「第二の人生、驚き桃の木どうする気」セカンドライフ世界の情報YouTube

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「第三の人生」だったかも。死ぬかと思った経験あり。九死から一生を得た自分の過去。

2015年02月14日 | 驚き日記・・

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「第二の人生」などと、大それたタイトルのブログになっている

けど、来馬する前から、この言葉は、ずっと引っかかっていた。

ホントは「第三の人生」の方が合ってるかもしれない。

 

一度は死んでいるからだ。というか死にそうな経験をしたからだ。

だから、「2」が終わり、「3」が今なのかもしれない。

 

「死」という言葉は、いわゆる”禁句”なのかわからないが、

自分の、小学4年の時の、九死に一生を得た体験談の事。

タイトルに、「一度は死んだ経験がある」などと書くと、何かと

幽霊問題が起きそうで・・・・いや、起きないと思うけど。

 

そのいきさつは、小学4年の夏休みだった。田舎の実家の近くの

養蚕試験場にある”いわくつきの貯水池”で溺れたのでありマス。

 

おふくろが、その当時、この養蚕試験場で、カイコの網を作る

内職やっていたため、何かと遊びに行けた。

 

今、パリに住んでいる弟と一緒にこの貯水池にザッコ釣りに遊び

行ったんだが、この池は危険防止の金アミを張っておらず、

落ちたら最後、自力では絶対に登れない。何故なら、水深がある。

ここでは、過去に、小学生が2人、水死している。

 

水面から足場までが高く、周りのコンクリートの池の壁は、

緑の藻で、ヌルヌルしているからだ。網を張ればいいのに。

・・・・・田舎育ちのくせに、その当時、自分は泳げない。

 

私は、へばりついているザッコを網で獲ろうとして、横になった

途端、バッチャ~んと(バアちゃんではない)池に落ちてしまった。

この時のことは。今でもよ~く鮮明に覚えている。

 

直感で「自分は、もう死ぬんだ」と思った。「母ちゃんゴメン

言った・・これホント、覚えている・・・・・・・・・・・

 

自分の葬式みたいな光景が浮かんできた・・皆が見える・・・

汚い池の水を飲んでいて、息が出来ない・鼻からも・耳からも

 

水の中で「ゲホッ、ゲホッ」とやっている自分は「ボケナス」だ。

息を吐いたら、その分、水を大量に呑み込む。意識が遠のく・

 

上を見ると、水面が見え、空の青々とした白い雲まで・・・・

はっきりと見えてくる・・これも鮮明に覚えている・・・・・

 

汚れた水の中なのに、このことは、はっきりカラーで覚えて

いるんだなぁ~。よく言われるところの”走馬灯のように” だ。

 

自分のこんな小学4年までの短い人生が、命の終りを告げよう

していた。あ~ぁ、自分は死ぬんだ」と思ったその時に・・

 

空の白い雲が、輪を作って破れ1本の棒が降りてきた・・・

弟が、ザッコとりの網の竿の方を、池に入れてくれたんだ・・・

 

「溺れる者、わら(藁)をもつかむ」とは、このことだ・・・・

「これで助かった、生きられる」と思ったのだろうけど・・・

その気持ちを覚えてない・・・・必死だった・・・・・・・・

 

必死」って何だろう? 「必ず死ぬってこと」だ?

「逆もまた真なり」だよな。

死なないように「必死」になる➡➡「必至」になるんだ。 

 

後は必死になって竿をつかみ、ヌルヌルしたコンクリートの壁を

何とか這い上がった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今、生きられているという事を、本当に弟に感謝している・・

落ちて溺れて、竿が入ってくるまで多分ほんの30秒位?だと思う

 

長々とその時の様子を書いたけど、そんな短い時間で、走馬灯の

ように自分の命が巡りめく長い動画のように見えていたんだ・・

 

今、マレーシアに住んでいられる。生きられている事へ、生きて

いる事への感謝を込めて・・・・と言いたいところだが・・・

人間、弱いもの・・・ 

 

感謝の気持ちはあっても、文句の多い毎日かもしれない。あ~ん、

水が入ってこないように、口を閉めて、反省せねば・・・・・

・・・・・「」を「一所懸命」生きる事が大事なんだな。

 

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