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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

シャーマニズム・責任

2007年08月12日 08時43分22秒 | シャーマンズボディ








責任を持つということは、

あなたが言うこと、感じること、聴くこと、書くこと、見ること、

コミュニケーションをもつこと、

それらすべてを自分の一部として受け入れることを意味する。

自分に降りかかってきた事故や自分の嘘を受け入れることは、

いわば慈悲の行為といえるかもしれない。


責任を持つということは、

あなたが病気になったとき、

身体が自分のまだ知らない夢を浮上させようとしていると

理解することを意味する。

人間関係の葛藤、事故、そして、世界の問題とは、

自分にとって同意できない出来事が起こっていることに過ぎない。


責任を持つということは、

自分のアイデンティティに都合の良い出来事だけではなく、

自分が排除したい出来事に対しても、

しっかりと自覚を向けていくことを意味するのである。


責任を持つためには、

自分に起こっていることを潜在的には意味がある出来事として

尊重することが必要である。


こうした態度は、シャーマン、心理療法家、

タオイストに共通するものである。

禅にもこのような態度がみられる。

京都の禅の老師は「日々是好日」と言っていた。

これは「起こることすべてが完全である」という意味である。

起こることすべてを大切にし、それを生かし、その意味を見出すのだ。






シャーマンズボディより





 

「会いたい」との連絡が入ったのは昨夜遅くのことだった。

私が一度宿泊してみたいと思っているラグジュアリーホテル名をあげ、

そこで食事をして、一晩夜を共にできないか、と。

性交がしたい、とはっきり言えば?と伝えると、

そういうわけでは・・・と言葉を濁しながらも、

すでに予約を確保している旨の報告を受けた。







私は「責任」というものを持ち出した。

大人になった今、恋人も伴侶もいない女が男と性交をすることは

自分の責任において行う以上、非難される時代ではない。

男も行きずりではなく、まして一度結婚を考えたこともある相手だ。








妊娠をした場合、私はそれを結婚の材料にはしない。

今の現状を伝えるのであれば、

結婚せずに一生を添い遂げられるパートナーは欲しいが、

それ以外の異性には、正直関心を持たない。

いや、持てないと言った方が正しい。







私の好きなホテルを確保してくれてありがとう、と伝えた。

けれど、性交をすることは妊娠の可能性も否定できない。

私は伝えた。

今の状況でひとりで子供を育てていけないと思うから、

あなたともお会いできない。

気の交換を目的とするのであれば受けることもあるだろうけど、

快楽や逃避を前提にしたものは、

私の生活の中には一切、そうした受け入れる余白はないの、と。






まして・・・・・と続けた。

以前、あなたが結婚の申し出を伝えてくれたときにも

そこに私は不在で、あなたの都合ばかりが優先されていて、

私は幸せなれる隙間のないことを感じてしまったから。

この疾患を抱え、娘を育てることで精一杯なの。

そこに新しい生活や子供となると、

私にはどうしてもあしたがみえないわ、と。






それについて返信はなかった。

たぶん、忘れた頃に、何もなかったように連絡はくるのだろう。

けれど、私はもう二度とその連絡に対する返信を返すことはない。

性交によって一時の逃避はできても、

すべてから、自分から、出来事から逃避することはできない。

まして、物事をややこしく、複雑にする可能性の方が高い。

だから、そうした癖のついた男には慈悲などみせない。






同時刻、娘の携帯には娘の彼氏からのメールが届いた。

体中に発疹ができて、麻疹がうつったのかもしれない、と。

住まいのある新宿ではなく祖父母宅のある横浜にいるというので、

その旨を母親に伝えること、横浜の病院を検索し、

診てもらえる病院の連絡先をいくつか伝えた。







すると、俺は大丈夫、という返信に娘は激怒していた。

娘が麻疹になったとき(今も)、心配だと言って看病したいとか、

大学見学で外出した際も(医師の許可あり)送り迎えをしてくれたこと、

それなのに私はあなたのことを同じように心配しちゃいけないの?

まいちゃん(私の呼称)だってあなたを息子同様に思っているのに、

俺は大丈夫ってなに? 何様のつもり? と怒っていた。






しばらくしてから届いたメールには、

強がってごめん、もし体調が悪くなったときは傍にいてほしい、

少し様子をみて母親にもちゃんと伝える、と素直な気持ちがそこにはあった。

男って馬鹿だね、といって私と娘は笑った。

 


自分の考えを自覚し、もっと真剣に受け取ってもらいたい。

世界との同調や同意と共に生き、短い人生において、

どんな出来事も見逃すことなど私にはできない。

そこには多様な意味が込められているからだ。







自分の、世界の、地球の将来へ続く道が、

それぞれの足元には意味としてすでに用意されている。

それに気付くか否か、深慮するか否か、

それが差異となり、人生の色彩やいろどりや傾向や様子を

調節または変化させる。













シャーマニズム・洞察

2007年08月11日 03時00分40秒 | シャーマンズボディ







その方々にとってあなたは道を正す役割を担っている、と夢が語った。

あなたの幸せが彼らの幸せでもあり、

あなたにとっても彼らの幸せがあなたの幸せだと本心から思っている。

だからです、と夢は私に語りかけた。







私は交通事故に遭ったことによって、内省を余儀なくされてきた。

つまり、体が動けなく、不具合を抱えたことによって、

人生を振り返り、過去の選択においてなぜそのようにしたのかを探求し、

それがどのように今に作用し、明日への道へ降り積もるのかを

見つめざるを得なかった。







それは同時に心や魂を試されていることでもあり、

そして、生涯現役を貫ける私の役割についてそれが何か・・・・・

疾患を治すことよりもまず先に、

そのことが片時も私から離れる予断など許されてはこなかったように

今は振り返る。







それこそが孤独であると理解した。

天井との語らい、本やさまざまな言葉との出会いを通し、

それらと向き合う作業を、痛みの中で行ってきた。

そして、それらとの闘いではなく共存の道を模索する機会を

与えられたと思う出来事の連続によって快方を手に入れた。









人生とは一言で片付けられるほど、それは単純なものではなく、

特に男性にとってのそれは、私は女が考える以上に複雑であり、

辛く苦しい道のりではないか、とこの歳になり感受できるように変化した。

多くの、長年の男友達は今や経営者となり、

家族や恋人には明かせない孤独を抱えている。

私はその孤独を受け止める役割があることはすでに若い時分に

その方面に意識が向くような状態を経験してきているため、

私自身が孤独において、孤独を感じない、

あるいはそれを楽しめるようなエクササイズが毎日という重なりに融解し、

受身の姿勢を貫ける鍛錬が実を結び始めていることを感じている。








私は「私という主張」をすることにより

私が「私」から遠ざける事実にようやく気付いた。

それはどのようなことかというと「受身である姿勢」を貫くことが

すべてを円滑に、とどこおりなく、すらすらと流れ、

新たな展開が派生することを身をもって知覚し、

それにおける自分の反応や心が動かす様を洞察することによって、

ステージの底上げを、上昇を実現できるのだと夢は語る。








自然体でいる振りをしている人は多いが、

それはやがて剥がれてしまう類の自然でしかない、と。








「魂の癒し手」というフレーズによって、

真夜中にこうして私はたたき起こされた。

それを私がどのように解釈し、どのように調理するかは、

私や周囲への人生として、影響するのだとその夢は教える。








今回のタイへの渡航はその自答を手に入れ、

これまでにない満足感や幸せを持ち帰り、

それを今後に役立てるための時間になる予感が胸を躍らせる。








盟友との育みこそ、その存在を知り、力を、仲間である仕組みを

思い出させてくれる、または忘れていたあたたかさなのかもしれない。

自然への従順な姿勢は、人生の潤滑油となり、

歩む死への行進を軽やかなものに仕上げるだろう予感を

私は信じてやまない。

それは時間という洞察が誘い招いてくれた「道」の

はじまりに今は過ぎないかもしれないが・・・・・・






 




※写真は作者不明ですが私の作品でないことをここに追記します。








シャーマニズム・不可思議な力

2007年08月09日 23時53分50秒 | シャーマンズボディ






あなたはこう考える。

「私とはこれであって、あれではない。

決してあれは受け入れたくない」と。

それは大変な働きをする。

それは物事を推し進めるのだ。

 


 

シャーマンズボディより






突然の連絡は私にとって珍しい。

それは、周知されている疾患がどのように作用するのかを

周囲が理解してくれることで成立する。

けれど、今日のそれは違っていた。

そこには「予感」が佇み、手招きをし、微笑んでいた。






待ち合わせ場所にはその会社の運転手の方が出迎えてくれた。

ある店へ向かうとの予定を告げられ、

うどんを食べると聞いていたのに、洋食に変更されていた理由を、

突然、予約が取れたらしいのです、と短い説明を受けた。





「ここのクリームコロッケを食べさせたかったんだ」と言って

その人は店前で女将と私たちを待っていてくれた。

浴衣を正装として着付けた姿をみて、

「よくここまで着こなして」と女将に褒めてもらいながら

私はのれんをくぐった。





本題からはいる、と言って、すぐさま予定を聞かれた。

8月下旬から9月2週まで、時間を作って欲しい、と唐突に。

理由をお聞きしてから、と丁重に受け答えすると、

留学をする際に、まず、12時間のフライトに体調が耐えられるか、

それを約半分の時間であるタイへの渡航で検証してみたいこと、

現地医療視察に同行して欲しい旨を伝えられた。





療養を兼ねて、現地をいくつかのテーマに分類し視察する。

もちろん、私の体調に合わせた時間設定で、ギャラまで発生する。

飛行機はビジネスクラスを利用し、

米国への留学の際も航空券、

それもビジネスクラスを投資するとの申し出を受けた。





あなたでなければできないこと、

見えないことがあるからです。





実は今朝、シャーマンに言われていたのだ。

インドやCAへの留学前に海外へ行く予定が突如できる旨、

その自然の流れに敬意を示し、

それを受けることが一生を左右する自分の成長へ結びつくこと、

時期がきたら詳細をお伝えしますが、

その流れはすぐ目前に見えていますよ、と。






お盆明け、再度、私は友人をシャーマンを紹介するためだけに

南房総へ行く。






シャーマンは言う。

その際に簡単な流れの説明や解説をしますね、と。

今日の一日の流れはまさにその序章であり、

私は朝方CAの友人からの連絡に、号泣したばかりだったからだ。

お金の心配をせずに将来への道を心のある道と融合を果たせることは、

その道が私の道であることを、

証明する記しだとシャーマンは言う。

だからこそ、敬意や感謝を忘れずに、と。






不可思議な力によって、

私は自分の心ある道を歩むための整いが整備されつつある。

いや、GOサインさえでれば、あとは自然の流れに従い、

それらを自分の身に付けることに努力するだけだ。






自分の人生だからといって自分で支配しようとしなければ、

閉ざされた道は必然に開かれるものです。

どこかからそんな声が何度か聞こえた後、風が風鈴を鳴らした。






甘えよう。

今まで甘えることを知らずに生きてきた私だ。

存分に甘えてみよう。

そして、その甘えによって、社会に貢献できる従事を得られるなら、

私は甘えに対する恩返しができる。







嬉しいお申し出に感謝申し上げます。

涙をいっぱいにためた瞳でその人に深々と頭を下げ、

一人前になる姿を、どうか見届けてください、と伝えた。

ありがとうございます、

心の中で何度も何度も繰り返し、

道への責任を心に刻み込み、旅立とうと思う。




 


シャーマニズム・これまでの道

2007年08月09日 08時45分52秒 | シャーマンズボディ







ときには、心は今歩んでいる道を離れるべきだと言っているのに、

これまでの道を歩み続けてしまうことがある。

その道しか知らないために、そこにとどまらざるをえないのだ。

履歴は、自分がつくりあげた監獄であるにもかかわらず。





シャーマンズボディより









どうせお前には重すぎてもてやしないさ、と言って

父が3Fまで荷物を運んできてくれたものは、

会社に置いてあるはずの私の私物だった。

ほぼ同時刻、届いた電子メールには「転送します」とだけ記された

驚愕の内容が私を激怒させたことは言うまでもないことだろう。






7月は働いていないので、から始まり、

税金や社会保険・年金などを早急に以下振込み願います、との内容。

働いていないのではなく、働けない状況なのだ。

障害を抱えた身であることを知りながらの契約書改ざん、

セクハラは、大きな社会問題へと発展する内容を内包しているはずだ。






先日、非公開に行った弁護士との協議は、

私が知りえている内容を、日時、実名をあげて問題の詳細を伝えた。

弁護士の顔色がみるみる変化していき、

ペン先が震えてノートに文字を載せることができない状況なのだ。

弁護士も今回の件が決着したら顧問を下りるとまで言い、

私の心も汲み、最善を尽くすと約束してくれたはずだった。







私は仏のつもりでいたのだ。

死人がでないように、無駄な血が流れないように、

一撃を加えたとき、関係ない人間まで巻き込むことを避けた上での

仏になる選択だった。

そこには慈悲がある。

私の、相手への道も考慮した上での最善の提案を

譲歩も含め仏の自分を引き出しからかき集めたというのに。







闘いはしない。

けれど、私はもう仏ではなくなるだろう、と思う。

仏である必要がない人間には、仏である意味さえ理解できていない。

おそらくそれはとても残念なことであり、

最後の一瞬に共に夢をみることへの放棄すら意味している。

それは、自身が放った水を自身が浴びること、

ここで浴びるのは私ではない、彼らだ。








CAの友人から連絡が入った。

資金に対する私の心配を無意識に感じ取ったためだろう。

レンタカーだけ必要になるだろうから、それ以外はなにもいらない。

だから、日程がかわり次第、

密な連絡を取り合いスケジュールを立てよう、という提案だった。






私は世界に愛されている。

けれどなぜ、日本では愛されないのだろう。






ちなみに私がここへ留学をする場合、

最低でも2ヶ月の滞在費を含め授業料やライセンス取得料など

200万円は下らない。

それを航空券とレンタカー代以外は必要ないと言ってくれているのだ。

私は大陸を思った。

友人の許容や寛大さや心や私の今後の役割を思った。

道は島国ではなく、おそらく大陸にあるのだろうことを。









ときには、心は今歩んでいる道を離れるべきだと言っているのに、

これまでの道を歩み続けてしまうことがある。

その道しか知らないために、そこにとどまらざるをえないのだ。

履歴は、自分がつくりあげた監獄であるにもかかわらず。







心身へ浸透する言葉に、

これまでの道からこれからの道へのシフトなのだと理解した。

私は私の道を歩んでいくだけだ。

これからの道は、これからのあしたをつくる人たちと共に、

私もそこへ身を置き、ゆっくりと着実に歩調を整えるだけだ。

長年私が希求した道であるのだろう予感を内包する出来事を、

ただじっと眺め、時を読み、時を待つだけだ。

私は何もしない。

ただ相手を用意して迎える準備を、

いつでももてなせる心身であることに努めるだけだ。






シャーマニズム・心ある道

2007年08月08日 10時53分14秒 | シャーマンズボディ






自分の人生には「心」があるかどうか。





人生を意味あるものにすることはない。

あなたの内なる賢明な部分こそ「心」ではないだろうか。

心のある道を厳密に定義することはできないが、

個人の道をいかにして世界と結びつけるかという問題。

私はそれを知っている人だけを、友と呼び、信頼する。

道はそれぞれに用意されてはいるが、

そこに「心」があるかどうかは、その人間によって相違する。





何がいいとか悪いとか、そんなものは私にとってどうでもいいことなのだ。

子供を育てていると壁にぶちあたる。

それはそこには「心」や「揺らぎ」が存在し、

過去を振り返ることが助けになる。

自分や親や人類という過去を振り返ることが「今」を救済することにつながる。

木々も動物も風も空も海も太陽も、

人間と共に暮らし生きている。

そうした過去を振り返ることによって、

信頼や希望や可能性が生まれてくるのではないか、と私は思う。






私はよく「あなたの書く文章はよくわからない」と言われる。

その度に「この世界だけという一面性では生きていない」と説明をする。

けれど、その意味を理解してくれる人は無に等しかった。

夢で見た光景、肌や心の感触、直感、自然との語らい、

疾患を抱えた後、トンネルを通るたびに声がした。




”人間は利便という中で体を抉り、そこが今でも痛むのよ”という山神

”自然と共に生きている振りをしている人間を見抜きなさい”という海神

 


私が言葉を心に入れるものは、言葉が心身に入り込むものは、

そこに慈悲や愛情があるか否か、その一点にのみ集約される。

だから誰になにを言われようと、

それがないものは心の領域にまでは達しない。

音の連続にすらなり得ない。

心ある道とは、心ある道同士がつながり、助けになる。

心とは、強制でも、権力でも、威力でもなく、

もっと健やかで自由なものなのだ。








 

 


ドキュメンタリー映画「ヒロシマ・ナガサキ」 岩波ホールにて

http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/


私たちの過去の礎は、私たちこそが守るものだ。

この映画の存在を教えてくれた友人に感謝します。






シャーマニズム・召命(コーリング)

2007年08月08日 05時04分04秒 | シャーマンズボディ








召命がなければ、

シャーマニズムへの道は不完全なものになってしまう。





しばしその前兆として、さまざまな種類の内的体験がみられる。

これは世界中でみられるシャーマニズムの共通の特徴として挙げている。

普通の人間のままでいるのか、

あるいは大地の力やシグナルを感知して

それに従うことができる知者や戦士になるのか、

またいつそうなるのか、決めるのは精霊(スピリット)である。




共通の特徴とは、深刻な病気、臨死体験、狂気に至るような瞬間、

あるいは賢者があらわれる大きな夢などがそれにあたる。




自分が苦しんでいる戦いに生き残ることができるのは、

戦士の精神を持つ者だけであることに気付くだろう。

外的な指導者は、

仲間やコミュニティの感覚を与えてくれるという点では助けになる。

が、結局は自分次第である。




あなたの自我は簡単には死なない。

微細な感覚にあなたが耳を澄ますようになるのは、

それが死の脅威を持ち始めてからである。

ほどんどの場合、自然に従おうとはせず、それを支配しようとする。

医者、心理療法家、カウンセラー、聖職者、占師、組織コンサルタント、

そして、政治家にさえ頼ろうとする。

まるで自分自身の本質に逆らう異議申立人を探しているように。





シャーマンの道は、

自分自身や大地に起こる思いがけない出来事を感じ取ることに

基づいている。

測り知れない存在である大地の「夢見(ドリームタイム)」の精霊が、

あなたの基礎であり、あなたに生気を与え、あなたを鍛える。





それは空を飛ぶ鳥、水を泳ぐ魚、地上を駆けるクーガー、

熊、毒蛇、山頂に浮かぶ雲、暁の太陽、半月だ。

あるいは、自動車のクラクション、彼方を飛ぶ飛行機の爆音である。





そういったものをオーストラリアの先住民、

アボリジニの人々は「夢見(ドリーミング)」と呼ぶ。

彼らによると、この世界の出来事、地形、共時性は

大地の「夢見」によってつくりあげられているのだ。






新世紀がはじまろうとしている今、

世界中から先住民の生活が消え去ろうとしている。

しかし、シャーマンの物語はあらゆる人の中に生き続ける永遠の夢見であり、

破壊することはできない。

先住民の人々を殺すことはできても、

夢見を支配することは誰にもできない。

シャーマニズム自体は不滅なのだ。






あるアボリジニが教えてくれた。

カンガルーを殺すことはできるが、それは大したことではない。

なぜなら「カンガルー・ドリーミング」は誰にも壊すことができない、と。








上記、シャーマンズボディ(星雲社)より引用

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4434012827

 



 

確かに、私には召命がきている。

それもたくさん、だ。

長年に渡りそれに気付くことなく、生きてきたように思う。

なぜならそれは、普通の人間では起こりえないことを起こし、

感じ得ないことを感じ、

そうした師になる人間を、友人として世界中に持っているためだ。






神様(友人)は言った。





時を読むことは自分をみつめる大切な作業であること。

私の人生の中に「ドラマ」がある。

「かけがえのないもの」がある。

清算の時期は必ずやってくる。

自分を整え、その時を待ち、時を読むのだ、と。