RAGTIMEMAのダイアリー

徒然なるままにあれこれ思うこと【座右の銘】 卑屈にならない謙虚さ、うぬぼれない自信

黒人&白人ジャズ

2007年10月23日 02時10分05秒 | Weblog

 

176

●例外は沢山あるが、一般的に言って、 黒人が奏でたのが、ニューオリンズ・ジャズとブルース。 白人が奏でたのが、ディキシーとロックンロール。 それに上手く乗り、ボロ儲けしたのがユダヤ人。 WASP的白人になりたかったユダヤ人が、黒人の顔を借りて人種差別を語った。「肌が黒くてごめんなさいね。でも、肌の色は変えられないのよ。」という歌詞も、ユダヤ人に置き換えれば、「鼻がでかくてごめんなさいね(失礼)。でも、名前を変えればWASPになれる。」 そうして、ユダヤ人はティン・パン・アリーをのっとり、ハリウッドを買い取った。聖地を追い出され、故郷を失ったユダヤ人には黒人の気持ちがよくわかったのだ。だから「ポギーとベス」のような名作も、ユダヤ人から自ずと沸いてきた。 しかし、ユダヤ人は黒人とは組まなかった。彼らはむしろ見栄えの良いWASPになりたかったのだ。そんな中で、ユダヤ人のバーバラ・ストライサンドがバーブラに改名したり、HOBOKEN地区で育った訛りの酷いイタリア移民、フランク・シナトラが、カトリックからプロテスタントに改宗したり、ブルネットのマリリン・モンローが髪を金髪にしたりしたのだ。 ショウ・ビジネスの世界では常にアメリカン・アイディールを人工的に作り出していた。WASPがアメリカ社会でそこまで優先されたのは、人々がWASPをアメリカの理想像として捕らえたのは、少数派民族が自分の名前や容姿や訛りに引けを感じていたからだ。 それに比べれば黒人達は偉かった。金儲けのためなら、顔を黒く塗ってまでショウを繰り広げる白人達が沢山いる中、ありのままの自分をさらけ出し、表現した。彼らは決して泣きを見せなかった。 ブルースは長調。そこに現れるブルー・ノートがしばしば哀愁を生み出すが、歌詞からもわかるように、黒人達は悲しみさえも笑い飛ばしていた。ルイ・アームストロングのような、「悲しみよ、こんにちわ。黒くてごめんね、なんちゃって・・・」的なジャズは逆に人々の心を打った。 それに反したのがマイルス・デービスが奏でたようなクール・ジャズ。ディジーのように難しい理解に困るような音楽で、一生懸命踊って見せようと苦戦していたミュージシャンもいた。 一方、マハリア・ジャクソンのように、儲けようと思えばいくらでも儲けられたゴスペル・シンガーが、ナイト・クラブ出演を拒み続けたケースもある。 こうして考えると、ジャズには当時のアメリカ社会がたっぷりと反映されている。夢を追う。理想を追う。イカサマでも何でも、アメリカン・ドリームはいつの時代にもあった。考えれば考えるほど奥が深く面白い。

 

●今うちのアレェクスェイがピアノでナザレ(ブラジリアン作曲家)の曲を弾いていたので、思わずその横で踊ってしまいました。とってもリズミカルで明るい曲です。 ナザレの曲の中でも唯一副題として MAXIXE という言葉が付いているもので、そのタイトルは DENGOSO です。MAXIXE は ma/shi/sh と読みますが、lundu、ポルカ、ハバネラに影響を受けたもので、サンバ、ランバダ、ショーロとのつながりも深いです。 アメリカ南部でちょうどラグタイムが流行していたその頃、アルゼンチンやウルグアイではタンゴが、リオ・デ・ジャネイロでは ブラジリアン・タンゴが流行していました。1870年頃ですから正確に言うとラグタイムより少し早いですね。 南米の音楽は左手そのものがシンコペーションするものが多く、本来のラグタイムとは違いますが、西洋音楽に黒人要素が溶け込んだルーツを見てみるとラグタイムとは切っても切れない縁なのです。

裕美・ルミィヤンツェヴァ   http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


最新の画像もっと見る

コメントを投稿