旅の途中。~乳がん編~

H17年34歳で体験した乳がんの記録。

術後の経過。

2007年07月24日 | Weblog
手術の翌朝、尿管が外されました。
ベットから起き上がって歩けるようになり、軟禁状態(笑)から解放されて、気分的にずいぶん楽になりました。
とは言えずっと点滴しっぱなしなので、どこにいくにもお友達(点滴を吊るしている台)を連れていかなければならないのがあずましくありませんでした。

夜中に点滴の液が漏れてしまい、腕がぱんぱんに腫れたので、手の甲に針を刺していたので(ほんとに無知とは恐ろしいもので、液が漏れているなんて思いもしなかった私は、随分痛い点滴だな~と思うだけで、腕がぱんぱんになっても、ずっと点滴しっぱなしだから浮むくんでるんだなと思い、看護師さんに言わずにいたのです)手を動かすと針が血管を突き破って出てきそうで怖かった。
それでもお友達をガラガラ引っ張って、エレベーターで3階に行き一服しました。(^^ゞ

相変わらず胃がムカムカしていましたが、創は全く痛くありませんでした。
不謹慎かもしれませんが、正直こんなものかと思いました。
痛くないないのをいいことに、普通に術側の腕を動かしていると、あまり大きく動かさないよう看護師さん注意されました。

その日は朝食はなかったのですが、ヨーグルトやプリンなら食べてもいいと言われ、みんなが朝ご飯の時にヨーグルトを食べました。
すると胃のムカムカが少し落ち着きました。
もしかしたら、お腹が空いていたから胃がムカムカしていたのかもしれません。
身体がべたべたして気持ち悪かったのですが、看護師さんが体を拭いてくれてすっきりしました。

お昼にはおかゆがでました。
おかゆだけなのかと思いきや、ちゃんと他の患者さんと同じ内容のおかずもついていました。
ご飯を食べている時に母がやってきて、普通にご飯を食べている私を見てとても驚いていました。
もっと病人化してると思っていたようです。

昼過ぎにその日の分の点滴が終わって、お友達から解放されました。
手術前日の夜や当日の朝、友達や会社の人から、頑張ってねメールをたくさんもらっていたので、無事手術終了のメールを送りました。

頑張ってねと言われても、手術は麻酔で眠っている間に終わっちゃうわけで、頑張るのは私じゃなくて主治医だよね。

なにはともあれ、入院中にもらったメールは本当に心強かったし、ありがたかったです。

病気のことは会社の直属の上司と仲の良かった数人、友達に関しては3人にしか直接話していなかったのですが、それぞれのルートで広まったようでした。

術後2日目、抗生物質の注射と点滴が終了しました。
私の左腕は点滴と注射の針の痕だらけで痛々しい状態でした。
当分注射も点滴もしたくないと思いました。
洗髪と下半身のシャワーのお許しが出たので、早速シャワーを浴び、やっと頭を洗えて気分もすっきりしました。
何をするにもドレーン(体からでている管)が邪魔くさかったのですが、この管が抜けてしまうともう一度傷を開いてつけ直しになるというので、とても気を遣いました。

その日の回診は院長先生。
回診は毎日あって、3人の先生が交代で診てくれました。
私が院長先生に診てもらうのはその日が初めてで、乳腺組織に関する論文で博士号を取得していて、乳がんの権威と名高い先生ってどんな先生だろう?と、ひそかに楽しみでした。
第一印象は“マンガに出てきそう”(爆)。
小柄でポマードでばびっと髪を固めていて、どこか昭和のニオイがする、静かな話し方をする先生でした。
院長先生は私の手術痕を見てひと言。
「美しい」
勿論、私のおっぱいが美しいということではなく、手術の痕が美しいということで、執刀してくれた主治医の腕前を誉めたのだということは分かりましたが、場所が場所だけにちょっと恥ずかしい気がしました。

術後5日目にドレーンが外され、他の患者さんたちから
「早いね~、若さだね~」
と驚かれました。

入院する前は、自分の年齢を若いなんて思うことはほとんどありませんでした。
むしろ“もう”34だし~とネガティブに考えていました。
でも、入院患者の中で私が一番若く、年配の患者さんたちと比べて回復の度合いがかなり違うことは感じていました。
“もう”
じゃない。
“まだ”
なんだ。
そう思いました。

その日からリハビリの体操と、腕の上がり具合の測定が始まりました。
曲に合わせて腕を上げたり回したり…。
手術から日が経つにつれ、だんだん術側の腋の下が痛くなってきて、腕が上がりにくくなってきたのですが、そうゆうものらしいです。
きちんとリハビリしないと本当に腕が上がらなくなってしまうというので、痛みをこらえて頑張りました。

術後10日目、それまで下半身のみだったシャワーが全身OKになりました。
回診の時にシャワーの後の傷の具合を確認するとのことで、検温の後すぐに浴びました。
このあたりの術後のフォローのキメ細やかさが、すぐに退院できる大きな病院との違いなのかもしれません。
その時、初めて傷痕としっかりご対面しました。
しこりあった部分3cm位と、腋の下が4cm位、ドレーンが入っていた部分が1cm位の合計3箇所。
抜糸前のそこはかなりグロテスク。
フランケンじゃん…。
そう思いました。
その日のお昼のおかずのカレイのから揚げが、脇の下の傷とダブってしまい、食べられませんでした。

経過はとても順調で、お見舞いに来てくれた友人や職場の人たちは皆、元気いっぱいな私を見て、とても驚いていました。
体調もよく、最初は退屈で退屈で拷問のように思えた入院生活も、慣れるととても快適でした。
3食決まった時間に、栄養バランスを考慮された食事をとり、夜22時に眠って、朝7時には清々しく目を覚ます。
こうゆう生活が規則正しい生活なんだよな~としみじみ感じ、それまでいかに滅茶苦茶な生活をしていたのか思い知りました。
本もたくさん読めたし、他の患者さんたちとのおしゃべりも楽しく、私の心はとても平和でした。

ゆっくりと穏やかに流れる時間の中で、じっくり自分と向き合うことができました。
仕事を離れて、今まで当たり前に一緒にいた家族もいない、まったく知らない人達との生活。
私は少しずつ本来の自分を取り戻してゆきました。
“いい人”のふりをすることなく、在りのままの自分でいることが、こんなにも心地いいことなんだと知りました。

日に日に良くなっていく傷痕を見ていると、一生懸命癒そう、治そうとしている自分のからだが、とても愛しく頼もしく思えました。

人間の体ってすごい。
つくづくそう思いました。
たとえ頭で“死にたい”と思っても(私は思いませんが)、細胞は生きるために一生懸命働いてくれているのです。

体が発するSOSを、私は無視し続けました。
体があげる悲鳴を、聞いて聞かない振りを続けました。
鞭を打ち、酷使し続けました。

自分の体に対して、なんてむごい事をしていたのだろう。
そのことに気づいた時、私は愕然としました。

―ごめんね―

私は自分自身に謝りました。
今まで粗末にしすぎたね。

これからは大事にするから。
自分をいじめるような事は、もう絶対にしないから。
そう誓いました。