クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

温かいニャー

2009-12-11 06:02:16 | ネコ
昨日のように陽射しが一杯入ると、クーやココのように家の中で暮らすニャンズにとって暖房は要らない。彼らは天から頂戴した純毛の服を纏っているからだ。人よりも寒さに強い。
昨日の午前、僕は近くのコンビニへ買い物に行くのに、暖房を止めた。帰って来ると、クーは出窓で寝そべり、ココはオルガンの椅子の上でマッタリとして、光を体に受けていた。室内の温度計は18℃。ニャンズにとっては一番快適な温度。僕には少々寒かったが、温風器は止めたままにしておいた。東京の街中では日中では室内が15℃以下に下がる事は少ない。
ところが、我家から二百数十kmしか離れていない、家内の両親の住む長野・塩尻では、この時期朝は氷点下10℃以下になり、ストーブを焚き炬燵に入っていても、都会の人間は寒くてたまらない。そんな中でもワン・ニャンは元気に畑で遊んでいる。東京の寒さ等ワン・ニャンにとっては、寒い中に入らないのだろう。

年を取るにつれて

2009-12-10 05:44:02 | Weblog
年を取るに連れて、毎年寒さや暑さが体に応えるようになって来た。数年前は幾ら寒くても、防寒着を着ずに外で機械の積み降ろし作業の指揮を取っていて、鳶の親方に「若いねー」と冷やかされたものが、還暦を迎えた定年直前には、簡易懐炉をズボンのポケットに忍ばせ、防寒着も極寒地用の物を着用していた。
今は我家で1番寒さに弱いと思う。寒がりなクーでも、朝の寒い出窓で外を見ているし、陽射しがあれば2ニャンは、暖房の無い廊下で気持ち良さそうに昼寝をしている。晴れの日は極力暖房を止めるようにしているが、昨日のような曇天では、昼間も暖房を付けたままとなってしまった。2ニャンにとっては真に天国。1日中夫婦の過す居間で昼寝をしたり、遊んだりしていた。
このブログを書いている今、目の前で僕を見ているココのお腹を触ると、夏の頃よりも毛の密度が増し、長くなっている気がする。神様の与えた力の素晴らしさを感ずるのである。

受難

2009-12-09 05:49:31 | ネコ
昨日の夕方、嫁がチビ2人を連れて我家にやって来た。毎年恒例の年末調整の申告書を記入するためである。僕は定年迄勤めていた会社で、人事・労務部門が長く、本社から営業所に移っても、約70名の従業員の申告書をチェックし、書き方を指導していた。息子は世帯を持つ前から「親父、これ書いておいて」と丸投げである。
嫁に申告書を書かせている間、孫2人のお守りはババの受け持ち。下のマーは伝え歩きをするので、一時も目が離せず、2人でおもちゃの取り合いも。お兄ちゃんに取られて怒るとはって行き、叩く事も。負けてはいない。これからの兄弟喧嘩はどうなるのだろうか。
チビ達が来れば我家のニャンズは、警戒態勢に入る。クーは孫の顔を見ただけで冷蔵庫の上に登り「非難していた方が良さそうね」と。逃げそこなったココは仕方なく、百科事典の上から様子を見ていた。上のコーがパソコンで写真を見始めると、ココも台所に行き隠れてしまった。その後、コーが大きな声を出しながら台所に入ると、ココも冷蔵庫の上に行き、クーの隣に座って非難した。クーも「仕方がないわね」とココが隣に座るのを許したのだ。
息子一家と住むマイクは、コーが尻尾を掴もうとしたり、悪戯を始めると怒って、コーの事を追い掛け回すと言う。大人しいネコだって逆襲するのであろう。
昨日の夕方は2ニャンにとって、受難の時間であった。孫が帰った後はまだ怯えているココを撫ぜて落着かせたのであった。

お日様が出れば

2009-12-08 05:43:13 | ネコ
お日様が出れば、暖房が入っていなくてもニャンズは気持ち良く過せる。
昨日も午前中は居間で遊んでいたクーとココだがお昼を食べると、クーは後を追い掛けて来たココを、パソコンテーブルの上で待ち構え、ポコンと一発し「後ろを付いてこないでよ」と。そしてさっさと自分の部屋に戻った。クーに振られたココは、仕方なく廊下の篭ベッドに入りふて寝となった。
夫婦で昼食を取った後クーの部屋を覗くと、出窓でお日様の光を全身に浴びて、目を瞑りマッタリとお日様を楽しんでいた。背中の黒い毛は、キラキラと7色に光っていた。背中を撫ぜるとほんのりと温かい。お日様は素晴らしい。そんなクーにカメラを向けると、目を開けてカメラのストラップにじゃれ付いて来た。「クーちゃんにこれ貸してよ」と。手ですくっては遊んだ。取り上げようとすれば、僕の手に甘噛みをして甘える。クーは出窓に日が入らなくなる迄日光浴をしていたのだった。その後は2ニャン揃って「ごあーん」と夕食を催促したのだ。

クーちゃんと

2009-12-07 05:39:08 | ネコ
ネコも夫々性格は違う。ココは大変な寂しがり屋である。クーと別々の部屋で長い時間留守番をさせると、置いておいたカリカリを殆んど食べていない。僕達が帰って来ると安心して一気に食べてしまうのだ。それが、クーと一緒だと食べる事が多い。普段僕が側に居る時も、僕の近くに居る。僕が新聞読み始めると、僕の座っているソファーの奥で寝ている。台所に飲み物を取りに立てば付いて来る。
寒くなり、午前中のクーは写真のように、居間の本箱の上で寝ている事が多いが、その真下にはココが居る。一人ぼっちになるのが怖いのだろうか。我々夫婦だけでなく、ココはクーも大好きで何時も「クーちゃ~ん」と側に居たがるのである。

ネコのお仕事

2009-12-06 05:59:54 | ネコ
犬の中には盲導犬、介助犬、麻薬探知犬等の仕事を持って、人の暮らしを補佐している。一般家庭で暮らすワン・ニャンは、役立たずの只食いものであろうか。それは大きな間違えであろう。家内の実家に暮らす犬のチビは、朝夕80を過ぎた義父にせがんで散歩に出る。この散歩は足の衰えた義父にとって、どんなにか運動不足を補っている事であろうか。そして、日中は年寄り夫婦に甘えて、笑顔で慰めている。
ネコだってちゃんとお仕事をしている。本ブログ左サイドバーのブックマークから『空とはなしができるころ』に入って頂きたい。新型インフルエンザで寝込んだ小学生と幼稚園児の姉妹を、仔猫のすずちゃんが寄り添って一生懸命に慰めている。姉妹にとってすずちゃんは真に妹であり、病気で落ち込んだ心を癒す、臨床心理士となっている。
我家でも同じような事がちょくちょく起こる。病気の時、仕事で失敗し凹んだ時、クーやココの顔を見、撫ぜる事で元気が涌いて来る。ネコのお仕事は、人の心を慰め、元気を涌き起させる事である。ネコは決して只食いはしていないのだ。

昨日の午後、来年の年賀状の本文を作り、孫2人とクーとココの写真を入れる事にした。今日の写真は年賀状に入れたココである。

お尻の下には

2009-12-05 05:10:37 | ネコ
ココが乗っかっているのは、プリンターである。我家では、温風器の上から簡単にプリンターに飛び乗る事が出来、パソコンテーブルに上がる時、クーもココもちょくちょくこの経路を使う。ネコが飛び乗っても直ぐに壊れる程やわな機械ではないが、ココは飛び乗る時、手でスイッチを押してしまうのである。プリンターは即時に回転を始める。OFFにしょうとしても、スイッチはココのお尻の下となり、無理矢理退かそうとすれば、腕にガブリ攻撃をして来る。クーはスイッチを押してしまう事は滅多に無く、プリンターを足場にして、次々に高い所へ上がり、最後は欄間から庭を見るのである。
プリンターを使い始め、カチャカチャと回転音が聞こえると、ソファーでお昼寝をしていてもココはスクっと起き上がり、プリンターの用紙供給口を見詰める。用紙が吸い込まれて行くのが不思議でならないようでじっと見詰める。見ているだけでは何も構わないのだが、彼の場合は必ず手を出し、印刷用紙を押さえてしまう。3年前の引取った翌日、僕が年賀状を印刷している時が、邪魔された最初であり、大人になった今も続いている。
これから、年賀状の印刷を始めれば、ココとの攻防が絶対に起きる。その年賀状を昨日家内が買って来て「はい、これね」と手渡された。年賀状のレイアウトはまだ考えていない。「如何しようか」とこれから考え、試作を幾つか作り、決まれば印刷を始めるが、今年は晴れた日に印刷を行い、やんちゃ小僧はその間、陽射しの入る廊下に閉め出そうと思っている。因みにクーはプリンターに興味はないようで、近寄って来る事はないのだが。

元気な家族

2009-12-04 06:08:04 | Weblog
我家は鳩山家や麻生家のような金持ちではない。僕も年金生活者だし、息子一家も貧乏指数ギリギリの収入である。しかし、日々明るく過している。貧乏でも明るい家庭の源は“健康”だからである。先日も書いたように、僕は未熟児で生まれ、日々病気がちな虚弱児として幼少期をすごした。母も結核を患い、肺の4分の3を切除する手術を受けた障害者であった。昨年天に召された姉は「学校から帰ると2人が寝ているの。これが1番嫌だった」と言っていた。姉には申し訳ないと思うが、寝ている僕だって嫌だった。
今の我家は、夫婦も息子も嫁も孫2人も、そしてクーもココもマイクの3ニャンも元気に過ごしている。これが1番である。病気がちだと本人も家族も、重たい気分になる。
さて、GOO配信のニュースで怒り心頭したのが、鹿児島県阿久根市の市長の発言である。この市長はブログの中で「障害を持って生まれた子供は罪びとだ」と言うニアンスの事を言ったという。全く非常識な輩である。高度医療技術の発展で、見捨てられていた命が救われる事は大変喜ばしい事である。それなのに、ナチスと同じような考えを持つ輩が市長になるとは。こやつの経歴は防衛大学卒業という職業軍人。何故か防衛大出身者に非常識な者が多い。これは教育の基本原点が悪いのであり、政府は直ちに、防衛大学の改革を実行し、命の大切さを学生に叩き込むべきである。
市民が経済的に貧しくとも、明るく心豊かな日々を過せる日本になって欲しいと願うのは僕だけであろうか。

植物公園のネコ

2009-12-03 06:42:19 | ネコ
小春日和の昨日の午後、バスで10分程の都立神代植物公園に、夫婦で出掛けた。僕がこの公園に入ったのは、30年ぶり位だ。地元に住みながら、直ぐそばにあるから、何時でも来られると思っていて中々行かない。
深大寺門前の蕎麦屋で、蕎麦を食す。我家で昼食に食べている蕎麦より美味しい。深大寺は東京では2番目位の古刹であり、今は紅葉の見頃。その脇の急坂の小道を抜けて、植物公園・深大寺門から入園する。門の前は公園に続く森で、落ち葉の絨毯が敷かれていた。森を抜けるとバラ園に出たが、生憎と工事中で来年3月迄は立ち入りが出来ない。その奥には、大温室が建っていたが、僕は初めて入った。それだけ来ていないのだ。公園のほぼ中央には大芝生が。芝生の中に入る事が出来る。この大芝生は、植物公園として整備される前からあった。僕は小学2年生の春の遠足で来ている。平日の深大寺や植物公園は、ジジ・ババカップルが断然多い。我々もその1組。
正門近くの背の低い茂みで、若い女性がしゃがんで携帯を構えていた。良く見ると、まだ成ネコにならない位のネコさんが顔を出していた。暫らくするともう一匹も出て来た。兄弟のようである。毛色はココに良く似ている。痩せてはいないので、食事は必ず食べているようだ。その奥の池の渕にも茶トラのネコが、日向ぼっこをしていた。
公園の正門近くには、苗木を売る売店があり、レモンやみかん、金柑の苗が2千円前後で売られていた。来春、下の孫が歩くようになったら、巻き寿司とお稲荷さんのお弁当を持って、息子一家と散歩にこようと、家内と話しながら公園を出たのである。家内は途中のスーパーに寄ると言い、歩いて帰ったが、僕は無理をせずバスに乗った。

生かされて62歳

2009-12-02 05:56:10 | Weblog
62年前の今日、僕は東京・世田谷で生まれた。1ヶ月の早産、超未熟児、お産婆さんも、周りの大人も?を幾つも付けるほどであったと言う。敗戦後2冬目の東京では、未熟児の保護施設等皆無。保育器も全く無い。その子の生命力だけが頼りであったと、大人になってから母に聞かされた。そして、母の母乳は出ない。でも生きられた。幸いにも進駐軍の救援物資、ララのミルクの特配が受けられたからだ。今のアフリカ諸国と同じ状況のようだ。嫁や若いお母さん方には想像も出来ぬ、過酷な環境。でも、62歳の誕生日を迎えられた。神に感謝。これも戦争の悲惨さを伝える一助になればと書き残す。僕は諸々の幸運が重なり生きられたが、天に帰った命も少なくないであろう。
未熟児として生まれた僕は、高校に上がる迄の幼・少期は虚弱で、学校も休みがちであった。青年期になると一変し、健康体になった。20代の頃は2ヶ月間1日も休まず、朝から深夜迄働き続けても、倒れる事はなかったが、そう言う無理な働き方は、年をとってからたたる。定年後の体調は悪くなり、気力も衰えた。再就職の道もあったが。
定年前に比べ経済的には苦しくなったが、2人の孫の元気な声を聞き、クーとココとの暮らしは、充分満足出来る暮らしである。こんな生活を与えて下さった神様に感謝。もっとも、孫が近くに居らず、クーやココが一緒でなかったら、寂しい老後となっていただろう。
神に生かされて62年、あとどれ程生きられるか分からぬが、僕のこの世での命の終わる日、神様に感謝の祈りを捧げられるであろう。勿論、家内や息子一家、2ニャンにも。