RAGTIMEMAのダイアリー

徒然なるままにあれこれ思うこと【座右の銘】 卑屈にならない謙虚さ、うぬぼれない自信

レギュラー・メンバー勢揃い!!!

2007年10月23日 02時15分45秒 | Weblog

 

嬉しいことに東京の大手ジャズ・スポット『JZ BRAT』
春夏秋冬『ラグタイム・ナイト』を是非とのこと、
アレェクスェイの『GRANDAPA'S RAGTIME BAND』
レギュラー・メンバー早期復活です(にこにこ)!!!

10月23日(火) open:17:30
play 19:00~20:00、20:30~21:30

祝・復活アレェクスェイの『ラグタイム・バンド』

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@渋谷JZ BRAT  http://<WBR></WBR>www.jz<WBR></WBR>brat.c<WBR></WBR>om/top<WBR></WBR>.html


GRANDPA'S RAGTIME BAND:

n

p アレェクスェイ・ルミィヤンツェフ

vo 裕美・ルミィヤンツェヴァ

cl 後藤雅広

b 小林真人 


【ミュージック・チャージ】¥4,200 (ミニマム・オーダー 1drink)


【御予約&お問い合わせ】
JZ Brat TEL 03-5728-0168 (受付時間 平日11:00 - 23:00)


【FOOD & DRINK】: http://<WBR></WBR>www.jz<WBR></WBR>brat.c<WBR></WBR>om/foo<WBR></WBR>d.html<WBR></WBR>


【場所】:東京都渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー東急ホテル2F
(渋谷南口より徒歩5分/国道246沿い) http://<WBR></WBR>www.jz<WBR></WBR>brat.c<WBR></WBR>om/map<WBR></WBR>.html

フライヤー「jzbratpdf.pdf」をダウンロード

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≪GRANDPA'S RAGTIME BAND のレギュラー・メンバー≫

●【ALEXEI RUMIANTSEV】 
アレェクスェイ・ルミィヤンツェフ(ピアノ)

サンクト・ペテルブルグ出身。幼少よりピアノを始め音小・音中・音高を経てリムスキー・コルサコフ音楽大学、ケルン音楽大学(クラシック・作曲科、クリストフ・メイヤー教授、ジャズ・ピアノ科、ジョン・テイラー教授師事)にて10年間修学(ドイツ及びロシアの大企業より奨学金取得)。クラシック作品(チェロとピアノの2重奏、ソプラノのための歌曲、電子音楽の無限大カノン、ヒンデミス・ピアノ曲のオーケストラ化、ロシア民謡楽団のための日本歌曲他)・オーケストラ共演多数。ロシア最高のラグタイム・ピアニスト、ジャズ・オルガン奏者として様々なジャズ・フェスティヴァルで活躍。また、作・編曲家としても国境を越えて活動。報道記事、ラジオ録音多数。ドイツ文部大臣、ロシア政府、ヨーロッパ貴族認定の実力。日本各地で公演の他、今後、多くの国際ジャズ・フェスティバルに 出場予定。2004年8月にデビューCDをリリース。


●【HIROMI RUMIANTSEVA】 
裕美・ルミィヤンツェヴァ(ヴォーカル)

横浜出身。4歳より音楽教室に通いオルガン・ピアノ 《阿部明子(武蔵野音楽大学卒)、井上百合子教授(東京芸術音楽大学・同大学院卒)師事》・アンサンブル演奏・声楽に携わる。希望ヶ丘高校卒業後、語学留学(英)、ケンブリッジ大学検定試験特級コースを終了。ドイツ留学を経て、独語、独文学、ドイツ語経済・産業・商業の資格を取得。詩人、ジャーナリスト、翻訳・通訳家として国境を越え活動。同時に、ナイツブリッジ大学にて 英文学専攻(フォン・ツークバッハ教授師事)。後に、ロシアにて本格的に音楽活動。アレェクサンダー・カヴァレンカ(リムスキー・コルサコフ音楽大学声楽科卒)師事。数々の国際ジャズ・フェスティバルに出場しマスコミより注目を浴びる。フリーランスとして、ジャズ欄、文化・芸術欄にて連載。イベント企画に力を注ぎ、ショウ・ビジネスの世界でも活躍。


●【MASAHIRO GOTOH】  
後藤 雅広 (クラリネット)

北海道出身。法政大学卒業後渡米、ニューオーリンズで現地のミュージシャンと交流を持ち、ニューオーリンズ名誉市民に登録される。外山喜雄とディキシーランド・セインツに参加,プロ活動を開始、以後東京ディズニーランドでも15年間演奏。1998年退団後フリーランサーとして活動している。自己のバンドのほか中川喜弘とデキシーサミット、白須孝尚とスイングボックス、田畑貞一G,浅草ハブ・デキシーランダースなどに所属。都内及び近郊のライブスポット(スイング、スイングシティ、関内BARBARBARなど)にて主に活動中。録音CD多数、ロサンジェルスのクラシックジャズフェスティバル、サクラメント・ジャズジュビリーに1999年、2000年連続参加。1999年録音した「ロッキン・イン・リズム」は月刊ステレオ(音楽之友社発行)で2000年度のポピュラー部門優秀録音年間第2位を受賞。


●【MASATO KOBAYASHI】 
小林 真人(ウッドベース)

東京出身。早稲田大学ニューオリンズジャズクラブでベースを始め、三上和彦のグループでプロ入りスタートした。1983年サクラメント・ジュビリー(故)マキシン・サリバンのサポートを受け持ち、1988年外山喜雄とディキシーランド・セインツに参加、1993年にフリーとなり 現在は 北村英治のグループに在籍(1996年から3年間オランダプレタジャズの出演)スタイルに関係なくスイングするベースマンを心掛けている。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


どうぞお楽しみに!!!   裕美・ルミィヤンツェヴァ


転載自由!!!

2007年10月23日 02時14分27秒 | Weblog

 

1

----->8----- ちょきちょき ----->8----


○10月23日(火) open:17:30 @渋谷


祝・復活アレェクスェイの『ラグタイム・バンド』!!!


play 19:00~20:00、20:30~21:30 @渋谷JZ BRAT
http://www.jzbrat.com/top.html

GRANDPA'S RAGTIME BAND:p アレェクスェイ & vo 裕美
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/
cl 後藤雅広、b 小林真人

【場所】:東京都渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー東急ホテル2F
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(渋谷南口より徒歩5分/国道246沿い)

【ミュージック・チャージ】¥4,200(ミニマム・オーダー 1drink) http://www.jzbrat.com/food.html


【御予約&お問い合わせ】 JZ Brat TEL 03-5728-0168
(受付時間 平日15:00 - 21:00)

♪アレェクスェイの『GRANDAPA'S RAGTIME BAND』早期復活、
春夏秋冬『ラグタイム・ナイト』!!!



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○10月23日(火) open:17:30 @渋谷

2007年10月23日 02時13分07秒 | Weblog

 

P8240013

祝・復活アレェクスェイの『ラグタイム・バンド』!!!


play 19:00~20:00、20:30~21:30 @渋谷JZ BRAT
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GRANDPA'S RAGTIME BAND:p アレェクスェイ & vo 裕美
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/
cl 後藤雅広、b 小林真人

【場所】:東京都渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー東急ホテル2F
http://www.jzbrat.com/map.html
(渋谷南口より徒歩5分/国道246沿い)

【ミュージック・チャージ】¥4,200(ミニマム・オーダー 1drink) http://www.jzbrat.com/food.html


【御予約&お問い合わせ】 JZ Brat TEL 03-5728-0168
(受付時間 平日15:00 - 21:00)

♪アレェクスェイの『GRANDAPA'S RAGTIME BAND』早期復活、
春夏秋冬『ラグタイム・ナイト』!!!

神戸でFMデビュー

2007年10月23日 02時11分21秒 | Weblog

 

6

関西ツアーでは慣れない土地で色々と大変でしたが、
実りの秋に救われてか、良きニュースも舞い込んでまいります。

9月8日 ニューサントリー5、9月10日 DAY BY DAY で
我々の演奏を聴いてくださったラジオ局の方のご配慮で、
早くも11月3日、『文化の日』に神戸でFMデビューする運びとなりました。

世界10言語で神戸・長田から放送されている
『FMわぃわぃ』という多文化・多言語コミュニティ放送局で
我々のライブ模様が取り上げられる予定です。




放送日程:11月3日(土)19:00~20:00
番組:『JAZZ レコード・タイム』
放送局:FMわぃわぃ(77.8MHz)
公式サイト:http://<WBR></WBR>www.tc<WBR></WBR>c117.o<WBR></WBR>rg/fmy<WBR></WBR>y/


宜しかったらお聴きくださいませ!!!



裕美・ルミィヤンツェヴァ
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/

黒人&白人ジャズ

2007年10月23日 02時10分26秒 | Weblog

 

176

●例外は沢山あるが、一般的に言って、 黒人が奏でたのが、ニューオリンズ・ジャズとブルース。 白人が奏でたのが、ディキシーとロックンロール。 それに上手く乗り、ボロ儲けしたのがユダヤ人。 WASP的白人になりたかったユダヤ人が、黒人の顔を借りて人種差別を語った。「肌が黒くてごめんなさいね。でも、肌の色は変えられないのよ。」という歌詞も、ユダヤ人に置き換えれば、「鼻がでかくてごめんなさいね(失礼)。でも、名前を変えればWASPになれる。」 そうして、ユダヤ人はティン・パン・アリーをのっとり、ハリウッドを買い取った。聖地を追い出され、故郷を失ったユダヤ人には黒人の気持ちがよくわかったのだ。だから「ポギーとベス」のような名作も、ユダヤ人から自ずと沸いてきた。 しかし、ユダヤ人は黒人とは組まなかった。彼らはむしろ見栄えの良いWASPになりたかったのだ。そんな中で、ユダヤ人のバーバラ・ストライサンドがバーブラに改名したり、HOBOKEN地区で育った訛りの酷いイタリア移民、フランク・シナトラが、カトリックからプロテスタントに改宗したり、ブルネットのマリリン・モンローが髪を金髪にしたりしたのだ。 ショウ・ビジネスの世界では常にアメリカン・アイディールを人工的に作り出していた。WASPがアメリカ社会でそこまで優先されたのは、人々がWASPをアメリカの理想像として捕らえたのは、少数派民族が自分の名前や容姿や訛りに引けを感じていたからだ。 それに比べれば黒人達は偉かった。金儲けのためなら、顔を黒く塗ってまでショウを繰り広げる白人達が沢山いる中、ありのままの自分をさらけ出し、表現した。彼らは決して泣きを見せなかった。 ブルースは長調。そこに現れるブルー・ノートがしばしば哀愁を生み出すが、歌詞からもわかるように、黒人達は悲しみさえも笑い飛ばしていた。ルイ・アームストロングのような、「悲しみよ、こんにちわ。黒くてごめんね、なんちゃって・・・」的なジャズは逆に人々の心を打った。 それに反したのがマイルス・デービスが奏でたようなクール・ジャズ。ディジーのように難しい理解に困るような音楽で、一生懸命踊って見せようと苦戦していたミュージシャンもいた。 一方、マハリア・ジャクソンのように、儲けようと思えばいくらでも儲けられたゴスペル・シンガーが、ナイト・クラブ出演を拒み続けたケースもある。 こうして考えると、ジャズには当時のアメリカ社会がたっぷりと反映されている。夢を追う。理想を追う。イカサマでも何でも、アメリカン・ドリームはいつの時代にもあった。考えれば考えるほど奥が深く面白い。

 

●今うちのアレェクスェイがピアノでナザレ(ブラジリアン作曲家)の曲を弾いていたので、思わずその横で踊ってしまいました。とってもリズミカルで明るい曲です。 ナザレの曲の中でも唯一副題として MAXIXE という言葉が付いているもので、そのタイトルは DENGOSO です。MAXIXE は ma/shi/sh と読みますが、lundu、ポルカ、ハバネラに影響を受けたもので、サンバ、ランバダ、ショーロとのつながりも深いです。 アメリカ南部でちょうどラグタイムが流行していたその頃、アルゼンチンやウルグアイではタンゴが、リオ・デ・ジャネイロでは ブラジリアン・タンゴが流行していました。1870年頃ですから正確に言うとラグタイムより少し早いですね。 南米の音楽は左手そのものがシンコペーションするものが多く、本来のラグタイムとは違いますが、西洋音楽に黒人要素が溶け込んだルーツを見てみるとラグタイムとは切っても切れない縁なのです。

裕美・ルミィヤンツェヴァ   http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


黒人&白人ジャズ

2007年10月23日 02時10分17秒 | Weblog

 

176

●例外は沢山あるが、一般的に言って、 黒人が奏でたのが、ニューオリンズ・ジャズとブルース。 白人が奏でたのが、ディキシーとロックンロール。 それに上手く乗り、ボロ儲けしたのがユダヤ人。 WASP的白人になりたかったユダヤ人が、黒人の顔を借りて人種差別を語った。「肌が黒くてごめんなさいね。でも、肌の色は変えられないのよ。」という歌詞も、ユダヤ人に置き換えれば、「鼻がでかくてごめんなさいね(失礼)。でも、名前を変えればWASPになれる。」 そうして、ユダヤ人はティン・パン・アリーをのっとり、ハリウッドを買い取った。聖地を追い出され、故郷を失ったユダヤ人には黒人の気持ちがよくわかったのだ。だから「ポギーとベス」のような名作も、ユダヤ人から自ずと沸いてきた。 しかし、ユダヤ人は黒人とは組まなかった。彼らはむしろ見栄えの良いWASPになりたかったのだ。そんな中で、ユダヤ人のバーバラ・ストライサンドがバーブラに改名したり、HOBOKEN地区で育った訛りの酷いイタリア移民、フランク・シナトラが、カトリックからプロテスタントに改宗したり、ブルネットのマリリン・モンローが髪を金髪にしたりしたのだ。 ショウ・ビジネスの世界では常にアメリカン・アイディールを人工的に作り出していた。WASPがアメリカ社会でそこまで優先されたのは、人々がWASPをアメリカの理想像として捕らえたのは、少数派民族が自分の名前や容姿や訛りに引けを感じていたからだ。 それに比べれば黒人達は偉かった。金儲けのためなら、顔を黒く塗ってまでショウを繰り広げる白人達が沢山いる中、ありのままの自分をさらけ出し、表現した。彼らは決して泣きを見せなかった。 ブルースは長調。そこに現れるブルー・ノートがしばしば哀愁を生み出すが、歌詞からもわかるように、黒人達は悲しみさえも笑い飛ばしていた。ルイ・アームストロングのような、「悲しみよ、こんにちわ。黒くてごめんね、なんちゃって・・・」的なジャズは逆に人々の心を打った。 それに反したのがマイルス・デービスが奏でたようなクール・ジャズ。ディジーのように難しい理解に困るような音楽で、一生懸命踊って見せようと苦戦していたミュージシャンもいた。 一方、マハリア・ジャクソンのように、儲けようと思えばいくらでも儲けられたゴスペル・シンガーが、ナイト・クラブ出演を拒み続けたケースもある。 こうして考えると、ジャズには当時のアメリカ社会がたっぷりと反映されている。夢を追う。理想を追う。イカサマでも何でも、アメリカン・ドリームはいつの時代にもあった。考えれば考えるほど奥が深く面白い。

 

●今うちのアレェクスェイがピアノでナザレ(ブラジリアン作曲家)の曲を弾いていたので、思わずその横で踊ってしまいました。とってもリズミカルで明るい曲です。 ナザレの曲の中でも唯一副題として MAXIXE という言葉が付いているもので、そのタイトルは DENGOSO です。MAXIXE は ma/shi/sh と読みますが、lundu、ポルカ、ハバネラに影響を受けたもので、サンバ、ランバダ、ショーロとのつながりも深いです。 アメリカ南部でちょうどラグタイムが流行していたその頃、アルゼンチンやウルグアイではタンゴが、リオ・デ・ジャネイロでは ブラジリアン・タンゴが流行していました。1870年頃ですから正確に言うとラグタイムより少し早いですね。 南米の音楽は左手そのものがシンコペーションするものが多く、本来のラグタイムとは違いますが、西洋音楽に黒人要素が溶け込んだルーツを見てみるとラグタイムとは切っても切れない縁なのです。

裕美・ルミィヤンツェヴァ   http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


黒人&白人ジャズ

2007年10月23日 02時10分05秒 | Weblog

 

176

●例外は沢山あるが、一般的に言って、 黒人が奏でたのが、ニューオリンズ・ジャズとブルース。 白人が奏でたのが、ディキシーとロックンロール。 それに上手く乗り、ボロ儲けしたのがユダヤ人。 WASP的白人になりたかったユダヤ人が、黒人の顔を借りて人種差別を語った。「肌が黒くてごめんなさいね。でも、肌の色は変えられないのよ。」という歌詞も、ユダヤ人に置き換えれば、「鼻がでかくてごめんなさいね(失礼)。でも、名前を変えればWASPになれる。」 そうして、ユダヤ人はティン・パン・アリーをのっとり、ハリウッドを買い取った。聖地を追い出され、故郷を失ったユダヤ人には黒人の気持ちがよくわかったのだ。だから「ポギーとベス」のような名作も、ユダヤ人から自ずと沸いてきた。 しかし、ユダヤ人は黒人とは組まなかった。彼らはむしろ見栄えの良いWASPになりたかったのだ。そんな中で、ユダヤ人のバーバラ・ストライサンドがバーブラに改名したり、HOBOKEN地区で育った訛りの酷いイタリア移民、フランク・シナトラが、カトリックからプロテスタントに改宗したり、ブルネットのマリリン・モンローが髪を金髪にしたりしたのだ。 ショウ・ビジネスの世界では常にアメリカン・アイディールを人工的に作り出していた。WASPがアメリカ社会でそこまで優先されたのは、人々がWASPをアメリカの理想像として捕らえたのは、少数派民族が自分の名前や容姿や訛りに引けを感じていたからだ。 それに比べれば黒人達は偉かった。金儲けのためなら、顔を黒く塗ってまでショウを繰り広げる白人達が沢山いる中、ありのままの自分をさらけ出し、表現した。彼らは決して泣きを見せなかった。 ブルースは長調。そこに現れるブルー・ノートがしばしば哀愁を生み出すが、歌詞からもわかるように、黒人達は悲しみさえも笑い飛ばしていた。ルイ・アームストロングのような、「悲しみよ、こんにちわ。黒くてごめんね、なんちゃって・・・」的なジャズは逆に人々の心を打った。 それに反したのがマイルス・デービスが奏でたようなクール・ジャズ。ディジーのように難しい理解に困るような音楽で、一生懸命踊って見せようと苦戦していたミュージシャンもいた。 一方、マハリア・ジャクソンのように、儲けようと思えばいくらでも儲けられたゴスペル・シンガーが、ナイト・クラブ出演を拒み続けたケースもある。 こうして考えると、ジャズには当時のアメリカ社会がたっぷりと反映されている。夢を追う。理想を追う。イカサマでも何でも、アメリカン・ドリームはいつの時代にもあった。考えれば考えるほど奥が深く面白い。

 

●今うちのアレェクスェイがピアノでナザレ(ブラジリアン作曲家)の曲を弾いていたので、思わずその横で踊ってしまいました。とってもリズミカルで明るい曲です。 ナザレの曲の中でも唯一副題として MAXIXE という言葉が付いているもので、そのタイトルは DENGOSO です。MAXIXE は ma/shi/sh と読みますが、lundu、ポルカ、ハバネラに影響を受けたもので、サンバ、ランバダ、ショーロとのつながりも深いです。 アメリカ南部でちょうどラグタイムが流行していたその頃、アルゼンチンやウルグアイではタンゴが、リオ・デ・ジャネイロでは ブラジリアン・タンゴが流行していました。1870年頃ですから正確に言うとラグタイムより少し早いですね。 南米の音楽は左手そのものがシンコペーションするものが多く、本来のラグタイムとは違いますが、西洋音楽に黒人要素が溶け込んだルーツを見てみるとラグタイムとは切っても切れない縁なのです。

裕美・ルミィヤンツェヴァ   http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


室内音楽からの流れ

2007年10月23日 02時05分32秒 | Weblog

0e655d05_240● 一方室内では19世紀のクラシック音楽が奏でられていました。その中でも最も身近な楽器が88鍵上で、オーケストラの出しうる全ての音色を再現できるとさえ言われているピアノでした。
こちらは譜面に書かれた音楽です。そして、クラシックとジャズのつなぎ手をしたのがラグタイムです。

西洋音楽の和音に、アフリカ黒人のシンコペーションを取り入れた非常にリズムカルな楽曲です。こちらもツー・ビートが主体で、強調する拍のずれが大きな特徴でした。

右手でメロディー・ラインを奏で、左手で和音を奏でるという左手が大幅に左右する奏法は後にストライド・ピアノの奏法として発展してゆき、譜面に頼らずに即興で演奏をし始めたピアニスト達により、ジャズの先駆けとなりました。

ラグタイムを即興した時点でジャズが誕生したのか、ストライド奏法を認識した時点がジャズの誕生なのか、線を引くのは非常に難しいです。

その後はこのジャズというスタイルが急速に発展していきましたので、初期のジャズに関しては譜面の残っているものが少ないのが残念なことです。

黒人が白人を真似たというのは当時白人しかピアノや譜面に書かれた音楽を持っていなかったわけですから必然的なことなのです。

ラグタイムがブルースを取り入れてジャズを生み出したという観点は、明るく楽しいラグタイムに沢山のブルー・ノートを加えて暗い短調の趣き深いジャズを生み出したということなのでしょうが、実際に調べてみると短調のラグタイム曲も沢山世に残っています。

特に見逃しがちなのが、ブラジルなどのラテン・アメリカの要素を取り入れたピアノ曲がラグタイム曲として多数残っているということです。

そして、ジャズの誕生といえば、ツー・ビートがフォー・ビートに変わったということです。皆が皆、ステージで何かしらやらかしてやろうと客の目を引いたのがジャズのステージでした。

ですから、曲1つではなく、ジャズそのものが常に変化している物であったのです。ですから、どこからどこまでという境界線を引くこと自体が不可能なことで、ジャズとは時の流れの如く、その瞬間瞬間を楽しんだ音楽なのです。

2度と同じ時間が流れないように、2度と同じ音も奏でられない。そんな人が生きる上での哲学がジャズにはたっぷりと隠されているのです。そして、ジャズ・ミュージシャン達はその瞬間瞬間を燃えるように生きたのです。

●ブルースのルーツはむしろ、フォーク・ソングやカントリー・ソングを奏でていたバンジョー弾きやギター弾きと関連深いものだったと察します。

これらの楽器では、様々な音色や広い音域を持ち合わせたピアノとはかなり異なり、超絶的な演奏というよりは、単純なコード進行を中心に楽しんでいたのだと思います。

またピアノよりは手頃な楽器で野外演奏も可能でした。ですから、当時は白人よりも黒人の演奏家が多かったはずです。譜面がなくとも、音楽教養がなくとも、最低3つのコードさえ覚えれば演奏可能であったこともブルースの特徴でしょう。

8バー、12バーのブルースもそういった環境の中でごく自然に生まれたのだと思います。そしてそれらが、全ミュージシャンの共通語になるまでには様々な歌詞が歌われてきました。

伴奏が単純ですので、その歌詞は永遠にあるかの如く複雑で、同じラインをリピートしながらも、沢山のフレーズが登場します。

野外演奏をしていたマーチング・バンドが室内演奏をしだした頃に、ピアノに続きウッドベースがジャズ演奏に幅広く取り入れられました。そこで一儲けしたのが、当時ラグタイム・ピアノ譜を販売していた出版者達です。バンド・ブームの到来と共に沢山のバンド譜、パート譜を要したのです。

ラグタイム畑の人たち、ブルース畑の人たち、マーチング・バンド畑の人たち、色々なミュージシャンが肩を並べて演奏したのがジャズ・バンドの始まりです。

そして、戦争により、人種の坩堝アメリカが統一され、白人も黒人もユダヤ人もヒスパニック人も関係なく兵士となり、黒人系ニュー・オリンズ・バンドも白人系ディキシー・バンドも肌の色はもはや関係なく一緒に奏でたのがビッグ・バンドの始まりです。

国民が統一されたので、メンバーが増えたというわけです。そこで活躍したのが、アレンジャーや指揮者です。

また、マイクの発明により、張り上げ系の黒人より、見栄えの良い白人が採用されるようになり、スイング音楽がダンス・ホールを埋め尽くし、これらのバンドはやがてハリウッドへ移動していきました。

この影響で東海岸のジャズが西海岸へ渡ったのです。今となってはジャズそのものが歴史の一部です。


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何も見ないで書いていますので、どこかずれていたらすみません。でもざっと言ってそんな感じです。

裕美・ルミィヤンツェヴァ  http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/

 


ブルースあれこれ

2007年10月23日 02時03分24秒 | Weblog

           

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まずブルースと一言でいっても沢山のブルースがあります。

古い物ですと、アーリー・ブルースといってラグタイム・ソングに含まれるヴァース2回、コーラスの繰り返し2回で構成されているものです。

しかしこちらは、タイトルだけがブルースといった感じで、コード進行やメロディー・ラインを見てみると、単にラグタイム・ソングです。

たとえブルースであっても、現在皆が思っているブルースとは一味違って、ものすごくぐちゃぐちゃで複雑なスタイルが特徴です。

その後の変化といえば、このコーラスの部分を取って、もっとシンプルにして、コードに基づいて演奏したことです。それらが、ブルースを意識し始めた頃のブルースです。

ラグタイム譜として残っているブルースにコードは書いてありません。左手の伴奏でさえ全て譜面に書かれています。ラグタイム曲の中には、コーラスの部分だけが残り、ディキシーやジャズ・ソングに発展していった物が多いです。

ディキシーといっても、ニューオリンズ・ジャズと同じで、黒人でなく、白人が演奏したので敢えてディキシーと呼んだわけですが・・・

これがラグタイム譜から派生したタイプのブルースです。

●まずブルースとジャズは別路線ですね。

野外で生まれたジャズの誕生は1850年頃のコンゴ・スクエアで、鍋やら、空き瓶やら、音の出る物を利用し、どんちゃん騒ぎしていた黒人達に由来します。

リンカーン率いる北軍が勝利し、自由を与えられた黒人奴隷達が、魂の叫びのごとく音を発したのがそもそもの始まりです。

黒人奴隷といえば、直ぐにアフリカと結び付けられますが、実際にはアフリカから直接ではなく、カリブ海に浮かぶ島々を経由して南部に入ってきた奴隷も沢山おりました。

当時のアメリカでは、アングロ・サクソンと黒人の混血とフランス・スペイン系と黒人の混血をはっきりと区別しておりました。そのまた2世、そのまた3世、そのまた4世にまできちんとした名称が付いていたくらいです。

その中でもクレオールという言葉が馴染み深いと思いますが、黒人のみならず様々な国の様々な人種の持ち合わせる要素が上手く融合し生まれたのがジャズです。

勿論、ドレミの音階を使用しているわけですから、行進曲やら、ポルカやら、当時の西洋音楽の影響もあります。黒人のざわめきから、やがてマーチング・バンドが生まれ、ニューオリンズ・ジャズへと発展していきました。

その粋な音楽を真似して奏でたのがディキシーの始まりです。帽子をかぶり、蝶ネクタイをし、正装して演奏したのも1つの風習ですが、そのバンド構成にも特徴がありました。

フロントに欠かせないのが、トランペット(コルネット)、クラリネット、トロンボーンの3人組です。リズムを刻むドラムも必要不可欠です。ウッドベースの変わりにチューバやスーザフォンなどが代用された時代でもありました。ピアノの代わりにコード進行を受け持ったのがバンジョーでした。

こうして人間が歩くときに生まれた自然なリズム、人間が踊るときに生まれた自然なステップが、ツー・ステップの音楽となり、ジャズの原型として座を占めたのです。

 

裕美・ルミィヤンツェヴァ  http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


日本最古のピアノにびっくり!!!

2007年10月23日 02時01分33秒 | Weblog

 

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自分の人生にはいつもピアノが付き物。
幼少のときからずっとずっと奏でていたピアノ。
ピアノでは挫折したものの、
ピアノと自分は無論切り離すことなどできなかった。

そんな謎を自分と大変つながりの深い長崎の地で追ってみた。
すると、驚くことに日本最古のピアノは、
ドイツよりオランダ経由で長崎に運び込まれ、
現在も山口県萩市にある熊谷美術館にあるということがわかった。

この美術館には萩藩御用商人であった熊谷家が
代々集めてきた美術品や文書が展示されており、
「ピアノ」は幅広く事業を展開し、長崎にも出店を持っていた
「豪商熊谷」、4代五右衛門義比が
歴史的にも文化的にも価値ある物として自負しているそうだ。
五右衛門は毛利藩所帯型御用達商人であり、
歴代熊谷家当主の中でも特に文化に明るかったらしい。

当時入国禁止を言い渡されていたドイツ貴族、シーボルトが
当時唯一入国を許可されていたオランダ人になりすまして、
自分が愛用していたピアノを日本に持ち運んだのがそもそもことの始まり。

五右衛門は、出島に出入りする蘭学者達のスポンサー的役目もしており、
とりわけ、同じ長州出身の岡研介という蘭学者に多くの援助を行っていた。岡研介はシーボルト門下のうち特にオランダ語会話に秀でた人物で、
シーボルトに面会する者は皆、研介の世話になったという。

実はこのピアノも、研介を通じて
シーボルトから五右衛門の手に渡った物だった。
そして、楽器が出島から萩へ向かった直後に、
かの有名な「シーボルト事件」が起きた。

熊谷家ではそれ以後、ピアノを人目に触れないよう、
また一切口外しないようにしていたと伝えられている。
1955年になって、再び当家でもこの楽器に光が当てられることとなり、
様々な調査が行われるようになったのだ。

しかしながら、国内ではメディアを通して
このピアノを知る人も近年増えたが、
オランダでは日蘭交渉史専門家でさえ、このピアノのことを知らない。

1999年、これをシーボルトが使用していた19世紀当時の姿に戻すようにと
オランダ人フォルテ・ピアノ修復家を萩に招き、修復作業が行われ、
日蘭交流400周年記念事業「出島の頃」というプロジェクトを中心に
「シーボルトのピアノ」に対する人々の興味も相当深まった。

このピアノが、出島で使用された様々な楽器のうちでも、
唯一現存する遺産であることから、
長崎の歴史を学ぶ上でもかなりの興味をそそられる。

五右衛門は文化愛好者であり、蘭学にも関心が深く、
シーボルトとは長崎で知り合ったらしい。
そして、彼は多数の日本工芸品をシーボルトに贈り、
そのお返しとしてシーボルト愛用のピアノを頂戴したそうだ。
それは正に彼が日本を去るときの出来事でした。

そのときの受領書には当時のピアノの総称、
「ポルトピアン(Fortepiano)」とある。
このイギリス製ピアノは、大型のフリュ―ゲルと区別して、
ターフェル・ピアノ、或いはスクエア・ピアノと呼ばれていたもので、
その共鳴版には、シーボルト直筆で次のように書かれている。
「Tot gedachtenins aan mijnen vriend Koemaya 1828 」。
(わが友熊谷への思い出に)

現在、「シーボルトのピアノ」として大切に保管されているこのピアノは
驚くことに未だ演奏可能で、イベントの際には
シーボルトが弾いていた当時と変わらぬ美しい音色を生み出す。

現代ピアノは、総鉄フレーム、鋼鉄線、交差弦、
ダブル・アクションが典型とされるが、
「シーボルトのピアノ」は、木製フレーム、鉄と真鍮の弦、
平行の張り方、シングル・アクションが特徴である。

現代ピアノの開発は、このピアノ以後の19世紀中頃に急速に行われ、
1822年にエラールがダブル・アクションを完成、
1835年頃には鋼鉄線が作られるようになった。
1840~50年代にはアメリカのピアノ産業界で
交差弦と総鉄フレームの開発が進み、
明治維新の頃(19世紀後)、一般化し定着した。

「シーボルトのピアノ」は、ロンドン、
William Rolfe & Sons のスクエア・ピアノで
音域は5オクターブ半、横幅168㎝、奥行き62㎝。
当時の手紙には「三人舁位」
(3人で担いで運べるくらい)と記されている。

製造年代については1806年頃という説もあるが、実はもう少し新しい。
製造番号が打たれていないので明確なことは言えないが、
1933年にイギリスで出版された Rosamond E.M.Harding の本によれば 、
William Rolfe & Sons の社名は1814年以後からで、
それ以前は Sons がなくて William Rolfe だけであったとされている。

従って、シーボルト来日が1823年であったことから、
このピアノの製造年代は1814年~1823年の間ということになる。
おそらく、シーボルトが1822年にヨーロッパを出発する直前に
購入した物なのであろう。

1796年2月17日から1866年10月18日を生き抜いた
ドイツの医師、博物学者であったシーボルトの本名は
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
(Philipp Franz von Siebold)。

正式名フォン・シーボルトからもわかるように、
彼は貴族であり、祖父の代に称号を与えられたらしい。
当時、楽器演奏が、上流階級教養のひとつとされていたことを思えば、
シーボルトが幼少から音楽に親しんでいたということは
そう不思議ではない。
また、出島に赴くことが決まったとき、
自分の持ち物の中にピアノを入れようと決心したことも
難なく理解できる。

父はヨハン・ゲオルク・クリストーフ・フォン・シーボルト、
母はマリア・アポロニア・ヨゼファ、
神聖ローマ帝国、バイエルン州ヴュルツブルク
(現在のドイツ)のドイツ医学界名門の家庭に生まれたシーボルトは、
東洋研究を志し、1822年にハーグ(オランダ)へ赴き、
国王ヴィレム1世の侍医から斡旋を受け、
7月にオランダ領東インド陸軍病院の外科少佐となった。

9月にロッテルダムから出航し、
1845年にはドイツ貴族ヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚、
3男2女を儲けた。

1854年に開国した日本は、1858年に日蘭通商条約を結び、
シーボルトに対する追放令も解除していた。
それを機にシーボルトは1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日、
1861年には対外交渉のための幕府顧問となった。
1862年に官職を辞して帰国、
1866年10月18日、ミュンヘンで70歳にして死去した。

知る人ぞ知る情報としては、シーボルトが、
来日直後の文政6年8月、楠本滝という女性と結婚していたこと。
http://<WBR></WBR>hiroka<WBR></WBR>n.saku<WBR></WBR>ra.ne.<WBR></WBR>jp/tou<WBR></WBR>dou/ot<WBR></WBR>aki.jp<WBR></WBR>g
そして、シーボルトが彼女を生涯思い続けたことです。
文政10年(1827年)には娘、いねが生まれました。
http://<WBR></WBR>hiroka<WBR></WBR>n.saku<WBR></WBR>ra.ne.<WBR></WBR>jp/tou<WBR></WBR>dou/in<WBR></WBR>e.jpg
彼女は後に医学の手ほどきを受け、産科医として長崎で開業しました。

逸話ではあるが、シーボルトのはとこ、
アガーテ・フォン・ジーボルト(1835~1909)は、
ブラームスの元婚約者として知られている。

当時の長崎港を賑わせたオランダ船は、
大抵初夏に入港し、秋には出航していた。
出島が忙しいのは、オランダ船入港により
様々な取引作業が行われる3ヶ月程度。
残りの9ヶ月を「出島番」として過ごさねばならなかった商館員たちは、
退屈しのぎに娯楽を必要としていたのだ。

そこに明かりを灯したのが、「音楽」という楽しみ。
色々な楽器が持ち込まれる中、
当時の人々から「洋琴」と呼ばれていたピアノも入ってきたのだ。

現在、最も人気が高い楽器として人々に愛されているピアノ。
その歴史は1700年代にさかのぼり、
楽器その物はどちらかというとフォルテ・ピアノや
ハンマー・フリューゲルに近い形や音色をしていた。

音楽をこよなく愛したシーボルト、
今日でもシーボルトが作った「日本」という曲を実際に聴くことができる。


●熊谷美術館
山口県萩市今魚店町47
0838-25-5535

http://<WBR></WBR>kirara<WBR></WBR>.pref.<WBR></WBR>yamagu<WBR></WBR>chi.lg<WBR></WBR>.jp/ba<WBR></WBR>cknum/<WBR></WBR>03_aut<WBR></WBR>umn/ye<WBR></WBR>iyo_ko<WBR></WBR>koro.h<WBR></WBR>tml

http://<WBR></WBR>www3.o<WBR></WBR>cn.ne.<WBR></WBR>jp/%7E<WBR></WBR>kumaya<WBR></WBR>/9905c<WBR></WBR>on.htm<WBR></WBR>



これまで医者としてのシーボルトは知っていたが、
ピアノとシーボルトのつながりについて考えを巡らせたのは
今回が初めてであった。

シーボルトが何度も行き来したというライン川沿線を
私とアレェクスェイも何度も何度も行き来した。
シーボルトが日本へ旅立ったという
オランダのハーグやロッテルダムへも行っている。

そして、私とアレェクスェイが出会った場所はライン川ほとり、
億万長者であるドイツ人ピアノ収集家が開いたビア・サロン。
彼はボンに古い楽器の美術館を持っているほど、
当時の上流階級、シーボルト家との関連も
おそらく、深かった一族であろう。

そして、「シーボルトのピアノ」は私が住んでいたことのある
イギリスはロンドン製。

シーボルトのはとこと婚約していたという
ブラームスの家を私が訪れたのは単なる偶然か?
自分とアレェクスェイがドイツ人のピアノを通じて出会ったのは
昔から決まり決まっていた宿命か?

更に、「シーボルトのピアノ」は今でも私の親族が多く住む
山口県にあるという。
自分の一族をさかのぼって見ていくと著名な通訳家・翻訳家が目に付く。
彼らはもしかしたら、シーボルトの門下生だったかもしれない。

元々、私が生まれるずっとずっと前から、
ピアノという楽器は私の人生に足を踏み入れる予定であったのだろうか・・・
祖母が他界し、自分という人間のアイデンティティを探し始めたとき、
自分を作りうる全ての要素が長崎という異国情緒溢れる
歴史ある街に溶け込んでいることに驚かされる。
今日こそ、自分の体に長崎の血が騒ぐのを
強く感じたことはなかったかもしれない。


追伸:
【ケルンの水「4711」】

オーデコロンの発祥の地、ケルン発祥の香水、
グリーンとゴールドのラベルで有名なオーデコロン「4711」が、
最初に生産されたのは1709年のこと。
香水職人、ミューレンスはフランス軍占領で住所変更を命じられ、
ケルン大聖堂前に引っ越し、新住所の番号をそのまま商標にしたのだ。
これは世界最古のフレグランス・ブランドであるが、
偶然にも私の生年月日、昭和47年1月1日である。

人の人生は絶対に生まれる前から決まっているもの。
宿命を信じているのは私だけか???
 

裕美・ルミィヤンツェヴァ

http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


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BIRD- BRAIN- RAG

2007年10月23日 01時57分36秒 | Weblog

JOSEPH LAMB のこの曲ですが、 「BIRD BRAIN の意味は何ですか?」という質問を受けました。 BIRD BRAIN とは 「馬鹿、間抜け」を意味しますので、 馬鹿のラグ、間抜けのラグという意味なのでしょうか? 他には思い浮かびません。 そして、もう1つのお問い合わせですが、 「この曲の表紙がネットにございますか?」 ということですが、未だに見つかっておりません。 どこかで見かけましたら、是非是非お教えくださいね。

●(友人)バードブレイン・ラグは、ジョセフ・ラムの死後出版された楽譜『Ragtime Treasures』(1964、絶版)の一曲で、ピース販売楽譜のような表紙はありません。

●ありがとうございます。 あ、やはりないのですね。かなり時間を掛けて探しましたが、見つかりませんでしたので・・・ 「うちのトイレの壁にあるような、かわいい楽譜の表紙が存在するならばほしい!!!」ということでしたが、ないなら仕方がないですね。

裕美・ルミィヤンツェヴァ  http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


○10月23日(火) open:17:30 @渋谷

2007年10月23日 00時25分36秒 | Weblog

 

P8240013

祝・復活アレェクスェイの『ラグタイム・バンド』!!!


play 19:00~20:00、20:30~21:30 @渋谷JZ BRAT
http://www.jzbrat.com/top.html

GRANDPA'S RAGTIME BAND:p アレェクスェイ & vo 裕美
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/
cl 後藤雅広、b 小林真人

【場所】:東京都渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー東急ホテル2F
http://www.jzbrat.com/map.html
(渋谷南口より徒歩5分/国道246沿い)

【ミュージック・チャージ】¥4,200(ミニマム・オーダー 1drink) http://www.jzbrat.com/food.html


【御予約&お問い合わせ】 JZ Brat TEL 03-5728-0168
(受付時間 平日15:00 - 21:00)

♪アレェクスェイの『GRANDAPA'S RAGTIME BAND』早期復活、
春夏秋冬『ラグタイム・ナイト』!!!

JOPLIN、MISSOURI

2007年10月23日 00時24分34秒 | Weblog

 

49
昨日、あの有名な歌、「ROUTE 66」を練習してみました。
譜面通りではなく、かなり自由にブルース感覚で歌いました。
特別好きな曲ではありませんが、歌い方次第でどうにでも変わる曲です。

歌詞の中でいつも気になっていたのが、
JOPLIN, MISSOURI・・・・
だって、スコット・ジョップリンは
MISSOURIに住んでいたこともあったでしょ。

早速調べてみました。
しかしながら、こちらは、本当にROUTE 66 が通っている町らしく、
スコット・ジョップリンとはなんら関係がありませんでした。

このジョップリンという町は人口45,504人で、
JASPER COUNTY では一番大きいそうです。
また、 4州地域と呼ばれるOKLAHOMA、 ARKANSAS、
MISSOURI、KANSAS の中心地だそうです。

この町がジョップリンと呼ばれるようになったのは、
1850年頃で METHODIST 教会の敬愛なる聖職者、
HARRIS G. JOPLIN にちなんでです。
1861年~1865年の南北戦争以前に 
人々は JOPLIN CREEK VALLEY に鉛を発見していました。

1987年までには沢山の鉛鉱山ができ、
移住者、JOHN C. COX の提案で、
谷の東側が JOPLIN CITY と呼ばれるようになりました。

その後、移住者、PATRICK MURPHY  の提案で、
谷の西側が、MURPHYSBURG と名付けられました。

やがて二つの町は巨大になりつながりましたが、
二つの町の合併は法的には認められずに
二つの町はまた離れることに・・・

そして、二度目の合併により、町は永遠に JOPLIN となり、
今日のようなメトロポリスに発展していったようです。

この町はラグタイム作曲家のスコット・ジョップリンとは
直接関係ありませんが、
彼が METHODIST 教会と関連していたこともあり、
もしかしてもしかすると・・・
聖職者の JOPLIN とラグタイムの JOPLIN が
遠い親戚であった可能性は充分に考えられます。

こうやって調べてみると、歴史って面白いですね。
 
 
裕美・ルミィヤンツェヴァ

ソナタあれこれ

2007年10月23日 00時23分08秒 | Weblog

 

182

 

 (友人)「ソナタ」について、実はよくわかっていなかったので、勉強になります。ラグタイムの形式については、数年前、私も疑問に思って調査したことがあります。

ジョプリンの「Maple Leaf Rag」登場以前の27曲をピックアップして、その形式を見ると、スコット・ジョプリンの4楽節ラグを彷彿とさせる例は、Alabama Dream と Tennessee Jubilee だけでした。
これらですら、リフレインや調の選択の仕方が少し異なっていて、ストレートには分類しにくく、ジョプリンの作品と同じ構成を持つものは、厳密にはほぼゼロでした。
少なくともほとんどの曲が一定しない、それぞれ別々のフォーマットで作られていたことは確かです。

また、ジョプリン以後の主な作曲家の作品もチェックしてみました。その結果、いわゆる「ソナタ形式」といわれるラグタイムのうち、スコット・ジョプリンの4楽節ラグに準拠した形式は、実はラグ界全体では少し特別なフォーマットだったとも思えてきました。
特に、3楽節ラグ、変則構成のラグ、またはマイナー調を扱ったラグの多さは、当初私が推測していた以上のものだったのです。

3楽節ラグは、1曲の形にする労力が4楽節より比較的小さいので、より多くの作曲家が手を染めたのだと考えれば、このジョプリンのファンには一見奇妙な調査結果も納得できるのでした。

 英語で言う SONATA FORM は 非常に大雑把な意味だと思います。おそらく、提示部、展開部、再現部 程度の意味です。
(友人)自分なりに仮説を立ててみました

ここで言葉としての意味ですが「ソナタ形式」とは、おおまかに提示部、展開部、再現部の構成です

また「ソナタ」とは、ソナタ形式の曲を最初に置き、速度・曲想・形式などの異なる曲を2~4つ並べて、それらが互いに対比かつ全体としてまとまった感じを与えるようにした器楽曲のことです 通例、第一楽章~第四楽章まであります

ラグタイムの多くはABACDという構成ですが、これをA→第一楽章 B→第二楽章 C→第三楽章 D→第四楽章 と取れば、英語でいうSONATA FORMが理解できます

しかしながら、ソナタとは「ソナタ形式」を含む楽章の集まりですから、ラグタイムとソナタ形式の関連を示唆するのは明らかに間違いだと考えます

これを初めに提唱した人の考えを直接伺わない限り、そう結論せざるを得ないと思います
そうですね。たぶん当時アメリカに渡った開拓者達は、ヨーロッパでクラシックにどっぷり浸かっていた人たちよりは、かなり解放的だったと思いますので、ソナタという言葉自体もそれほど親密に捉えていなかったと察します。

ラグタイムは幾つかの異なる部分が連なっているだとか、楽章らしきものがつながっているとか、その程度の認識だったのだと考えます。

奴隷解放令が出たと共にどんどん発展していった音楽がラグタイムですから、その定義付けは勿論後から来ています。

この謎が生まれたのは、皆が後から「この画期的な素晴らしい音楽は一体なんだろう???」と首をかしげたところにあるのだと思います。

音楽は子供の誕生と一緒で、「太郎君という男の子を産んでみよう」ではなく、「男の子が生まれたので、なんて名付けよう」なのです。

ですから、「ラグタイムという音楽を作り出そう」ではなく、「この種の音楽をなんて名付けよう」なのです。

だからこそ、呼び方や、定義付けや、説明に困ったのでは???

 

裕美・ルミィヤンツェヴァ

http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/


ラグタイムとソナタ形式

2007年10月23日 00時21分39秒 | Weblog

 

41

 ● あ、三部形式を書くの忘れました。
こちらは単にA、B、A′です。
こんな単純なラグタイムもあるかしら???

ラグタイム解説の引用です。
↓↓↓↓
Much ragtime is written in Sonata form, with four distinct themes and a modified first theme appearing in the work.

しかしながら、アレェクスェイとワインを飲みながら、ラグタイム真夜中議論をしていたところ、多くの楽曲を実際に弾いている本人は、これぞ「ソナタ形式」というラグタイムにはいまだ出会ったことが無いと言います。

むしろ、ABACAのような小ロンド形式が多いのではという意見です。

一方、殆どの英文で見つけるラグタイム解説にはこの「SONATA FORM」という言葉が使用されていますので、もしかして、アメリカ人のソナタ認識度が低いのかな????とも思ったりします。

実際のところどんなんでしょう・・・
ラグタイムとソナタにまつわる話は意外と沢山あるもので、
こちらのCHARLES IVESも面白いですよ。
↓↓↓↓
88 Keys to Freedom:
Segues Through the History of American Piano Music
The Keyboard as a Field of Memories

http://<WBR></WBR>www.ne<WBR></WBR>wmusic<WBR></WBR>box.or<WBR></WBR>g/arti<WBR></WBR>cle.nm<WBR></WBR>bx?id=<WBR></WBR>2247
ちなみにスコット・ジョップリンの Maple Leaf Rag は
AA BB A CC DD 形式です。

こちらにラグタイムとソナタは関連しているという記述があります。
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>member<WBR></WBR>s.aol.<WBR></WBR>com/mi<WBR></WBR>dimusi<WBR></WBR>c/joyr<WBR></WBR>ag.htm<WBR></WBR>l
こちらではラグタイムをむしろアメリカン・マーチと形式付けています。
アレェクスェイもマーチ形式を確かに強調しますね。
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>music1<WBR></WBR>0.ucda<WBR></WBR>vis.ed<WBR></WBR>u/Glos<WBR></WBR>sary/R<WBR></WBR>.htm
明るいタイプのブルースと・・・こちらは完全にずれております。
ragtime・・・・・・ a cheerful variant of the blues, based on piano and jazz band music of the 1920s and 30s.
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>www.fo<WBR></WBR>lklib.<WBR></WBR>net/fo<WBR></WBR>lkfile<WBR></WBR>/r.sht<WBR></WBR>ml

こちらはかなり良い線いっていると思います。妥当です。

This structure is very similar to various march or dance forms or the classical Rondo.
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>www.mf<WBR></WBR>iles.c<WBR></WBR>o.uk/o<WBR></WBR>ther-r<WBR></WBR>agtime<WBR></WBR>.htm

ソナタよりロンドが近いんでしょうね。メヌエット、カドリール(4人1組のスクエア・ダンス)、マーチも出てきました。

Ragtime is derived from a rondo form resembling the minuet, quadrille or march.
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>silver<WBR></WBR>string<WBR></WBR>er.med<WBR></WBR>ia.mit<WBR></WBR>.edu:9<WBR></WBR>000/se<WBR></WBR>rvlet/<WBR></WBR>pluto?<WBR></WBR>state=<WBR></WBR>303034<WBR></WBR>706167<WBR></WBR>653030<WBR></WBR>375765<WBR></WBR>625061<WBR></WBR>676530<WBR></WBR>303269<WBR></WBR>643030<WBR></WBR>343231<WBR></WBR>3538
スコット・ジョップリンのTHE RAGTIME DANCE の形式は: Intro/AA/BB/CC/DD/EE/FF です。

同じくジョップリンの EUPHONIC SOUNDS は ロンド形式で: Intro/AA/BB/A/CC/A です。

↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>www.ws<WBR></WBR>u.edu/<WBR></WBR>~delah<WBR></WBR>oyd/20<WBR></WBR>th/rag<WBR></WBR>time.h<WBR></WBR>tml

Chôro and Ragtime の関係というお話も面白いです。
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>www.bo<WBR></WBR>ukas.c<WBR></WBR>om/jjg<WBR></WBR>articl<WBR></WBR>es/jjg<WBR></WBR>899.ht<WBR></WBR>ml

Chôro はギターで、 Ragtime はピアノで・・・
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>www.ef<WBR></WBR>n.org/<WBR></WBR>~einho<WBR></WBR>rn/dis<WBR></WBR>cograp<WBR></WBR>hy7.ht<WBR></WBR>ml

 ラグタイムへの理解が深まります。素晴らしい解説。
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>www.mu<WBR></WBR>sic.ek<WBR></WBR>u.edu/<WBR></WBR>facult<WBR></WBR>y/davi<WBR></WBR>s/rock<WBR></WBR>histor<WBR></WBR>y/mus2<WBR></WBR>22stea<WBR></WBR>rnsrea<WBR></WBR>dings.<WBR></WBR>htm

 こちらにもやはり SONATA FORM が出てきますが、
組曲形式の意で、軽々と使っている言葉なのかもしれません。
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>open-s<WBR></WBR>ite.or<WBR></WBR>g/Arts<WBR></WBR>/Music<WBR></WBR>/Genre<WBR></WBR>s/Jazz<WBR></WBR>/Ragti<WBR></WBR>me/

ラグタイム知識の宝庫
↓↓↓↓
http://<WBR></WBR>dsc.gc<WBR></WBR>.cuny.<WBR></WBR>edu/pa<WBR></WBR>rt/par<WBR></WBR>t9/ide<WBR></WBR>ntitie<WBR></WBR>s/arti<WBR></WBR>cles/b<WBR></WBR>ruhn.h<WBR></WBR>tml

(友人) ソナタ形式のラグタイムは僕も聞いたことがありません
ただヨーロッパ系クラシックのソナタ形式と、アメリカ人のソナタの解釈が違うのかもしれませんね

ソナタ形式の重要なところは展開部だと思います。

 

裕美・ルミィヤンツェヴァ