まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

斗六の建物をめぐる。

2018-10-18 22:17:07 | 建物・まちなみ
斗六の続き。

太平老街から歩いて来た、斗六行啓紀念館。青々した芝生の広場の奥に鎮座するレンガ色の建物は
駅舎か、学校か、お役所か、などとと思うが、日本統治時代の1923(大正12)年に、裕仁皇太子が台湾各地を
行啓されるときに台湾内で8ヶ所に建てられた記念館のうちの1つ。
集会場や講堂などとして使われた。


直線的なフォルム。大正の終わりにもなると装飾も少なめだな。この日は前の広場でイベントをやっていて
建物の全貌が撮れなかった。


現在は建物は一般公開されていて、中ではこの建物の歴史などについての展示がある。


当時の新聞記事の切り抜き。当時は結構なニュースだったのだな。


並んだ縦長窓からは南国の緑が見え、一幅の絵のよう。。


上へ上がって高い吹き抜けを俯瞰。おぉ♪
螺旋階段はおそらく後から取り替えられたものだが、スタイリッシュでカッコイイ!


屋根を支える小屋組は入り乱れているが基本キングポストトラスだな。


正面のベランダに出ると屋根がすぐ目の前に。この建物の屋根がセメント瓦であることがわかった。


ところでこの行啓紀念館のすぐ横に、レンガ造の小さな小屋が何軒かあった。日本統治時代の警察官舎らしい。
現在はリノベーションされ「哲美系 二手書店」というお店になっているようだ。おしゃれな古本屋か。






カフェもやってるのかと思ったが、イートインはできないようで、ペットボトルに入った果汁100%手絞りの
ジュースを購入。う~ん、さわやか!!


こちらの建物は使われていないようだ。


そしてその裏手に奇妙な小山が。これは何だ!?石垣が組まれた明らかに人工的な小山。これは雨よけ付の入口なのか!?


奇妙なのは、この山の上から臭突のようなものが、まるでつくしのようにニョキニョキと飛び出しているのだ。
いや、上だけではない。横からも土管が突き出している。


説明板などは見当たらなかったが、防空壕に間違いなさそうだな。


その手前には「雲林記者之家」と書かれた建物が。これは1960年代に建てられたもので、ジャーナリストの
交流の場であったらしい。雲林県における新聞事業の発展を見続けてきた建物として、歷史建築に登録されている。
※「歴史建築」とは、古蹟よりもゆるい日本で言う登録有形文化財にあたる。


大きなものから小さなものまで。日本統治時代に建てられた建物が今も大事にされて使い続けられているのを
目にすると本当にうれしいなぁ!

続く

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