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レビューアンドチャレンジ日記

日常生活の中での気づきを書いています。

大きな決断。

2016年09月23日 11時56分33秒 | 雑想

10年半務めた会社を辞めようと決めた。

理由は明確だ。

<私が会社を辞める理由>

・仕事が飽きた

・変化も成長も見込めない

・管理職になりたいと思えるような組織ではない

・商品開発のスピードが遅すぎる

(というかすべてのスピードが遅すぎる)

・経営方針に納得がいかない

・人事評価に納得がいかない

・いるメンバーに魅力を感じない

・自分だけが苦労しているように感じた

 

<ここまで続けた理由>

・まぁまぁ給与が良かった

・仕事に必要な能力が備わっていた

・人間関係には恵まれていた(みんなから好かれ、一定の尊敬を集めていた)

 

辞める際の戦略はこうだ。

 

<他社に行く>

・仕事にやりがいを見出したいと思った

・新たな仕事に挑戦したいと思った

・自分の可能性が広がると思った

・以前より独立したいと思っていた

・収入的にも目途がついた(本当は全然だけど)

・今のような低いモチベーションで居座っても、

 周囲に良い影響が与えられるとは思わないし、

 そういう自分も嫌である

・これまで10年間も必死でやってきた

(だから、今更頑張れと言われても無理)

・期が変わり、担当も入れ替えるこの時期しか、

 辞めるタイミングはないと10年を迎えた春頃から練っていた

・今回の人事異動は直接関係がない

・ただ、役割・担当が同じであり、また売る商材も同じであり、

 今までと同じモチベーションで働けるはずもないと思った

・プロダクトセールスしか評価されない制度にも疑問を持った

 

<対外的なこと>

・知り合いのコンサルタントのところで、独立を目指して修行をする

・5年以上一緒にやってきた人なので、信頼はしている

 

<どんなプランを考えている?>

・とりあえず採用コンサルティング事業で生計を立てる

 STEP1:人のビジネスを手伝い、収入を得る(アウトソーシング業)

・人材、心理学、カウンセリング関係で新規事業を作る

 同時に人も雇い、組織を作っていく

 STEP2:自分のビジネスを起こし、収入を得る

・複数の事業を運営し、組織としての最適化を図る

 STEP3:強い組織を作る(強いって → しっかりとビジネスを存続させることができる人)

 

ビジネスをする → 時代の流れ、顧客のニーズをしっかりと捉え、
          それをカタチにして、サービスとして提供し続けること

 

以上

平成28年9月23日

 


努力しても報われないときは。

2016年05月05日 21時18分07秒 | 雑想

 

同じように頑張っていても、

結果は人によって違う。

ある人はそれなりに頑張っていて、

大成功している。

仕事でも私生活でもうまくいっていて、

FacebookやLINEなども楽しげな写真でいっぱいである。

欲しいものは全て手に入れているようにさえ感じる。

 

一方である人はそれなりに頑張っているが、

全然報われてない(と本人は思っている)。

仕事も楽しくない、私生活は充実していない、

ただ、日々を過ごすだけ、時に流されるまま生きている。

本人に残っているのは少しのお金と虚しさだけである。

 

孤独と向き合うのは嫌だから、

テレビやスマホで時間をつぶし、

たまに同じ境遇の人と飲みに行ったりして、

その場だけの楽しさで寂しさを忘れる。

でも、ふとした瞬間に虚しさややりきれなさ、寂しさが本人を覆う。

 

なんで、同じだけ頑張っていても、

こんなに結果が異なるのか。

同じような青春時代を過ごしているのに、

なぜこんなに人生の勝者と敗者に分かれるのか。

そんなに俺が下手なのか、ダメなのかと思う。

 

でも、それは違う。

 

もちろん両者とも頑張っている。

頑張っていることは認める。

しかし、頑張っている場所が違うのだ。

ある人は砂漠地帯で花を咲かそうと頑張っていて、

ある人は肥沃な土壌で花を咲かそうと頑張っているという類の違いが存在している。

 

同じ苗として、上に伸びようと真摯に頑張っている。

でも、土壌が異なるので、結果が大きく異なってくる。

 

この土壌は本人の頑張りだけでは変えられない。

だって、苗は与えられた場所でしか生きられないのだから。

 

では、その土壌とは何を指すか。

与えられた人間関係のことだ。

親、友人、恋人、パートナー、子ども、親戚

職場、同僚、上司、部下などなど。

これらはすべて与えられたものであり、

本人が選んだというものではないだろう。

 

人間関係は本人が選んでいるように見えるが、実は選んでいない。

正確に言うと、選ばされているのだ。

まずは「親」

これは確実に選べない。

もし選べたとしても、それは成人してからの親との「付き合い方」くらいだろう。

それまでは、確実に選択できないような影響を受ける。

 

友人も実は選ばされている部分がある。

人は同じような境遇にいる人間に共感しやすいものだ。

それとは対照的に真逆の環境にいる人とは接点を持ちづらいし、

距離を縮めにくいということがある。

 

恋人やパートナーも似たようなところがある。

ヤンキーはヤンキーの人と付き合うし、

オタクはオタクと付き合う。

病んでいる人は病んでいる人と結ばれ、

健全な人は健全な人と結ばれる。

 

人間関係は与えられたもの、

その土壌で生きるあなたが頑張っても、

その土壌による影響が大きいので、

人とは比較できない。

 

だから、同じように頑張っても、

結果が大きく異なるのだ。

 

大事なのは以下の3つを心がけていきることだ。

1、他人と自分では土壌が違う。

  あなたは栄養が少ない土壌で頑張っているだけだということを知る。

2、頑張っていることが悪いわけではない、頑張り方や頑張る場所が悪いだけ。

3、こんなクズみたいな土壌で咲いているあなたは誰よりも健気で美しいことを知る。

 


行動の一貫性を見極めること

2016年03月20日 22時55分44秒 | 雑想

人はいろんな経験を積む。

いろんなことに挑戦する中で、

いろんなことを学ぶ。

 

きっとその挑戦や行動に共通している点が、

本人の特性なんだろうな。

 

過去の話を聞いて、

その共通点を探って、

本人らしさを発見する。

マイクロナラティブをつなげるカウンセリング手法だ。

 

 

行動には理由がある。

 

なぜ、人を支援する活動に力を入れてきたのか?

答えは、「人の役に立ちたい」から。

なぜ、人の役に立ちたいと思うのか?

答えは「尊敬されたい」から。

なぜ、尊敬されたいのか?

小さいころ、大切にされたと思えず、

「自分の価値を感じられなかった」から。

 

自分の価値を感じられたない子どもは、友達といても、不安になる。

ここに居て良いのかな、もしかしたら、嫌われているのかな、

なんてことを考えて、一緒にいても楽しくなくなる。

 

子供の時に、親や周囲が存在価値をしっかりと認めてくれ、

向き合ってくれると、その人の基盤ができる。

生きる上での土壌ができる。

 

コンクリートの上じゃ花は咲かないし、

舞台がないのに、そこで輝くことなんてできない。

 

何事にも基礎が大切なのに、

それがないと幸せをつかみ取りにくい。

 

だって、自分で基盤や土壌を作らないといけないから。

この作業は大変だと思う。

 

他人は変えられないのだから、自分で自分の価値を認めてあげる、

「あ~、私って、よくぞ、この状況でここまで頑張ってきたなぁ。」

と思い、自分を許してあげることが何よりも重要なのではないか。

 

なんてこと思いながら、今日もそろそろ寝床に入ろう。


清原選手のニュース。

2016年02月04日 00時10分16秒 | 雑想

 

元巨人の清原選手が薬物で捕まった。

彼は強い人に見える。

彼は男らしい人に見える。

彼は薬物からは遠いように見える。

彼はスポーツマンに見える。

 

でも、彼はクスリに手を出してしまった。

理由はいろいろあると思う。

彼も当然、クスリはダメなことと知っていたはず。

でも、なんでしてしまったのか。

 

きっと彼にしかわからない孤独感や寂しさや虚しさがあったり、

気晴らしをしたかったり、はじけたかったり、気分を上げたかったり、

みんなと一緒になりたかったり、期待に応えたかったり、何かしらの理由はあるのだと思う。

 

昔の友人はそのニュースを聞いて、ショックを受ける。

でも、それだけ友人思いだったら、もっと早く彼が弱っていること、

道から外れそうになっていることに気づき、

手を差し伸べてあげても良かったのではないか。

 

クスリは絶対ダメなこと。

でも、それに手を出してしまう弱さが本人の中に芽生えていた。

周りの人でその弱さをカバーしてあげられなかったのか。

 

友達が万引きしたり、悪いことしているときに、

注意したり、なんでそんなバカなことをするのかという話を聞いてあげたりできる人が

本当に大切にすべき友人なんだろう。

 

そう思うと、彼は友達がいるようでいなかったのではないか。

 

周囲の人は強そうな清原選手に憧れて、寄ってくる。

でも、彼自身、「俺はそんな人間ではない。」と思ってたかもしれない。

でも、みんなが期待するから、「強くて豪快な人でいなきゃ」という思いがあったのかもしれない。

 

すべて想像の域を出ないが、

クスリやった、人生終わったで片づけるのではなく、

なぜそこに手を出してしまったかというプロセスも重要なのではと感じた。

 

僕も完璧な人間ではないと確信している。

流されやすい弱い人間だと理解している。

だからこそ、そのプロセスは自分にも当てはまる可能性があるのだ。

それをちゃんと知ることが薬物に手を出さないようにするには重要だ。


こんなところにいちゃダメだ。

2016年02月01日 21時35分14秒 | 雑想

 

なんかつまらないなぁ。

なんか周囲に腹が立つなぁ。

もっと周囲に尊敬できる素敵な人がいたらなぁ。

 

そんなことを思い始めたら、一回自分が所属する組織を考え直したほうが良い。

所属する組織は常に一緒である必要はない。

むしろ、自分の変化に合わせて、環境も変えていくべきである。

 

ある人は言った。

「人間は弱い生き物。自分で自分を変えることは難しい。

でも、人間が変わるために使える手段は2つある。

一つは環境を変えること。環境を変えれば、物事の見方や周囲から接する刺激も変わってくる。

もう一つは時間の使い方を変えること。時間の過ごし方を変えると、別の景色が見えてくる。」

 

だから、自分もこのままじゃダメだ、と思い始めたら、

環境を変えるか、時間の使い方を変えないと。

 

「そんなつまらないとこにいる人間じゃないでしょ。

 一歩踏み出さないと。」