クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

目線が変わる

2008-10-21 07:08:45 | Weblog
クー&ココと一緒に暮らすようになり、僕達夫婦の社会・ニュースを見る、目線が大きく変わった。と言うよりも、クーとココによって変えられたのである。クーと一緒に住む迄は、動物虐待についても、スルーしていた事が多かった。しかし今は違う。新聞の1段見出しの、小さな記事でも見逃さない。子供への虐待、学校・職場でのいじめやハラスメント、青少年の自殺等と言う『命』の事に、関心が向くようになった。
昨日の東京新聞夕刊に、2つの動物関連の記事が掲載されていた。社会面のトップに、野良猫のえさに殺鼠剤「鳥襲うから」と観察趣味の男性、との見出しで、川崎市の“犬猫救済の輪”と言うボランティア団体が、大田区の京浜急行、六郷土手駅近くの多摩川河川敷に設置した、野良猫ハウス(写真あり)のえさ箱に、野鳥観察趣味の男が、殺鼠剤を混ぜていた。今月4日朝、この団体の会員が見付け、警察に通報した。この男は「猫は鳥を襲うから」と語ったと言う。この付近では今年1月頃から野良猫への悪戯・虐待が目立つようになって来たとの事である。「弱い動物を狙う卑劣な行為。子供や散歩の犬にも被害が出かねない」と批判している。この記事の全文は、同紙のホームページでも見る事が出来るだろう。http://www.tokyo-np.co.jpである。8面の遊遊ライフ欄の下段に「シェルター支援し殺処分を減らそう」との見出しで、動物愛護活動を支援するNPO法人「ボーダー基金」の殺処分を減らす活動の1つ「チャリティー・ピンバッジ」を紹介して売上げの一部は、全国の動物シェルター支援に用いられるとの事だ。1個1000円である。詳しくはボーダー基金のホームページに。

レディーのクー

2008-10-20 05:57:05 | Weblog
おはよう御座います。クーちゃんです。ここ数日秋晴れの良い天気が続き、過しやすく、私達ネコにとっては、お日様の光を身体に充分に受け、冬の備えが出来ますわね。みなさまは秋の味覚の美味しい物を沢山召し上がりましたでしょうか。私達の拙いブログを、毎日ご覧頂き、父に成り代わりまして感謝申し上げます。
私の毎日は、お昼寝をする事と、2歳になろうというのに、まだやんちゃで、お子ちゃま気が全く抜けない、弟のココの相手をする事です。あの子はオチビの頃と全く変わらず、私の顔を見れば「くーちゃんぼくと遊ぼうよ。ネェー・ネェー遊んでくれないかニャー」と申しまして、ひっこく後を追いかけてくるんです。毎日ですよ。「煩い子ね。一人でおもちゃで遊びなさい」と叱るんですけど、全く効き目はありません。今朝もあまりしつこいから「お父さんに遊んでもらいなさい」って追い返したら、父が仕事をしているパソコンの前に座り「ネェー遊んでよ」って言ったんですけれど、父に「画面が見えない。退け」って叱られて、シュンとなり、ソファーで不貞腐れて、丸くなっていました。
最近やっと、お廊下の高いベッドで私と並んで、静かにお昼寝が出来るようになったのは、進歩だと思いますけどにゃー。でも可愛いですよ。ココの匂いは私と同じですから。だからお台所で「クーちゃん、残っているカリカリ食べても良い」って言うから「良いわよ」って、言ってしまうんです。
昨日の夕方、ココが居間で遊んでいるのを、電話機の前で座って見ていたら、母に「クーちゃんはやっぱりレディーね。足の組み方ココとは違うわ」って誉められたんです。嬉しかったワー。
さて朝ご飯も食べたし、自分の部屋に帰って、出窓でお日様の光を受けながら、お昼寝をする事にしますわ。家には昼寝の嫌いなネコも居りますけど。
失礼しました。御機嫌よう。

祈りの歌

2008-10-19 07:20:17 | Weblog
「キリスト教の結婚式やお葬式に行くと、必ず立って聖歌や讃美歌を歌うだろう。あれが嫌なんだよ」と言う方も多いのではないだろうか。仏教では黙って意味の分からぬお経を聞くだけだが。先日大宮聖愛教会で営まれた、速水司祭の葬送式では、師の愛唱する聖歌が歌われた。列席者の多くが、同じ信仰者であり、素晴らしいハーモニーとなった。
教会の礼拝で、今のように聖歌が何時頃から歌われるようになったのかは、僕は不勉強故分からぬ。しかし、その歌詞は聖書の御言葉に基づいて創られており、祈りの一つである。聖公会やカトリック教会は、聖餐式で式文の祈りも、チャントとして、オルガンの伴奏と共に歌う事も多い。日本聖公会では、口語祈祷書に改定されてから、何人かの方が新しいチャントを作曲された。僕の所属する聖愛教会では、オーガニストで、桐朋大学でも教壇に立たれた事のある、Tさんが作曲されたものを、キリエから主の祈り迄数曲歌う。歌うのは心で神様を賛美し、感謝と願いの祈りゆえ、音痴な僕も大きな声で歌う。
典礼形式上の仏教とキリスト教の違いは、祈りの歌の有無だろうか。
写真は、大正末期か昭和初期に作られた、今も使われている聖愛教会のオルガンである。

まぶしいニャー

2008-10-18 06:21:51 | Weblog
おはようココだよ。元気だよ。今日もお日様ニコニコ、お廊下に来てくれないかニャー。ぼくは本箱の上で、伸び伸び寝んこだし、クーちゃんは箪笥の上の籠ベッドで真丸寝んこ出来るもんニャー。お父さん神様にお祈りしてくれないかニャー。
今朝はぼく良い子だったよ。朝ご飯迄はネ。台所のお椅子に寝て静かにしてたもんニャー。きっとお仕事、はかどったと思うよ。ご飯を食べ終わって、ご馳走様を言いにモニターの前に座ったら「ココ画面が全く見えない。退けよ」だって。折角良い子してようと思ったけど「やーめた」。モニターの真ん中に座りなおしたら、カメラがピカだよ。これ眩しいニャー。思わず目を瞑っちゃった。何回もピカピカさせるから、お父さんの頭をコンコンと叩いたよ。ぼくは優しいから、痛くないようにするけど、この前クーちゃんとお父さんのかくれんぼ見てたら、クーちゃん両手で思いっ切りお父さんの頭を叩いてたよ。これは痛いよね。
痛いって言えば、お父さんの左肩と腕は上がらない位痛いんだって。昨日はお風呂から出た後で、お母さんに湿布貼ってもらってたけど、あれってすごい匂いがするんだネ。鼻の良いぼく達ニャンコには迷惑だよ。だから、昨日の夜は、ぼくは棚の上のベッドで寝たよ。「ココお出で」ってお布団上げてくれたけど、断ったんだニャー。
お父さんの痛いの、早く飛んで行かないかニャー。クーちゃんに、お手てで、あっちへ行けっておまじないしてもらおうかニャ。今日も良い子で遊ぶんだニャー。バイバイ。

只今休戦中

2008-10-17 06:16:08 | Weblog
ココは空気の読めぬニャンコである。クーに「これ以上近付くとこれよ」と手を挙げられても「クーちゃん好きだよ」と追い掛ける。少し離れていれば、クーも文句を言わないのに。それでもココは、クーを嬉々として追い掛ける。クーが逃げ込むのは、居間ならば、電話機の前か、パソコンの奥にある、百科事典の上である。
今朝は、クーが食後の一休みで、冷蔵庫の上に居た。そこにココが「ゴァーン・ゴァーン」と言いながら台所に入り、カリカリ容器に手を掛けて「早くご飯頂戴」と。クーの事は全く無関心に食べる事最優先であった。食べ終えたココは、流しに上がりクーに向かって、チョチョイのチョイと手を出すが、クーには届かない。諦めたココは廊下へと立ち去った。それを見届けたクーは、電話機の前に足音を忍ばせて移動したが、ココはそれに直ぐに気付き、走って居間に戻ったが、クーの側には行かず、休戦となった。
その後、僕が台所に立つと、ココも付いて来て、その間にクーはパソコンテーブルに。僕と一緒に居間に戻ったココは「クーちゃん追いかけっこしないよ。ぼく一人で遊ぶんだ」とおもちゃ箱の前に行ってしまった。
二人は決して仲が悪いのではない。ココがその場の空気を読めぬだけなのである。
昨日書いたように、今日は速水司祭の葬送式に出掛け、師の魂の平安を祈ってこよう。ただ腰が痛いのが気になるが。

恩師 速水司祭

2008-10-16 02:40:32 | Weblog
速水敏彦氏死去 立教大名誉教授(共同通信) - goo ニュース
昨日の夕刊社会面最下壇の逝去者欄に僕は釘付けとなった。そこには、速水司祭逝去の記事が。出会いは47年前、立教チャペルで祭壇奉仕者(アコライト)に入った頃である。師は常に温厚な眼差しを絶やす事無く、礼拝への指導をしておられた。当時の立教チャペルには、竹田鐵三、矢沢信夫、速水敏彦の3師が、大学と中学生に聖書指導をし、礼拝を守っておられた。大祝日では、3師全てが出る。年の若い速水司祭は常にディーコンパート(執事役)であった。また、毎朝聖餐式を行い、チャプレン(学校付き司祭)は交代で司式をされ、アコライトの大学生・中学生も交代でサーバーを行った。サーバーをする時僕は速水司祭の司式の時が一番肩の力が抜け、間違いも少なかった。師の温かなお人柄だろう。洗礼を受けた翌年の4月、大人の信徒になる、信徒按手を当時の教区主教後藤主教から受け、翌日の初陪餐のパンは、速水司祭から頂いた。
速水司祭が新約学の日本有数の権威と言う事を知ったのは、ずうっと後の事で、新書版の著書を読んだ時である。その語りは竹田鐵三神父と同じで、難しい事を噛み砕き、優しく分かりやすい言葉で書かれていた。惜しい方が天に召された。
「全能の神よ、主を信じ、主に使え、御言葉を伝えて世を去りし、速水敏彦司祭の魂、御もとにあって安らかに憩わん事を。残されしご家族の上にも主の慰めが豊かに注がれん事を、主イエス・キリストによって祈り奉る。アーメン」

揃って「ゴァーン」と

2008-10-15 09:39:39 | Weblog
昨日の夕方、昼寝から覚めたクーとココは、追いかけっこをはじめ、家中を駆け回っていた。クーは僕と家内の座っている足元を迂回するように逃げていた。ところがやんちゃ坊主のココは、家内の肩の横を駆け、僕の太股を思いっ切り踏み付け、直線的にクーを追い掛け、台所の入口で鉢合わせ。クーに「シャッアー」と言われ、手を挙げられると、たじろぎ後ずさりをした。その間にクーは調理台の横に置かれた、クーたんの椅子に飛び上がった。
ココはクーに気付かれないように、忍び足で近寄る。しかし高い椅子に座り、目を真丸にして見ているクーにはとっくに気付かれている。ココはクーの下で静かに伏せた。追いかけっこは休戦となり、二人は静かに過していた。暫らくするとクーが「ミャァー」「お母さーん」と呼ぶと、続いてココも「ンミャー」「お母さんー」と。時計を見れば、猫達の夕食の時間になっていた。
家内は席を立ち台所に入り二人に向かって「ゴハーンですか」と言うと、揃って「ゴァーン」と言った。クーもココもはっきり分かるように「ゴァーン」と言える。二人の茶碗を並べて、カリカリを入れるが、ココは食べようとせず、クーの茶碗を覗き込むが、クーは怒らない。それを見ていた家内は、ココの茶碗を手に、ここの部屋に。家内の後ろをココも駆け足で付いて行く。ココは食べ終えた後も静かになり、寝てしまったようだつた。

ひとときの青春

2008-10-13 09:53:57 | Weblog
昨日の午後80余名が、ひとときの青春を得ようと、町田行きの往復切符を手に駅前のホテルに集った。集った者の顔には、幸せを得ようと自分を殺し、家族の為に40数年走り続け、軌跡の皺が刻まれている。勿論それを苦労などとは思わぬ。
ロビーでは開会前から、再開を喜び、互いの無事を確認する、握手や写真を撮り合うフラッシュが光る。高等学校同期還暦祝会である。来賓の恩師もまた、家族の幸福を願い、懸命に走って来られた方々で、共感し合える。食い、飲み、語る。夫々が走った道を。中には卒業以来と言う顔も。名前が思い出せず、名札を見せ合う事も。学年で1、2番のっぽの僕は名前を憶えている方も多くおられた。
僕は孫とニャンズの写真を持参した。一緒にボランティア活動を引っ張ったÅさんもネコ派で、我が家と同じく、2ニャンと暮らす。同級生のBさんも下町でニャン子さんと一緒だと言う。みなさん孫と同じに可愛いと、愛猫の事を語る時は、目尻が下がりぱなしだった。皆と語り合う内に、先生方を含め、以外にも愛猫家が多い事をしった。僕からはニャンコブログを書いている事を伝えた。
時間が経つのはアット言う間で、最後は校歌を合唱して締めたが、みんな校歌を良く憶えており、歌詞のメモを見る事無く歌っていた。それだけ、高校生活はインパクトが大きかったのだろう。
その頃、晴天に恵まれた日曜日、我が家のニャンズは、柔らかな秋の日差しを身体一杯に受け、きっと写真のような格好で、体内エネルギーを溜め込んで居たのだろう。僕が帰宅すると、ココが大きな声で僕を呼び、軽くおにぎりを食べている間も側から離れなかった。今朝のクーは朝ご飯を食べた後、僕の横に来て、新聞に潜って「お父さん遊ぼうよ」とねだったのだ。

ピンポーンが鳴ると

2008-10-12 05:56:48 | Weblog
ココを引取りに神戸のビートさんのお宅にお伺いし、ピンポーンを鳴らすと、玄関にはココとユッキーが待っていた。あの頃のココは、ピンポーンとインターホンが鳴っても驚かず、家人と一緒に玄関へ出て来た。東京に連れて来てからも、クーは身を隠そうとするが、ココは人が来るのが嬉しくて、初めての人でも平気で側に近付いたものだった。ところが最近は、ピンポーンが聞こえると、居間で遊んでいても、台所のワゴンの下や茶の間のココハウスに一目散で駆けて行き、身を潜ませる。どうした事だろうか。まもなく2歳になるが、見知らぬ人は怖い事を憶えたのか。
僕が帰宅して、インターホンを鳴らしても、隠れ家を探すという。出窓で僕の帰宅を見ていたクーは、僕が玄関に入ると、自室の扉を叩き「この扉を早く開けてよ」と騒ぎ、居間にココの姿が見えぬと「あの子どうしたの」とキョトンとする。ピンポーンを鳴らしたのが僕と分かっても、暫らくは身を潜めて出て来ない。
そしてネット通販で買った猫ハウスは、クーはほとんど入らず、もっぱらココが使い、悪戯がバレテ怒られた時も、このハウスに潜り込んでしまうのである。
今日の午後は町田で、桜美林高校同期の合同還暦祝会が催される。カメラと孫とクー&ココの写真を持って出席する。帰りは夜遅くになりそうだ。帰った時ピンポーンを鳴らすと、ココは隠れてしまうのだろうか。