おいしい旅活!

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いろんな「旅」生「活」の、記録っす。

『グアム 0・1日目』

2016-11-20 15:30:00 | 旅行

0・1日目

15:30~17:00 自宅→日暮里着

17:05~17:50 日暮里→成田空港

↑TAX FREE AKIHABARA

↑Kabuki Gate

21:35 成田空港発→グアム


離陸して、数十分後。機内食が。

2:10(グアム時間) グアム国際空港着

空港の外に出ると、ムッとするほどの、暑さ。

↑これは、朝撮った写真


4:00 パシフィック・ベイ・ホテル着

↑窓からは、こんな風景が


7:30 起床

8:00 日本で買った、ランチパックの朝食

9:30 トレッキング

   FONTE DAM~川歩き~ロッククライミング


今日は、オプショナルツアーで、トレッキングを。

ホテルに、マイクさんという、日本語ペラペラの

ガイドさんが迎えに来てくれて、いざ、出発。

内陸部での攻勢

高台の日本軍指揮官は米軍の大胆な
攻略法を目前にすることができた。
米兵たちがアサンの橋頭壕を確保し、
さらに丘を登って次第に内陸部に
移動して来るのを彼等は確認した。

日本軍は丘陵斜面に強固な防衛施設を建設した。
あなた方の右手にある丘には司令部や
通信所が設置されていた。しかしこれらの施設は
米軍の進攻を単に遅れさせたに過ぎなかった。

 

日本軍の総攻撃

日本軍はこれらの高地から大規模な総攻撃を開始した。
1944年7月25日夜の総攻撃はアメリカ軍を海岸線まで
後退させる準備された作戦だった。

日本兵の中にはアサンポイント近くの
アメリカ軍陣地後方付近まで突入した兵士もいた。
しかしこの総攻撃の結果、部隊は組織的な兵力を失った。

「日本軍は全兵力を結集して攻撃した。
決断をしなければ軍の任務と目的である
島の確保が失われることを知っていたからである」
(第9海兵連隊ジョン・J・ジャック・エディ大尉)。

ここから、車を降りて、トレッキング開始。

ひたすら、坂道と下っていくと、

フォンテダムの、サインが。

草むらを分け入って、ぬかるんだ道を、

倒れた木をまたぎながら、歩くこと30分。

フォンテダムに到着。

↑フォンテダム


このあと、しばらく歩いてから、死のロッククライミングが。。

手でつかめる石を探りながら、足をかける石を定めて、

必死で(ヘタしたら、マジで死ぬかも…)登ること、5分。

ようやく、泣きながら(心の中で)山頂に到着。

↑さけ、こんぶのおにぎり(日本のより、一回りデカイ)、

 RICEKRISPIES TREATS(甘~い、かみなりおこしって感じ)、

 オレンジ、ミネラルウォーター

 

11:00 山頂で、ランチ

   食べ終わって、休憩していたら、スコールが。

   5分間ほど、土砂降りで、全身ずぶぬれ。 

↑日本軍が建てた、ポールの残骸


平静を装ってはいたけど、フラフラになりながら、

なんとか下山。。。

14:00 ホテル着

14:20 風呂に入ってから、思いっきり休息


ロッククライミングのダメージが大きかったようで、

両足が、パンパンで、ガクガク。

寝ている間に、足のあらゆるとこが、つるので、

ゼンゼン、熟睡できなかったじゃん。。

20:00 藤一番ラーメンで、ディナー


想定外に、体力を消耗してしまったようで、

あまり食欲が無かったので、麺類を食べることに。

店に到着すると、なんと、店の外に、待ってる人が。

 

藤一番ラーメンって聞いたことが無かったんだけど、

名古屋では、有名なチェーン店みたい。

 

ってことで、初日にエネルギーをメチャ使ってしまい、

明日からが、超不安になりながら、

 

22:00 就寝。。



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