旅の途中。~乳がん編~

H17年34歳で体験した乳がんの記録。

入院。

2007年07月24日 | Weblog
10月半ば、人生初の入院生活がスタートしました。
病室は4人部屋。
ひとりひとりのスペースがゆったりとってあって、窮屈感がまったくなくて開放的。
日当たりも抜群で明るい感じの病室でした。
ベッドサイドに収入がたくさんあるのも嬉しい配慮でした。

共同の洗面所もトイレもバスルームも、思った以上にとっても綺麗。
2台ずつある洗濯機も乾燥機も廊下にある鍵付の冷蔵庫も、嬉しいことになんと無料!
なによりもありがたかったのは、3階のロビーに喫煙スペースがあることでした。
同室の方たちもいい人ばかりで、入院中とても快適に過ごす事ができました。

入院当日は、看護師さんから病院内の説明や入院中の注意事項について説明を受けたり、CTや心電図、肺活量や抗生物質のアレルギー検査があって、あっという間に夜になりました。

翌日と翌々日は検査もなく、時間に追われる生活が日常だった私にはまるで拷問のように退屈でした。
することがないので他の患者さんたちとおしゃべり。
会社の健康診断で引っかかった人、毎年受けてた乳がん検診で引っかかった人、自分でしこりに気づいた人、様々でした。
みんなそれぞれいろいろと勉強しているようで、参考になる話がたくさん聞けました。
札幌近郊の他、道内各地の方が地元の病院からの紹介で入院していました。
その時入院していた患者さんの中で私が一番若く、母の年代、祖母の年代の方もいました。
みんな元気でとても明るい事に驚きました。
ぱっと見、誰一人病人に見えません。
正直、もっと“どよよ~ん”としていると思ってました。

「片方胸がなくなったってどうってことないよ」
「もう用事がないから全摘することにした」
そう言って、あっけらかんと笑うおばさまたち。
そう思い至るまでには、きっとたくさんの葛藤があったことでしょう。
涙を流したかもしれません。
でも、最終的には現実を受け入れ、覚悟を決めて前向きに生きてゆく。
私は女性の強さを垣間見たような気がしました。

3階のロビーは患者たちの憩いの場。
一面ガラス張りになっていて、駅方面の街並みが見渡せました。
時には他の患者さんとおしゃべりしたり、時にはひとりで空を眺めながら、ゆっくり一服するのが私の楽しみでした。
そこには大型のテレビがあって、朝はNHKの連続ドラマ、午後は韓国ドラマを見るために、たくさん患者さんが集まっていました。
私の勝手な憶測ですが、もしかしたら病室にテレビがないのは、病室に引きこもりっぱなしにならないようにとのクリニック側の意図があるのかも知れません。

手術前日の夜、主治医から手術の説明があるため、母が妹と甥っ子と一緒にやって来ました。
当時二歳の甥っ子は、私を見るとぱっと顔を輝かせて駆け出し、私に飛びつきました。
天真爛漫で元気いっぱいの甥っ子は、どこに行っても人気者。
その時も他の患者さんたちから「かわいいね~」と言われ、私も上機嫌♪
そうです、私は伯母バカです(笑)

手術の説明は母とふたりで聞きました。
先生が用意してくれたパソコンで作ったと思われる数枚のプリントには、術前検査の結果や手術の術式、術後の治療について細かく書かれていました。
私の主治医はそのクリニックの3人の医師の中で一番マメだと評判でした。

温存手術と全摘手術の長所と短所の説明を受けて、どちらにするかの最終意思確認。
私は「温存でお願いします」と告げました。
放射線治療の為に、毎日片道1時間半かけて通院する億劫さを考えたら、いっそ全摘にしてしまおうかとも思いました。
そんな私を他の患者さんたちが止めてくれました。
「早まるんじゃない。まだ若いんだし、温存できるものをわざわざ取ることないって」
乳房を残したくても残すことができず、やむにやまれず全摘手術を受けなければならなかった方は、一体どんな気持ちで私の軽率な発言を聞いていたのでしょう。
それを思うと、土下座して床に額をこすりつけて謝りたい気持ちです。
もしもあの時全摘にしていたら、私は自分の短絡的な決断を一生後悔し続けたかもしれません。
元々ささやかな胸ではありますが、真っ平らになって傷痕だけが一本残った胸を見るたびに、悲しい気持ちになったことでしょう。
今は形成外科で乳房を再建することもできますが、早期で見つかって温存手術を受けられた私は、とても幸運だったのです。

先生の説明は続きました。
手術の10日後位に病理検査の結果が出て、がんの種類と性質によってその後の治療法が決まるとのこと。
その後の治療は転移・再発のリスクを下げるためのもの。
乳がんは女性ホルモンの影響を受けて成長するものが多く、その場合ホルモン剤が有効で、5年間内服することになるとのこと。
稀にホルモンの影響を受けずに勝手に育つ種類のがんがあって、こっちの方が厄介で抗がん剤の点滴になってしまう。
その場合、強い副作用のフォローをしっかりおこなうために、腫瘍内科医という専門の医師がいる病院を紹介してくれるとのこと。
その他、転移・再発のチェックの為に定期的にクリニックを受診し、CTと血液検査。
説明を聞いているうちにどんどん憂鬱になりました。
乳がんがそんなに厄介な病気だなんて、まったく知りませんでした。

一通り説明が終わった後、
「何か質問はありますか?」
先生にそう聞かれましたが、もういっぱいいっぱいでした。
聞きたい事はなくはありませんでしたが、今はまだ術後の治療法も決まってないのだから、病理の結果が出て治療法が決まってから質問しよう、そう思いました。
「ありません」
私がそう言うと、
「先生が手術してくださるんですか?」
と、母がスットンキョウな質問を…。
だからこうして説明してくれてるんじゃん!と思わずつっこみたくなりましたが、先生はぷっと吹き出し、
「はい。私が執刀させていただきます」
と深々と頭を下げました。
その時、この先生に巡り会えて良かったと、しみじみ思いました。

病室に戻ってから、最大の疑問を母に投げかけてみました。
「ホルモン剤を5年間飲むってことは、その間はきっと妊娠できないんだよね。
5年後っていったら私39歳だよ。
子供産めるんだろうか…」
そんな私の言葉に母はあっさりと、
「そんなこと今から心配しなくても、5年後も独りかもしれないじゃない」 
だって…。
確かにそうかもしれないけどさ。(ーー;)

乳がんの場合、手術後、転移・再発のリスクを下げるために、補助療法が行われるのが標準です。
補助療法には局所治療と全身治療があり、局所治療として放射線治療があります。
これは、乳房に残っているかもしれない微小のがん細胞をやっつけることが目的なので、乳房温存手術の場合に行なうもので、全摘の場合は行なわれません。
標準は25回ですが、手術で取り出した組織の病理検査の結果により追加になる事もあります。
一度に大量の放射線を照射すると、皮膚がただれて大変なことになってしまうので、少量ずつを5週から6週間にかけて、平日のみ照射します。
副作用として照射した部分が日焼けのような状態になり、赤くなってヒリヒリしたり、黒くなったりします。
ひどい人だと皮がむけたりつゆがでたりします。
でもそれは治療が終わり、しばらくすると元に戻ります。
人によっては治療中倦怠感を感じる人もいるようです。
また、治療後6ヶ月から1年以内に、放射線性肺炎を起こすことがごく稀にあるとのこと。
放射線治療を受けると、妊娠しても照射した乳房は大きくならず、母乳も出ないそうです。

全身治療にはホルモン療法と化学療法があります。
色々なパターンがあるのですが、病理検査の結果や年齢(生理の有無)などによって決まります。
乳がんは女性ホルモンの影響を受けることが多く、ホルモンレセプター(ホルモン受容体)が陽性の場合、がんがエストロゲンを餌に成長するタイプになり、ホルモン治療が有効です。
この場合、術後5年間(最低2年間)ホルモン剤を投与します。
もちろんその間妊娠はできません。
さらに、転移・再発のリスクが高いと判断される場合には、化学療法(抗がん剤治療)もプラスされます。
ホルモン剤の副作用はかなり太るということ。
5~6キロは普通に太るそうです。
また、ほてり・発汗・腰痛などの関節痛・情緒不安定・鬱といった更年期障害の症状があります。
副作用には個人差がありますが、薬を服用している期間続くことになります。
また、比較的副作用の少ない経口の抗がん剤を併用することもあるようです。

ホルモンレセプターが陰性の場合、ホルモンの影響を受けずに成長するタイプのがんなので、ホルモン治療の効果が期待できないため、化学療法(抗がん剤治療)になります。
化学療法の場合、ホルモン治療よりも期間は短く、3~6ヶ月間抗がん剤の点滴を行います。
抗がん剤治療の副作用は、全身の脱毛・強烈な吐き気・嘔吐・強い倦怠感・貧血・口内炎・爪の変色・生理が止まるなど。
また、生理が戻らない可能性もあります。
子供を産めなくなる可能性があるということです。
がん細胞をやっつけるためには、正常な細胞にもダメージを与えてしまうことになるのです。

辛い治療に耐えたとしても、残念ながら転移・再発が100%ないわけではありません。
乳がんの場合10年間転移・再発がなければ完治とみなされます。
10年です。
がんとはそうゆう病気なのです。