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外国人付秘書の日記

それでもやっぱり英語が好き。

Memoryless

2008年12月05日 | 英語

You have to begin to lose your memory,if only bits and pieces,to realise that memory is what makes our lives. Life without memorry is no life at all...Our memory is our coherance,our reason,our feeling,even our action.Without it, we are nothing...Oliver Sacksの書いた本の一説である。

20代の頃6年間付き合っていた彼から別れを告げられた。それは私にとって晴天の霹靂だった。別れを言い出すとしたら、それは必ず”私”から。なんと傲慢な女だったのだろう。別れて初めて、彼の存在の大きさを知らされた。

寝ても覚めても、会社に行っても、彼との思い出を忘れる事はできなかった。何度彼との記憶を私の中から削除したかったか。まるで、ワードの文章を簡単に削除して、ゴミ箱に捨てるように。Life without memorry is no life at all...

この言葉をしみじみと噛み締める。記憶は時の風化と共に薄らいでいく。でも、それは自分自身が確実にその時代を生き抜いた証でもある。

この季節に思う事

2008年04月06日 | 英語

厳しい冬をじっと耐えて、一年に一度、蓄えたエネルギーを一斉に放出する花たち。闇があり、寒さがあり、これがあってこそ美しい花を咲かせるという。人間も同じなのであろう。

苦しみがあり、闇があり、それを乗り越えてまた、人の痛みがわかる人間に成長するのであろう。憂いとはそういう事?
やはりこの季節になると、私はベッドミドラーの”The rose"”を思い出す。

Some say love it is a river
That drowns the tender reed
Some say love it is a razaer
That leaves your soul to bleed
Some say love it is a hunger
An endless aching need
I say love it is a flower
And you its only seed

Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose............

Voice of America

2008年04月04日 | 英語

我が社のフロントデスクである。ちょっと素敵でしょう?

昨日から、主人にVOAをPodcastに入れてもらい、我が家から駅までの道を一人シャドーイングをしながら歩く事にした。ただ、CNNと比較するとスピードはカタツムリのように遅い。流石にCNNのシャドーイングは大変である。成果があるのか?ないのか?解らないがもし何もやらなければ英語を忘れていくだけ。ただ、ただ、信じて進むしかない。でも、i-Podは英語を勉強するのに画期的なtoolである。

本日、日本ブログ村に登録をしてみた。誰かに読んで頂けたらとても嬉しい、ましてコメントなんて書いて頂いたらなおの事嬉しい。:)


シャドーイングの勧め

2008年04月03日 | 英語

昨年の今頃は4月11日出発のベガス行きに向かって胸がワクワクしていた。
今では遠い昔のように感じるが・・・・・

話は変わって、お昼休みネットサーフィンをしていたら、ある人のHPにぶつかった。”英語を楽に身に付ける方法が本当にあると思いますか?そんな方法があるとしたら世界中のトップニュースになっていると思う”私もその通りだと思う。確かに語学を物にするのは並大抵な事ではない。子供なら別であるが。

やはり彼もシャドーイングを進めている。確かに英語を本当に身につけたいと一度でも思った事のある人なら、この言葉を聞いた事があるはずです。元来は通訳をする方達の勉強法のようですが。方法は至って簡単。ネイティブスピーカーが話す英語を聞きくと同時に、その通り真似て話せば良いだけの事である。それが凄い集中力を要して、15分もやろうものならくたくたに疲れてしまう。

これをやるのは家に中に自分一人の時に限る。そうでもしないと恥ずかしくて。
確か、中学の頃かと思う。電車の中でハンサムな20歳くらいのお兄さんが、耳にイヤホンをして凄いスピードで独り言(日本語ではない)を言っていたのを聞いて、私は”可愛そうに、あのハンサムなお兄さんは頭が変なんだ”そう思ってしまった。

自己嫌悪

2008年04月01日 | 英語
悲しいかな、自分の英語の衰えを痛切に感じる。海外に住んでいた頃は英語で考えられた。でも、今は瞬時に日本語から英語、英語から日本語い置き換えている。
最近は自己嫌悪に陥っている。どうしたら、これを克服できるのか?英語でそんなに高度な仕事をしているわけでもないのに、簡単な会話さえもままならない状態になっている。たかが英語、されど英語。何とかしなければ・・・・2000万円でネイティブ スピーカーになれるのであれば、借金してでも支払ってもいい。知識とは決して盗まれないもの、しかし、決してお金で買えないもの。

今日で3月も終わり。

2008年03月31日 | 英語

月曜日の雨は憂鬱になる。そう言えば、カーペンターズの歌にも"Rainy day's Monday always gets me down"というような歌があった気がする。
昨日までは暖かく、桜も満開であった。今日の雨と、風で殆どの花びらが散ってしまうだろうか?一年を掛けて、冬の寒さにじっと耐え抜き、この一瞬を待ち望み、たった1週間で散ってしまう。花の命ははかないものである。

昔読んだ梶井基次郎の檸檬と短編小説の中に”桜がこんなに妖艶なのは、木下に人間の死体が埋まっているからなんだよ。”という一説がある。何時の年も決まって桜の花を見るとこの言葉を思い出す。

そういえば、今日は私のボスはオフィスに来るのだろうか?確か友達が母国に戻るのは木曜日。本日は六本木の”権八”を20時に予約しているが。と思っているさなか、ドアが開いて。”おはようございます。”とボスが入ってきた。1泊2日でレンタカーを借りて京都に行ってきた。中道中だったらしいが、取り敢えず無事に、事故も無く帰って来た事に、私はホッと胸を撫で下ろすのである。

100歳を超える実家の猫

2008年03月28日 | 英語

名は”チビタ太”、でもメス猫である。元野良出身の老猫である。
20年前に実家の庭に捨てられていた。人間で例えるなら既に100歳を超えるのではないだろうか?気が優しすぎると言おうか、本当に臆病な猫である。

隣の猫には自分の敷地内で追いかけられ、野良猫にも敷地内で追いかけられ、室内ではボス猫にガンを飛ばされ、何時もびくびくし、目立たない様に影を歩いて生きてきた猫である。逃げるから、追いかけられる。もっと堂々としていれば良いと思うのだが、これは正確。死ぬまで臆病のままで終わるのだろう。

そんなチビ太にも人生の転機が訪れた。此処2年位で隣のいじめ猫も死に、我が家のボス猫も死に、いじめっ子が全部死んでしまったのである。最後に残った臆病なチビ太は人生の中で初めて幸せを感じているのではないだろうか?年老いた父と母の愛情を全て受け、大事に、大事に育ててもらっている。まるで自分は夫婦の子供であるかの様に。

人間か、チビ太かどちらが先に天に召されるのか?そういう状況である。どちらにしてもできる限り長く生きて欲しい。子供としてそう思わずにはいられない。父と母はこうして夫婦二人で健康で生きられるのも、今までの捨て猫達を大事に育ててきた、恩返しと思っているのである。

徒然なるままに

2008年03月27日 | 英語

初めて自分でWeblogを作る。こんな簡単にできるとは知らなかった。HTMLの知識なんて全くいらない。面白いような、ちょっと寂しいような気もする。誰でも簡単に作成できるから、個人のWeblogがこんなにもnetで浸透したのだろう。でも、この煩わしいバナーや広告はどうしたら消せるのかしら?HTMLなら簡単にwipe outできるのに。ただ、ただannoyingである。

本日、私のボスはレンタカーを借りて京都へ。英語のナビが付帯している車が無いので、取り敢えず、レンタル会社の人に京都の旅館までの登録ををしてもらった。お昼休みにボスから電話で、”ガソリンがもう無くて、今ガソリンスタンドにいるのだけれど、どんな種類のガソリン入れたら良いのか?”と聞かれたので、ガソリンスタンドのお兄さんに代わって貰って、”レギュラー満タン”とお願いした。ボスにも”またガス欠になったら、レギュラーと言えば通じる”旨を教えてあげた。

私も実家で時々田舎道を運転するが、私は一度も自分でガソリンを入れたことがない。なので、私は車のどちら側にガソリンタンクがあり、どちら側に車を止めてガソリンを入れてもらうのかも知らない。”この状態で此処まで生きてこられた事”を、主人には奇跡だと呆れられている。それでも人は生きていける。ただ、日本語を全く話せない外国人の秘書になった以上、それでは事が全く足らない事を、今更痛感している。

昨年の今頃、私達は夫婦で南カリフォルニアに出かけた。車で南カリフォルニアから、北カリフォルニアまで。爽やかな風が今はとても懐かしい。