を変えるのが愛国心じゃないかなと思うのです。愛国心は現在の権力者を愛することじゃないからね。
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なお、教育改悪のメンバーに現場教師は2人ぐらいしかいません。学者もいるようですが、驚いたのは外食チェーンの社長がいます。ワーキングプアを作り出している階層の人間ですよ。
ちなみに子供たちは親をスパイするような教育を施すそうです。共謀罪がありますので可能な技ですね。
つまり、現状に不満がある親が、無能政府などとボヤクと学校に伝えられ、お上に通達されます。そして、共謀罪により逮捕された親は陪審員制度で、パフォーマンスに踊らされるバカ国民により罪を大きくされて処刑です。
なんか委員会はうまくいってないみたいですが。
死刑は無かった。それが、条文はどうにでも解釈できる
内容なので死刑死刑。