彼との思い出は、写真を見ただけであらかた把握してるつもりだったのですが。
先日遠方から友人が泊まりに来て、思い出話を語り合った時に、僕が全く覚えていなかった彼とのやり取りを思い出させられてしまいました。
僕の高校はいわゆる進学校で、私立とは違い昔ながらの校風を今でも重んじてるところで、3年の夏にはなんと勉強合宿なるものがありました。
僕の学年から共学になったうちの高校。
合宿所で集中出来るのなんて、男だけだったから成立したんじゃねーのとぶつぶつ言いつつも、絶対参加ではないそのイベントへ、結局参加していた僕でした。
案の定合宿所はチャラッとした空間も構築されつつあって、隣の部屋やら下の階からやら知らないけど、男女で遊んでるグループを怒鳴りつける先生の声が聞こえていました。
先生がいない隙には、その声がより重なり、色んな部屋から色めきだった歓声が聴こえてきます。うざったいったらないやね。こういう時にうざいとか考えながら、勉強するタイプの人間でしたが、友達がいないという訳でもありませんでしたよ。どうでもいいですね。
僕たちは少人数教室で黙々と勉強してたグループで、皆口な出さないながらも、各方面から聴こえてくるふざけた笑い声に、皆がピリピリしているのが分かりました。この緊張感を崩さず、何とか僕らも解放的になれる方法はないだろうか。悔しいよな。そんなことを考えて、ふと、スベり覚悟であることをやってみました(部屋に女子がいなかったのも大きかったかもしれません)。
黒板に、「真価が問われるのはココだ」と、ドラゴン桜の阿部寛になったような気持ちで書いてみたのでした。そして無言で黒板を叩き、皆の闘志に火をつけよう。スベったらニヤニヤしながら席に戻ろう、と思って反応待ってたら、その彼が、クラスではその言動が若干浮いていた(良い意味で(むしろ最高の意味で))彼が、思いっきり手を叩きながら「素晴らしい!」と褒めてくれたのでした。それで皆大笑い。僕も大笑い。今思えば、あいつらとは違うと自分たちを鼓舞して一致団結した空間を作る為の、良いパスを促せたんだろうなと思います。あと、皆の注意を引きつけていたのはやはりそこだったか、と確認出来たのも楽しかった。
彼の「素晴らしい!」が凛々しすぎて、本当に燃え上がってくれたのだということが表情からがんがん伝わってきて、真っ直ぐで良い男だなーやはりこいつ好きだなーと思っていたものでした。ベガルタ仙台が好きで、修学旅行の京都で全身ベガルタグッズを身に付けて歩いているような奴でした。京都のファンに殺されるぞ!と皆でドヤしたもんでした。誇り高い奴だなーと、内心どこか関心していました。
こんな奴に人生応援されてみたいな、と思える奴でした。最近似合わないと知っていながらも、サッカーや野球のスタジアムにちょくちょく行く機会が増えたのですが。一心不乱に応援してるサポーターたちの姿を見てると、ついついどこか彼と重ねて見てしまうのでした。喧噪がどこか遠く離れていき、彼と話した時間に戻っていくような、気付けば一瞬現実を見逃してしまうような、そういう強度を持った「実存」として彼の存在が響いてくるのです。
お線香は、まだ一度しかあげに行ったことがないです。今度は、あまり意地はらず、一人でのんびり訪問してみようかなと思ってます。ただ、写真だけは、どうしても僕のものにしたいので、やっぱりお母さんにはあげられません。ごめんなさい!僕が持ってたいです。