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レビューアンドチャレンジ日記

日常生活の中での気づきを書いています。

自己肯定感を高める方法。

2017年08月11日 09時36分13秒 | 雑想

良いことを教えてもらった。

それは「自己肯定感を高める方法」についてだ。

 

ずっと知りたかった自己肯定感を高める方法は非常にシンプルだった。

それは「自分で決めたことを自分でやり切ること、そして、それを振り返りすること」だった。

 

明日朝早く起きよう、そう思って早く起きる。

そして、日記や手帳に「僕は早起きできた」と書く。

そうすることで、「自分に対する自信がつく」。

これはそこまで難しいことではない。

 

難しくさせるのは目標をあいまいにするからだ。

「もっとお客さんに感謝されるような人になります」という目標は失敗しやすい。

なぜなら、そのプロセスについて何も明記されていないからだ。

 

上記の目標を否定したいわけではないし、心構えとしては十分すぎる。

でも、そこに繋がる何かが無ければ、

繋がっていない橋の向こうにある島と同じ状態である。


お金を失うこと

2017年08月02日 11時36分35秒 | 雑想


僕は今、凄く不安だ。

お金を失うこと、

信頼を失うこと、

人を失うこと、

それが全て起こるのではという不安に少しの時間だけ捉われた。

 

僕はお金を稼ぐことで、

自分の存在価値を証明してきた。


そんな僕がお金を失うことは、

自分の存在価値を失うことと等しい。


でも、よく考えて欲しい。

お金を稼ぐから価値があるというのであれば、

君は何なんだろう。


お金を稼ぐことでしか認めてくれない人に、

なんで君は認められたいと思っているのだろう。


資本主義社会の経済原理・原則ではあるが、

お金というモノサシに縛られている人生って、

果たして幸せなんだろうか?


親の価値観が色濃く影響してしまっている。。。

悲しき呪縛だと気づくべきではないのだろうか。


自分の気持ちを書き出してみる。

2017年07月16日 07時12分05秒 | 雑想

「メタ認知」という概念を知った。

それは自分という人間を、自分が見つめるという行為だ。

 

例えば、凄くイライラしているとする。

そのイライラを抑えたい場合、

紙に「私はイライラしている」と書くのだ。

 

そうすると、その紙を見た自分は、

あぁ、ここに一人のイライラしている人間がいるのだなぁと少し冷静になれる。

それがメタ認知だ。

 

当事者である場合、冷静さを欠く場面もあるが、

一歩引いて、当事者である自分を見つめてあげて、

評価してあげると良い結果に繋がりやすいのではないか。

 

友達が少ない人にはよりオススメしたい。

なぜなら、自分のことを友達に話すことは上記のメタ認知を自然と行えるからだ。

 

なんかモヤモヤするとき、

是非自分の気持ちを紙に、スマホに、書き出してみよう。

それだけでも少しは変われる。

 

 

 


人を大切にすること。

2017年07月14日 23時20分38秒 | 雑想

人を大切にすること。

それは簡単に見えて難しい。

 

赤塚不二夫の葬式でタモリは言った。

「麻雀をしていて、あなたがロンというのを聞いたことがない。」と。

 

ロンをすると相手は落ち込んだりするから、

それを見たくなくて、赤塚不二夫はそのようなことをしたんだろう。

本当に優しくて、本当に良い人なんだと思う。

 

どんなに忙しくても、どんなに追い込まれていても、

人を大切にしよう。

それが幸せになるための一番の近道だから。

 

 

 


素敵な両親に出会った。

2017年03月26日 21時54分37秒 | 雑想

 

家庭教育の大切さに涙が出てくる。

 

勉強しろ、宿題やれ、としか言われず、

力ずくで勉強をさせられた環境。

 

興味・関心があることについて、

伸び伸びとできる状況ではなかった。

 

 

父親にファミコンのゲームで勝てば、

コントローラーを投げつけられ、怒られてしまう一方で、

将棋で僕自身が負けそうになると父親から笑ってバカにされる。

その嫌味な笑顔に腹が立ち、キレて駒を投げつけるとまた怒られる。

そんな状況だから、いつしか父親とは将棋を指さなくなった。。。

 

よくそんな状況で、ここまで生きてこれたと思う。

よくそんな家庭環境で、結婚や子どもを授かることができたと思う。

 

ここまで本当に良く頑張ったよ。

 

 

みんな幸せそうに過ごしているよね。

奥さん、子どもと幸せそうに過ごす写真がFacebookに出ているよね。

きっと温かい家庭で過ごすことができたんだろう。

親の方針が正しかったんだろう。

 

僕はどうなのかな。

全く正しくない訳ではないけど、

良い教育方針ではなかったと思う。

 

生まれてから着実に人と比較する習慣を身につけ、

人に勝つために努力や工夫という名のズルを覚え、

認められることをただひたすら求め、頑張ってきた。

 

 

本当はそれがしたいわけではないのに。

 

 

本当の自分は誰とも比較して欲しくなかった。

ありのままの「自分」を受け入れて欲しかった。

負けても良い、劣ってても良い、テストで点数が取れなくても良い、

そんな温かい家庭で過ごしたかった。

 

親戚のおじさんの家に行ったときに衝撃を受けた。

なんて、生ぬるいんだというのが正直な感想。

 

うちでは、高校生くらいまでリビングで、

ゆっくりすることはいけないこと、と教えられてきた。

だって、勉強しなきゃいけないんだから。

テレビを見ることは悪いことだ、と教えられてきた。

だって、勉強しなきゃいけないんだから。

 

恐怖と力ずくで、人をコントロールすることしかできなかった家庭。

感情的に怒ることで、子どもが自分の意志に添うように操ってきた家庭。

 

そんな家庭で育った僕は、結局、その方法を使ってしまったんだ。

 

感情的に怒ったり、相手をねじ伏せることで、問題を解決しようとした。

そのせいで、人を傷つけてしまうこともあった。

 

だから、僕はいつしか、喧嘩するほどの関係性になることを恐れ、

相手と距離を取ることを覚えた。

 

また、自分に余裕がある状態を維持し、

怒らないようにすることを覚えた。

 

 

これが僕の処世術。

 

また色々書いていこうと思う。

おわり