責任を持つということは、
あなたが言うこと、感じること、聴くこと、書くこと、見ること、
コミュニケーションをもつこと、
それらすべてを自分の一部として受け入れることを意味する。
自分に降りかかってきた事故や自分の嘘を受け入れることは、
いわば慈悲の行為といえるかもしれない。
責任を持つということは、
あなたが病気になったとき、
身体が自分のまだ知らない夢を浮上させようとしていると
理解することを意味する。
人間関係の葛藤、事故、そして、世界の問題とは、
自分にとって同意できない出来事が起こっていることに過ぎない。
責任を持つということは、
自分のアイデンティティに都合の良い出来事だけではなく、
自分が排除したい出来事に対しても、
しっかりと自覚を向けていくことを意味するのである。
責任を持つためには、
自分に起こっていることを潜在的には意味がある出来事として
尊重することが必要である。
こうした態度は、シャーマン、心理療法家、
タオイストに共通するものである。
禅にもこのような態度がみられる。
京都の禅の老師は「日々是好日」と言っていた。
これは「起こることすべてが完全である」という意味である。
起こることすべてを大切にし、それを生かし、その意味を見出すのだ。
シャーマンズボディより
「会いたい」との連絡が入ったのは昨夜遅くのことだった。
私が一度宿泊してみたいと思っているラグジュアリーホテル名をあげ、
そこで食事をして、一晩夜を共にできないか、と。
性交がしたい、とはっきり言えば?と伝えると、
そういうわけでは・・・と言葉を濁しながらも、
すでに予約を確保している旨の報告を受けた。
私は「責任」というものを持ち出した。
大人になった今、恋人も伴侶もいない女が男と性交をすることは
自分の責任において行う以上、非難される時代ではない。
男も行きずりではなく、まして一度結婚を考えたこともある相手だ。
妊娠をした場合、私はそれを結婚の材料にはしない。
今の現状を伝えるのであれば、
結婚せずに一生を添い遂げられるパートナーは欲しいが、
それ以外の異性には、正直関心を持たない。
いや、持てないと言った方が正しい。
私の好きなホテルを確保してくれてありがとう、と伝えた。
けれど、性交をすることは妊娠の可能性も否定できない。
私は伝えた。
今の状況でひとりで子供を育てていけないと思うから、
あなたともお会いできない。
気の交換を目的とするのであれば受けることもあるだろうけど、
快楽や逃避を前提にしたものは、
私の生活の中には一切、そうした受け入れる余白はないの、と。
まして・・・・・と続けた。
以前、あなたが結婚の申し出を伝えてくれたときにも
そこに私は不在で、あなたの都合ばかりが優先されていて、
私は幸せなれる隙間のないことを感じてしまったから。
この疾患を抱え、娘を育てることで精一杯なの。
そこに新しい生活や子供となると、
私にはどうしてもあしたがみえないわ、と。
それについて返信はなかった。
たぶん、忘れた頃に、何もなかったように連絡はくるのだろう。
けれど、私はもう二度とその連絡に対する返信を返すことはない。
性交によって一時の逃避はできても、
すべてから、自分から、出来事から逃避することはできない。
まして、物事をややこしく、複雑にする可能性の方が高い。
だから、そうした癖のついた男には慈悲などみせない。
同時刻、娘の携帯には娘の彼氏からのメールが届いた。
体中に発疹ができて、麻疹がうつったのかもしれない、と。
住まいのある新宿ではなく祖父母宅のある横浜にいるというので、
その旨を母親に伝えること、横浜の病院を検索し、
診てもらえる病院の連絡先をいくつか伝えた。
すると、俺は大丈夫、という返信に娘は激怒していた。
娘が麻疹になったとき(今も)、心配だと言って看病したいとか、
大学見学で外出した際も(医師の許可あり)送り迎えをしてくれたこと、
それなのに私はあなたのことを同じように心配しちゃいけないの?
まいちゃん(私の呼称)だってあなたを息子同様に思っているのに、
俺は大丈夫ってなに? 何様のつもり? と怒っていた。
しばらくしてから届いたメールには、
強がってごめん、もし体調が悪くなったときは傍にいてほしい、
少し様子をみて母親にもちゃんと伝える、と素直な気持ちがそこにはあった。
男って馬鹿だね、といって私と娘は笑った。
自分の考えを自覚し、もっと真剣に受け取ってもらいたい。
世界との同調や同意と共に生き、短い人生において、
どんな出来事も見逃すことなど私にはできない。
そこには多様な意味が込められているからだ。
自分の、世界の、地球の将来へ続く道が、
それぞれの足元には意味としてすでに用意されている。
それに気付くか否か、深慮するか否か、
それが差異となり、人生の色彩やいろどりや傾向や様子を
調節または変化させる。