旅の途中。~乳がん編~

H17年34歳で体験した乳がんの記録。

なぜ私はがんになったのか。

2007年07月24日 | Weblog
がんの原因は「不明」。
保険会社に提出する診断書にもそう書かれていました。

喫煙とか、食生活の欧米化が原因などと言われていますが、私は断然ストレスだと思う。
私ががんになった原因はストレス。
そして、ストレッサーは自己否定感だと思っています。


“正直者は馬鹿をみる”
“念ずれば願いは叶うなんて妄想。世の中そんなに甘くない”
“みんな自分の利益のために平気で嘘をつき、善人の顔をして人を騙し利用する”

以前の私は本気でそう思っていました。
そんな私の意識が、周りの世界を形作っていたのだと今は分かるのですが、当時の私は、そう思って警戒する事で自分を守っているつもりだったのです。

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
「甘ったれるな」
3人姉妹の長女として産まれた私は、物心ついたころからずっと両親からそう言われて育ちました。

なんで、“お姉ちゃんだから”我慢しなくちゃいけないのか。
なんで子供なのに親に甘えちゃけないのか。

今でさえ納得できないのに、子供の頃の私が理解できるわけないのだけど、今よりも素直で純粋だった私は(笑)、お父さんとお母さんの言う事だからとしっかりいいつけを守り、妹たちの面倒をよくみる、いわゆるいいお姉ちゃんだったと思います。

でも、素朴な疑問が徐々に重大な不満へと変容しました。

なんでいつも私だけ我慢しなきゃならないの?
お姉ちゃんになりたくて生まれてきたわけじゃないのに。
この2人さえいなければ私は我慢しなくてもいいのに。
この2人さえいなければ私はもっと愛されるのに。

妹たちに向けられた私の思いは、いつしか憎しみとなり、中学生になった頃には妹たちとまったく口をきかなくなりました。
両親はそんな私を責めました。
妹たちにも両親にも周りの大人たちにもこころを閉ざし、私はひとりぼっちだと感じていました。

誰も私のことを分かってくれない。
そう思っていました。

そしてめでたく(笑)、典型的なアダルトチルドレンになりました。

我慢する事、自分のことは後回しで常に他人を優先する事、理不尽な扱いを受けてもけして怒らないこと、それが美徳なんだと信じていました。
人に甘えるのが大の苦手で、私にとって甘えるということは、情けないことであり、みっともないことであり、恥ずかしいことでした。
まして自分自身を甘やかすなんて、とんでもないことだと思っていました。

自尊心がめちゃくちゃ低かった私は、自分を大切にすることができず劣等感の塊で、自分が大嫌いでした。

そんな状態でしたから、私の日常は問題だらけ。
仕事、恋愛、経済面、どれをとってもうまくいかず、その原因は自分がダメ人間だからだと思い込み、いつも自分を責めていました。

そんな私が唯一自分の存在価値を認めることができたのは、誰かに必要とされる時だけでした。
誰かに認められる事で、
“私はここにいてもいいんだ”
“生きていてもいいんだ”
そう思えたのです。

人が嫌がることも、本当はやりたくないことも、文句を言わずに作り笑顔でこなす裏側には、
“こんなに頑張ってるんだから、
こんなに一生懸命やっているんだから認められるはず。
感謝されて当然”
そんな傲慢な思いがありました。

ところがそんな思惑に反して、いいように扱われることが多かったのです。
“こんなに自分を犠牲にして頑張ってるのに、どうして分かってくれないの?
どうして大事にしてくれないの?”
と、不満は増すばかり。

“誰も私のことを分かってくれない”
なんていじけてみたり…。
ほんと、困ったちゃんでした。

しかも、当時の私は仕事をふたつ掛け持ちしていて、ほぼ毎日朝9時半から夜22時位まで働き、丸1日休めるのは月に1度か2度だけ。
常に数字に追われ、精神的にも時間的にもゆとりのない、過酷な毎日でした。

今思えば、そんな生活から脱出する方法はいくらでもあったのに、見捨てられることへの恐れや、見栄や弱さが、私をそこに執着させていました。
エゴが私の首を締め、辞めるに辞められない状態にしていました。

もう疲れた。
少し休みたい。
こころもからだも悲鳴をあげていました。

でもその声を“頭”が振り切って、ブレーキのかけ方を忘れた暴走機関車のように走り続けました。
それが自分自身への冒涜であり、虐待であるということに気づきもせずに…。

ブレーキのかけ方を忘れた暴走機関車は、何かに衝突して自らダメージを受けない限り、止まる事ができないのかもしれません。

そんな時でした。
私の右胸の小さなしこりに気づいたのは。