猫なで声と言う言葉、その言葉の概念は中学生の頃から良く知っていたが、6年前の今朝迄実感は無かった。6年前の今日我家の車庫で、手の平サイズの仔猫が泣いていた。それがクーである。その朝僕は出勤する時「チビちゃん行って来るよ。良い子しててね」と言うと「ミャァー」と返事が返って来た。これで僕はメロメロになり、猫なで声の実感を持てたのである。
今朝もクーは、朝ご飯を食べ終えると、自分の部屋への扉の前に立ち「ミャアー」と柔らかく澄んだ声で僕を呼んだ。クーの言葉を訳せば「お父さん扉開けてよ。クーちゃんお母さん起して来るから」となるだろう。クーは幼い頃から澄んだ声で甘えるニャン子である。母ネコと一緒に居た時もこんな可愛い声で、母ネコに甘えていたのであろうか。こんな可愛い仔猫を捨ててしまう輩には、6年経った今も猛烈に腹が立つ。街角の掲示板等に「可愛い仔猫を差し上げます」のポスターを出せば、貰い手があったと思う。捨てられたクーは、天使の導きで我家の子供になった。
ネコが甘える時、クーのように、猫なで声で人に話しかけるのと、ココのように行動で甘えるのとの2通りあるようだ。僕にはどちらも可愛い。今もモニターの前にココが寝そべって「お父さん、可愛いぼくを撫ぜてよ」と時々手をキーボードに伸ばして甘えている。クーは台所から「ミャ~アー」と言い「クーちゃんご飯食べるから撫ぜてよ」と甘い声を出している。
クーが我家の子供になって、ネコの全てを教えられ、心が1段と豊かになったのである。
今朝もクーは、朝ご飯を食べ終えると、自分の部屋への扉の前に立ち「ミャアー」と柔らかく澄んだ声で僕を呼んだ。クーの言葉を訳せば「お父さん扉開けてよ。クーちゃんお母さん起して来るから」となるだろう。クーは幼い頃から澄んだ声で甘えるニャン子である。母ネコと一緒に居た時もこんな可愛い声で、母ネコに甘えていたのであろうか。こんな可愛い仔猫を捨ててしまう輩には、6年経った今も猛烈に腹が立つ。街角の掲示板等に「可愛い仔猫を差し上げます」のポスターを出せば、貰い手があったと思う。捨てられたクーは、天使の導きで我家の子供になった。
ネコが甘える時、クーのように、猫なで声で人に話しかけるのと、ココのように行動で甘えるのとの2通りあるようだ。僕にはどちらも可愛い。今もモニターの前にココが寝そべって「お父さん、可愛いぼくを撫ぜてよ」と時々手をキーボードに伸ばして甘えている。クーは台所から「ミャ~アー」と言い「クーちゃんご飯食べるから撫ぜてよ」と甘い声を出している。
クーが我家の子供になって、ネコの全てを教えられ、心が1段と豊かになったのである。