家内の両親は高齢ではあるが、自活している。一方、我が方は母親だけ、しかも寝たきりの生活だ。
一方、締め切った神奈川の我家も心配だ。おまけに先日起きた地震の影響も気になる。
でも、双方の親も心配だし・・・
それに、傍にいると親をサポートすることも結構あり、可能な限り手伝いたいなと殊勝な考えを持ち始めた。
時間は十分にある、やる気も出てきた。問題は先立つあれだけなんだな・・・
M銀行のHPから宝くじを調達、その結果が今月判明、それで問題は一挙解決の筈・・・

今日は、昨日行かなかった布刈公園へ行って見るかな。
門司には22年間住んでいたが、知らなかったな~、こんなお城があったんだ。
山頂の駐車場へ車を止め、歩くこと10分で山頂。御覧の石碑と、その後ろに開ける海峡、関門橋、見晴らしは最高。でもこれ以外、何もありません。
感傷に浸る間もなく、次は駐車場の反対側、パコダの塔へ。
訪れる人は少ないらしく、入口は無人。正直な人だけが料金を払うシステム、料金箱が置いてあった。
もちろん、正直者だから100円(二人分だけど、これでよかったのな?)を払って中へ・・・
やはり訪れる人は、ほとんどいないんだ~
中はかび臭く、一寸がっかり。この建物は小学生の頃建てられた。映画ビルマの竪琴がヒットした頃だったと思う。見るチャンスを逃し、今回訪れることを楽しみにしていたんだが、旬を逃したな・・・
山を下ると、途中に展望台がある。ここからの眺めも最高。
丁度真下が壇ノ浦にあたり、源平・平氏の戦いで有名な場所。その戦絵巻が大きな壁画に現されている。
その一部、義経の八艘飛びをパチリ。
程なく麓に達すると、その脇には、壇ノ浦を一跨ぎしている大きな橋「関門橋」がそびえている。
そして、すぐ近くは、この海峡をくぐる「関門国道トンネル」の人道入口がある。
今日は、トンネルに入らず、その向かいにある小さな食堂へ。
ツーリングマップルに載ってた、チャンポンとおでんが美味しいと記載されてたが・・・
うまい!!
おでんがうまい。車じゃなければ一杯やりたいよ~
さ~て、今度は対岸に渡ってみるかな。
さて、もう一度門司港駅に戻るかな。
以前帰省した際には無かったが、新たな企画が増えた様だ。「潮風号」なるトロッコ電車(気動車か?)が走り始めていた。
僅か2kmの距離を、僅か数kmの速さで走る、廃物利用風(失礼)トロッコだ。
廃線寸前の路線を利用したもの。でも、結構乗お客さんいるな~
ボランティアの腕章をした鉄道マニアのお兄ちゃん、ちょっと歳いってる風、が楽しそうに駅長職をこなしていた。休日も無給でやってると鼻をヒクヒクさせていた。
乗ってみよう。
少し走ると、トンネルだ。実は子供の頃、この前を通るたび、この先は何処に続いているのか興味津々だった。恐る恐る途中まで入った事もある。
トンネルに入ると、客車の天井にパッと青い光が・・・・、何?
慌ててシャッターを押したが、やはりピンボケ。まあ、雰囲気はこんなだったと言うことで・・・
そして、トンネルを抜けると、そこは・・・
バスが待っていた。
このバスで、トンネル上にある布刈公園に案内してくれるらしい。タダじゃないよ。
今回はパス、折り返しのトロッコで引き返し、母の待つ病院へ。
そうそう、バスの向こうに見えるのは下関側で、「火の山」と言う。これも次回行ってみようかな。
門司港駅を背に、10分も歩けばレトロ街の外れになってしまう。そして、その奥に見えるのが母の入院している病院だ。
毎日2回病院にやって来るが、その都度レトロ地区を観光する事になり、若干後ろめたい気もするな・・・
途中には、黒川紀章(確か、こんな字だったよね?)さんが設計したビルもあり、その真下には、こんな建物が・・・
そして、こんなのもあるよ。
裏通りには、寂れた建物も残っている・・・・
この傍らから船が出ており、数分で関門海峡を渡る事ができる。こんなに近いんだよ~
そこは本州の入口、大きく変貌した下関市街が・・・
もう少し、門司側を散策したら下関に渡ってみるかな・・・
母入院から一週間が過ぎた。今度は駄目か・・・、いやまだ頑張ってくれるだろう・・・
幸い、様態急変の知らせも無い、いけそうだ~そうなると、また悪い虫が騒ぎ出す。
折角九州まで行く事だし、一ヶ月も向こうで過す、何処か出かけるか、今度は佐賀、長崎方面かな・・・この話を持ち出すと、
「何言ってるの! あなたのお母さんのお見舞に帰るのでしょ~」
きっとこう言われるんだ。分ってる。でもな、オレも「何処か行きたい」病なんだ。
治療法は「何処か出かける」しかない。難病なんだヨ~
だから何処か行こ~明日、九州へ出発します。治療が進み、何処か出かけたら報告します。
治療できるといいいな~~
毎年行う孫との夏休み合宿、今年は止むを得ず中止。
母親見舞の帰省が近づいており、準備のためだが、残念だな~でも一日くらいは何とかしたい。そこで近場のズーラシアへ。
なかなか雰囲気のある動物園だ。孫達は大喜び
そうでもないヤツもいるな・・・
食べては走り、そして泣いて、最後は水遊びでずぶ濡れ。さ~帰ろ~
今回は、お泊りは無いよと言い聞かせたにもかかわらず、オジイチャン家へ行く~
長男は自転車で追ってくる、末っ子は走って、ルームミラーから見える必死の形相、家内も思わず涙・・・・
(でも一番大騒ぎした次男はいない、既にゲームを始めたか・・・)いつまで遊んでくれるかな・・・・、〆は毎年同じ台詞だ~
目覚めると港が見えた。いよいよ北海道の車旅が始まる~
・・・本当はそうなる筈だった・・・・
でも、まだ家にいるんだ17日、出かけるばかりになっていた。
朝一番、姉から電話が、「母が入院した、状体はかなり悪い」。ガ~~ン。
慌ててフェリーとホテルをキャンセル。さて帰省すべきか、もう少し様子を見るべきか・・・・
何度かメール、電話のやり取りの後、ヤキモキして待ってても仕方ない。取敢えず帰省と決めた。
※ ゴタゴタの中、家内とも色々話し合う必要が生じ、いつの間にか仲直りできてるよ~リタイア後の自由な身、1ヶ月ほど母親に付き添うかなと殊勝な事を考え始めた。
でも、1ヶ月も姉の所へ夫婦二人して転がり込む訳にもいかないし・・・・
あるんだね~
5割引、30日、家具付きというマンスリー*****を見つけ、早速手配、19日契約を終えた。
さて、週末の1000円高速を利用し、いざ九州へ!北の地、北海道を彷徨う予定が、北の地、北九州になってしまった。まあ、北が着くから善しとするか・・・・
何度かチャンスはあったが、相変らず冷戦継続中。(7/12開戦、まだ僅か4日だもんな・・・)
でも、明日車旅に出発しなくちゃいけない、予約もしてるし・・・
取敢えず、お昼から荷物の積込みを始めた。衣類のパッキングを頼んだら、「エッ、行くの~、喧嘩中なのに~」と仰る。
確かにそうだが、
- 旅を止めると、
暑い毎日、一階と二階に別れ冷戦が継続する。う~ん、気が重いな・・・
- 一人旅に切り替えると、
いいアイデアだが、旅が終わってみると、更に深い溝が横たわってる・・・、な~んて。
- 旅を決行する。
目下これで動いているが、旅先で戦闘再開もありえる。リスキーだな。
開放感から仲直りって可能性もあるけど、甘いかな・・・
まあ、明日までの成行き。ダメなら2番に切替って事にしよう。
いずれにしても旅に出ます。最長2週間ほどアップしませ~~ん。
ひょっとしたら、ずっ~~~~~と一人旅中、熟年一人旅か・・・
昨日から、嫁が孫(5ヶ月)を見せに泊りがけで来てくれた。息子は出張中と思ってたら、そうでもないらしい。
我が息子、どうも実家に近寄りたがらない。
学校卒業と同時に、通勤できるのにサッサとアパ-トを借り、一人住まい。
それに疲れると、今度はサッサと結婚してしまった。
それ以降、嫁に勧められても、なかなか実家に戻ろうとしない。
まあ、独立心があると思えばいいのだが、親としては今ひとつ釈然としないな~
一方嫁は、我々夫婦が気の毒と思ってか、息子が来なくともやって来る。
舅・姑相手じゃ大変だろうとこちらが気を使うが、そんな風ではない、実に堂々としている。
パクパク食べ、ゆっくり寝て、孫も大分慣れたから、今度一日預けますね~と言って帰って行った。
次は娘。今から行くからね~
それ以降待てど暮らせどやって来ない。本当に来るのかな?と思い始めた頃やっ御到着。
そして30分もしない内に子供達が帰ってくるから、戻らなくてはと言い始める。
用件は何かなと案ずると、これ母の日のプレゼント、これ父の日のプレゼントと嬉しい事を仰る。
でも、いつの母の日、父の日なの?
そんな事全く意に介さず、マイペースの娘。
暑~~い夏の日の出来事。
・・・・子育て間違ったかな・・・・
日の翳った頃を見計いいつものWalkingに出た。もちろん、お供はいつものmp3プレーヤー。
じわじわとスピードを上げ、やがてトップスピードに。
聞こえてくるミュージックもテンポのいい曲になってきた。こうなると、自然歌が出てくる。いいぞ~~♪
ところが続かない。何故?
息切だ。歩きながら歌えない。いやだね~
これも歳の所為か・・・
昔なら、この写真が温泉マークに見えた。そして、よからぬ妄想へ・・・
ところが今、「エッ、このクラゲ天地逆じゃない?」
こんな程度だ。
いやだね~
以前ふれた事がある新婚さん、幸せそうな毎日を過していた。
やがて子宝にも恵まれた。しかも四つ子。懸命に子育てをしていた。陰ながら応援してたんだけど・・・・
ある日、巣から一匹落下。気づいた時には事切れていた。餌の争奪戦に敗れたか、不慮の事故か・・・・
残りは三匹だ。
そして一昨日の事、外出先から戻ると玄関先が散らかってる。変だな?
見上げると、新居の一部が壊されている。しかも、かなり大きく。
その上、子供のいる気配がしない。暫くすると一匹だけが首を出した。残りは遂に確認できず。
翌朝、また巣が荒らされている。そして遂に残りの一匹もいなくなってしまった。カラスの襲撃かな・・・・・
親ツバメは玄関脇の電線で呆然としていた。
その内、戻って来なくなってしまったが、自然界の厳しさを目の当りにし、些かショック。
それにしても、全滅とは・・・・
長~~~い独身生活を終えた。
7月2日に父親の介護から解放され戻って来た家内、着いたその日から娘発熱の為、子供達(孫)のお守りで再度拘束状態へ。
完全解放は6日。そして今日7日は、我家でも久方の再会を祝し七夕祭りだ。
でもな~、古びた織姫様になったな・・・
牽牛も、この一月の体験で、家事の大変さを心底知った。更に、男一人残される悲哀も十二分に味わった。
できる事なら、先に逝かせて欲しい、との願いになる筈だが・・・・、まだ嫌だ。
それは、ず~~~~~~~~~~~~~~っと先にしてね。叶えてくれるなら積極的に家事は手伝うから。誓うよ!本当だよ~
それに、月・水・木・金と毎朝ゴミ出しをやった。近所の好奇に満ちたオバサン達の視線を背に受けながら。
ひょっとしたら、あそこ熟年離婚??そう言ってる様に感じたな・・・
お願いだから、それも無しにしてね~~