旅の途中。~乳がん編~

H17年34歳で体験した乳がんの記録。

病理の結果。

2007年07月24日 | Weblog
手術から約10日後、運命の病理検査の結果が主治医から伝えられました。
回診の時、手術痕の消毒の後、
「病理の結果きてるかな?」
とカルテを確認した先生の表情から、私は良くない結果だったのだと悟りました。
私の主治医は顔が正直なんです。

「リンパへの転移はありませんでした」
硬い表情でそう言った先生に、私は無言で頷きました。
「ホルモンレセプターが2種類とも陰性なので、ホルモン剤は使えません」
「使えない…?」
私は思わず眉をしかめ、鸚鵡返しにつぶやきました。
ってことは…。
「しこり自体は小さかったのですが、がんの悪性度が高いことと、年齢的にまだ若いことを考えると、抗がん剤の治療が望ましいです」

は?
マジで??

正直、告知を受けたときよりもショックでした。

「え?だって…。だって私のがんは、私の体にはもうどこにもがんはないんですよね?」
すっかりパニくってしまい、しどろもどろでそう言うと、先生はベッドの脇にしゃがみこみ、私に目線を合わせ、言い聞かせるように落ち着いた口調で言いました。
「現時点で目に見える転移はありません。
でも、目に見えない小さながん細胞が、血液を伝って全身に広がっている可能性があるんです」
「でもないかも知れないんですよね?」
「それは分かりません。
今の医学ではそれを(目に見えない微小ながんの有無)確認する方法がないんです」
「転移してから治療するんじゃダメなんですか?」
私の言葉に、先生の側でやり取りを見ていた看護師さんが驚いたように目を丸くしました。
今思えはとんでもない発言ですよね。
無知とは本当に恐ろしい。
その時の私は、万が一転移したとしても、また手術で取ってもらえばいいと安直に考えていたのです。

そんな私のとんちんかんな発言に、先生は嫌な顔せず、真っ直ぐに私の目を見て説明してくれました。
「がんが大きくなって、転移という形で目に見えるようになってからでは、治療に時間がかかるし大変になってくるんです。
まだがんが目に見えない小さな段階の時のほうがやっつけやすいんです。
それが現在の乳がんの治療なんです」
「でもないかもしれない!」
思わず大きな声をあげた私に、先生は静かに告げました。
「前にお話した10年生存率の残りは、若い方なんです」
私は息を飲みました。
そんな事言わないでよ…。
返す言葉をなくして押し黙ってしまった私に先生は、
「退院前にもう一度話しましょう」
そう言って次の病室に向かいました。

まったく予想外の展開でした。
その時入院していた患者さんのほとんどが、術後の補助療法はホルモン治療のみ(温存の方は放射線治療も)だったのです。
抗がん剤治療と言われていたのは、たったひとりだけでした。
だから、私もホルモン治療だと勝手に思い込んでいたのです。
まさか抗がん剤治療をすすめられるとは。。。

抗がん剤は勘弁してほしい。
がんの告知を受けて以来、初めて涙が出そうになりました。

先生が言ってる事はよーく分かりました。
だけど、私の体なのです。
髪が抜けるのも自分。
嘔吐に苦しむのも自分。

がん細胞が確実に体に広がってますよ、って言うのなら話は別。
でも、あるかないかも分からないのに、つらい副作用を我慢して抗がん剤の治療を受ける意味があるのだろうか。
抗がん剤は正常な細胞も攻撃してしまう。
それは自分の体をいじめる事になるのではないだろうか。

そもそも抗がん剤の治療を受けたとしても、100%転移がないわけじゃない。
実際、会社の先輩の叔母さんが数年前に乳がんで乳房全摘手術を受け、抗がん剤とホルモン剤のダブルで治療していたにも関わらす、肺に転移がみつかって、私が入院していた同じ時期に再度抗がん剤の治療を受けていたのです。

「何話してたの?」
しばらくしてカーテンを開けると、隣りのベットのMさんにそう聞かれました。
他のふたりも心配そうに私を見ていました。
ただならぬ雰囲気を感じ取っていたのでしょう。
「抗がん剤治療したほうがいいって…」
私の言葉に、3人共息をのみました。

「お母さんに相談してみたら?」
Mさんにそう言われ、私は母に電話しました。
先生に言われた事、抗がん剤治療は受けたくないことを話しました。
母の返事は、
「あんたの体なんだからあんたが決めなさい」
…ごもっともです。

「髪はまた生えてくるよ」
「これから先の長い人生を考えたら、つらいのはほんの一時だけだよ」
他の患者さんたちは私の話を親身になって聞いてくれて、励ましてくれました。
だけど私はどうしても納得できませんでした。
手術前の説明の時、抗がん剤はどうしても使いたくないという患者さんの強い意志がある場合、使わないこともあると先生は言っていました。

ないかもしれないがんをやっつけるために、つらい副作用を我慢して抗がん剤の治療を受けるか、それともリスクを覚悟して拒否するか。
究極の選択でした。

次の日は、私のブルーな気持ちを吹き飛ばすような見事な秋晴れでした。
「今日は春みたいにあったかいよ」
朝食を運んできた看護師さんの言葉に無性に出かけたくなった私は、外出許可をもらい、お昼過ぎに出かけました。
無性に緑に触れたくて、なぜか自然の中に身を置きたくて、いてもたってもいられませんでした。

その時私の頭に浮かんだのが円山公園。
円山公園は、緑というより見事な紅葉でした。
緑が見たかった私としてはちょっと残念でしたが、紅葉は紅葉でとても綺麗でした。

ついでだから北海道神宮にお参りしよう。
そう思った私は、足元の落ち葉のカサカサという音を楽しみながら、ゆっくりゆっくり境内に向かいました。
魂がざわざわと喜んでいるのを感じました。
実は北海道神宮に行くのは初めてでした。

お賽銭を入れて祈りました。
「どうか導いてください」

おみくじを引いてみると、なんと大吉。
乳がんで入院していて、これから抗がん剤の治療を受けなきゃならないかもしれないというのになにが大吉さ!
そう思いました。

境内を出て、公園の木製のベンチに腰掛け、ややしばらくぼ~っと過ごしました。
秋色に色づいた木々の葉っぱが、黄金色の陽の光を浴びて輝いていました。
その光景があまりにも綺麗で、ぽかぽかあたたかくて気持ちよくて。。。

静かな時間。
心が洗われるよう…。

頭を空っぽにして目を閉じると、自分が透明になって、周りの空気と一体になったように感じました。
それは不思議な感覚でした。

肌寒くなってきたので、病院に戻ることにしました。
地下鉄の駅に向かう途中、珈琲店があったので寄ってみました。
病気の事も何も考えず、ただ甘いウィンナーコーヒーを味わいました。

珈琲店の隣りは教会でした。
数年前に友達の結婚式で来たことがある教会です。
私はその前で足を止めました。
真っ白なウエディングドレスを着て、家族や友人の祝福の拍手を浴び、愛する人の隣りで微笑む自分の姿を想像しました。
私にも、いつかそんな日がくるのだろうか…。

病院に戻ると、看護師さんに呼び止められました。
病理結果を聞いた時に、先生と一緒にいた看護師さんです。
「明日、回診の後、先生からお話しがあるって」
一気に現実に引き戻され、頬に緊張が走りました。
「先生は*rainbow*さんひとりで大丈夫って言ってるけど、もしご家族で来れる方がいるなら、来てもらって一緒に話を聞いたほうがいいかも…」
看護師さんはまた私が取り乱してしまうのが心配だったのかもしれません。
でも先生がひとりで大丈夫だって言ってるならねぇ。
それに母は「あんたが決めなさい」と言ってるし…。
「多分誰も来れないと思います」
そう答え、母にはあえて連絡しませんでした。

いつの間にか覚悟はできていました。
すべてゆだねよう。
円山公園でぼ~っとしてるうちに、なぜかそう思えるようになっていました。

明日もう一度先生の話をよく聞いて、それで先生が抗がん剤の治療をしたほうがいいというのなら…。
それが与えられた試練なら、立ち向かうしかないでしょう。

そんな私の決意とは裏腹に、事態は思わぬ方向に向かいました。

翌日、回診の後に詰め所に呼ばれました。
主治医と婦長さんがいました。
「どうぞ」
主治医に促され、私は丸イスに腰掛けました。
少し緊張していました。
先生はカルテを広げ、病理検査の結果を見せてくれました。
それには手術で取り出したしこりの写真がのっていて、私は思わず眉をしかめ、顔をそらしました。

「ここに、がんの種類、浸潤性乳管癌の充実腺管癌と書いてあります」
そう言って先生は専門書のような分厚い本を取り出し、私の前に広げて見せてくれました。
「これがそうです」
それはがん細胞の顕微鏡写真でした。
そんなもの見せられても…。
主治医の予想外の行動に、私はかなり戸惑いました。

先生は次に、病理検査の結果の用紙を指差し、
「この先生が*らいんぼw*さんの病理検査をしてくれた先生の名前です。
少し前までは違う先生だったんですけど、最近この先生に代わったんです」
と…。
「はぁ」
私は先生が何を言わんとしているのかさっぱり分かりませんでした。

「院長にも意見を聞いてみたのですが、院長はこれは充実腺管癌じゃなくて、髄様癌じゃないかと言ってます」

は??

「これです」
先生は今度は髄様癌の顕微鏡写真を見せてくました。
さっきの写真とは明らかに違うように見えました。
私は先生が何を言いたいのか理解しようと、眉間にシワを寄せながら一生懸命聞きました。

先生の説明によると、髄様癌は特殊型に分類されるがんで、乳がんの中で占める割合は稀とのこと。
細胞の顔つきが悪いのでグレード(悪性度)は3とついてしまうが、転移・再発が少なく、予後がいいと言われている癌とのこと。

「充実腺管癌と髄様癌の判別はとても難しいんです。
僕は乳腺を専門にやって10年になります。
もちろん素人ではないけれどプロでもない」
先生のその発言に、婦長さんが驚いたように仰け反りました。
口は挟みませんでしたが…。
「でも院長は長年乳腺の研究を続けていて、論文で博士号もとっているプロです。
本当ならば、病理の先生が出した結果を違うとは言いたくない。
でももしかしたら、院長が言ってることの方が合っているのかもしれない」
「はぁ…」
それっていいことなんだろうか、悪いことなんだろうか。
正直私にはさっぱり分かりませんでした。

先生は、髄様癌に対する抗がん剤治療の有効性について説明してくれたのですが、あまりよく覚えていません。^^;
抗がん剤を使うとしても少量でいい、やってもやらなくても効果は一緒、といったような話だったと思います。
その時やっと、この話がいい話なんだということが分かってきました。

「院長は*rainbow*さんの場合、がんの進行度がステージ1であることから、抗がん剤の治療をするのは忍びないと言っています。
抗がん剤治療は体にかかるダメージが大きいし、髪も抜ける」

ってことは…。
私、抗がん剤治療受けなくてもいいの??
全身がカーっと熱くなるのを感じました。

「あとは我々を信じてくれるかどうか、*rainbow*さん自身が決めてください」

信じますとも!!

「はい!」
満面の笑顔で答えた私に、
「よかったですね」
と、先生は優しく微笑んでくれました。
「ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げて詰め所を出ました。

思わぬ大ドンデン返し。
嬉しくて嬉しくて、自然に頬がゆるみました。
本当に大吉だと思いました。
奇蹟が起きたと思いました。

相談に乗ってくれた患者さんたちに報告すると、みんな
「よかったね~!」
と喜んでくれました。
「早くお母さんに電話してあげなさい」
そう言われ、すぐに母に報告しました。
母も安心したようでした。

13時の検温に来た婦長さんが私に言いました。
「私も8年前にこの病院で手術受けたんですけど、私も髄様癌だったんですよ。
8年経った今もこの通り元気です」
その言葉に、あやうく涙が出そうでした。

「○○先生はあの通りとても勉強熱心な方ですし、ひとりの患者さんのことを3人の先生方が話し合うのはとても素晴らしいことだと思います」
「はい。○○先生で本当に良かったと思ってます」
私はそう答えました。
 
本当に素晴らしいと思いました。
博士号を持つ院長先生の知識も、主治医の患者への誠実で真摯な姿勢も、先生方の素晴らしさをさり気なく患者に伝える婦長さんも…。

私は心の底から感謝しました。
この病院に導いてくれてありがとう。
そして、早い段階でがんに気づかせてくれて、本当に本当にありがとう。

もしも気づくのが遅かったら、気づいてもすぐに病院に来ていなかったら、こうはいかなかったでしょう。
生まれてこのかた、こんなに感謝したことがないっていうくらい、これ以上ないっていうくらい、感謝しました。

その2日後、抜糸を済ませ、予定通り退院しました。  
普通は嬉しいと思うのですが、なぜか寂しくて仕方ありませんでした。

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同じ病名 (菊田恵子)
2014-03-29 08:44:20
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