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クリスチャン・ベイル主演2005年度アメリカ映画。脚本・監督はデヴィッド・エアー。原題『Harsh Times』。
2005年のサンダンス映画祭、トロント国際映画祭に出品されるも、英米はじめ各国での公開は2006年後半から。日本では未公開、DVDリリースのみ。
ジム・ルーサー・デイヴィス、アフガニスタン帰還兵。現在無職。旧友マイクと共に、マイクの恋人シルヴィアに尻を叩かれつつ職探しの日々を送る。
ロスアンジェルス市警に職を求めるも不合格。メキシコにいる恋人と結婚するために仕事と金が必要なジムは、特殊部隊員として従事していた戦場での悪夢に悩まされながらも、政府下部機関の採用テストを受けるが──
主人公が元特殊部隊員という設定や、DVDジャケットに記された「クライム・アクション」の言葉から想像される話とは、イメージや方向性がかなり異なる作品である。
仕事を見つけなくては、と口では言いつつ、ジム(ベイル)のしていることと言ったら、マイク(フレディ・ロドリゲス)とつるんで昼間から(運転中にも)酒を呑んだり、軽くクスリをやったり、たまたま手にはいった拳銃の買い手を探したり、昔の女にちょっかい出したり──という訳で、ストーリーの半分くらいは、ダメコンビのダメダメでダラダラな日々を描くことに費やされる。そして、その合間に突如噴出する暴力衝動も。
仕事しなきゃ結婚して安定しなきゃ……と言ってはいても、勢いと口先だけのことで、彼が本心からそう考えているようには見えない。こんなのが警察官になったら世も末だと思うし、シルヴィア(エヴァ・ロンゴリア)ならずとも「本当にやる気あるのか!?」と怒りたくなるところだが、では、ジムの「本心」はどこにあるのだろう?
別の映画のレビューで、別の登場人物に対しても同じ言葉を使ったが、彼は本当は「幸せ」など望んではない。安定した生活などほしくないのだ。それがいわゆるPTSDによるものかどうかは判らないが、彼の心は未だ戦場をさまよっている。
自壊への道筋はとうに示されている。本人は自己分析できるアタマもないのでそれに気づかないのか、それとも気づかないふりをしていただけなのか。
自分の過去も、そして未来も、あるように見せかけた夢や希望も「国家」に絡め取られている事実に直面させられた時、ジムには自分の真に進むべき道筋が見えてしまったのだろう。
マイクやもう一人の友人トゥーサンから、真っ当に幸せに生きる道はある筈だと説得された時には、彼は既にそれが自分の道ではないことに気づいてしまっていた。
人はすべてなるようになる。そして、彼はそうなった。
クリスチャン・ベイルは、ジムの表面的なお気楽さやダメっぽさと、その奥に沈んだ暗い部分、そして突発的な暴力性や破滅への衝動を分裂的にならず演じて、彼のどうしようもなく虚ろな人格やその人生の在り方、もしくは所在なさを提示する。またそれぞれの配分が絶妙なのだが、時おりふと見せるひどくイノセントな表情は、自分が「壊れて」いることを自覚し得ないがゆえのものだろうか。しかしそれは、ジムとしての演技である以上に、クリスチャン・ベイル自身が有しているものにも思える。
そして「なりきり」型の俳優であるのに、いつも彼には役との距離の置き方に独特のクールさが感じられる。この作品の場合は言わば「結末から逆算した演技」なのだが、その結末を迎えるまで、ジムに漂う「居心地の悪さ」の正体を気どらせることがないのは見事だと思う。
それにしても、このところテキサスからカリフォルニア、またメキシコ国境近辺を舞台にした映画ばかり観ているが、ロスアンジェルスという所は本当に「西の果て」の街だと感じる。一見大都会のようだが、実質は大いなる辺境なのかも知れないと、あの妙にだだっ広い空間や、茫漠とした空を見ながら思った。そういうロケーションあってこそ、その片隅でおのが「生」を主張して行かなくてはならない人間たちの苛立ちも理解できる気がする。
アメリカの原風景の一つである荒野の中で、殺し合う者たちがいる。欲に駆られて命を落とす者がいる。『ジャイアンツ』のジェット・リンクや『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・プレインビューのように肥大した夢=強迫観念に取り憑かれ、欲望を充たしながら幸福を得られない者も、美少女ミスコンで優勝することに血道を上げる者も、そして、あるはずもないのにあるように見せかけた夢のかけらを拾い集める者たちもいる。
その最果てに位置する天使の街、夢の街と呼ばれる土地。乾いた広い空の下のひどく猥雑な街。そして「チェックアウトはできてもそこから立ち去ることは永遠にできない」人間たち。
それこそがアメリカであり、アメリカ人であるのかも知れない。