まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

東予の旅 山を下る

2015-01-05 22:09:26 | 風景
マイントピア別子からの続き。

歩道もない銅山川沿いのバス道、歩いている人は誰もいないが、お天気もよく気持ちいい。
これは養蜂だろうか。


古い橋の橋脚や親柱などの遺構もあるし、石垣の美しい斜面の集落などを眺めながらのハイキング。
なにしろ、下り坂なのでごきげんである(笑)。


こんな素敵な吊り橋を見つけた。しかし渡った先の集落には人の気配がない。廃墟か??




古い木造校舎っぽい建物が見えたので立ち寄る。
ゲートボールを楽しんでいたおっちゃんの一人が、これは元幼稚園だと教えてくれた。


案内板によると、ここは別子銅山と新居浜口屋を結ぶ物資運搬の中継基地であった立川中宿で、
1702(元禄15)年に設置されたというからかなり早期のことである。
生活物資の荷上げと粗銅の荷下げが行われ、銅蔵や米蔵が建ち並んでいたとか。


明治になると立川精銅所が設置され、大阪の鰻谷の銅精錬所に取って代わったとも。
それまでは粗銅のまま大阪まで運んであんなまちなかで精錬していたのか!
しかし、鉱山鉄道ができると立川中宿の中継地としての役割は終わり、精錬も新居浜の
港近くの惣開(そうびらき)精錬所に移った。

現在では山間の小集落にしか見えないが、近くには立川イエス之御霊教会などもあり
人とモノと情報の集まる結節点だったことがうかがえる。

山の中にそびえるレンガの煙突が見えてくるともう麓である。煙突は旧山根精錬所のもので
この山は正式には生子(しょうじ)山という名だが「えんとつ山」と呼ばれているらしい。
石垣の立派な門構えの住宅が並ぶ地区もあり、管理職の住宅だったのだろうか。


そして、美しさで言ったらここが新居浜の銅山関係の産業遺産で一番の見所かもしれない
山根競技場観覧席。観覧席が全部石積みなのだ!その美しさは息を飲むほど!!


銅山で働く人々の福利厚生のために、労働奉仕によって1927(昭和2)年に作られた
グラウンドで、観覧席は6万人が収容できるとか!?




南予の段畑を彷彿とさせる(まだ見れてないが・・・汗)石段は、数えると合計27段あった。
この観覧席を埋め尽くす観衆の声援はどれほど活気に溢れていたことだろう。

山根公園は今も新居浜の人々のレクリエーションの場として親しまれている。

隣には大山積神社と別子銅山記念館があった。神社の境内には住友マークの入った
電気機関車が展示され、屋根の上に木を植えた銅山記念館の建築にも興味を引かれたが、
グラウンドに目を奪われ気づくのが遅かった。。。バスの時間が迫っているのだ(汗)。

マイントピアでバスを待ってボーっと1時間つぶす代わりに、山根競技場をはじめ
銅山関係の遺構をたくさん見ることができたわけだが、ここから新居浜のまちなかまでは
まだかなり距離があり、このバスを逃すと痛い。広瀬歴史記念館とあわせて宿題とするか。。



続く

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