まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

お屋敷がんこ 京都亀岡楽々荘

2020-08-19 23:46:27 | 建物・まちなみ
コロナの自粛期間が明けてから、元洋風建築講座仲間に声をかけて亀岡の楽々荘へ行ってきた。
近年お屋敷がんこの店になったということで敷居が低くなった。
悠々自適のおじさま方がご自慢のマイカーを出してくれ、3台に分かれて楽々ドライブ。



がんこになる前は高級イタリアンの店が入っていたようで、仲間のうちで行ったことがあるというセレブな人によると
値段は高かったがとてもおいしくゆったりできたという話だった。
しかしリーズナブルなランチで建物を楽しめるようになって、平民である私にはありがたい(笑)。
こんなお屋敷の店でも、まちなかのがんことほぼ変わらないメニューで利用できるのだからすごいよね!
古い建物の良さを生かして品位を保ちつつ、誰でも気軽に利用できる価格帯でそこそこおいしいお料理、
そしてどこの店もサービスがいい。その上でちゃんと売上げを確保できるビジネスモデルはお屋敷の救世主だな!

駐車場から商店街に面した入口へ、敷地をぐるっと半周まわる。水路に面して古い石垣と板塀が続いている。


この古い門扉はかつての入口だったのだと仲間が教えてくれた。水路に橋はもうないが痕跡がある。




楽々荘はもとは亀岡出身の実業家で政治家、田中源太郎の旧邸。1898(明治31)年頃に自身の生家を改築して
建てたものと言う。彼は京都鉄道会社を創設した(京都鉄道はJR山陰線の旧線であり現在の嵯峨野観光鉄道)ほか、
数々の事業に関わり関西の政財界に名を馳せた亀岡の名士である。
レンガ造の洋館が本邸として、書院造りの和館は迎賓館として建てられたものとか。


田中氏が亡くなったあと、1948(昭和23)年から「保津川観光ホテル楽々荘」として長らく使用されてきたが
2018(平成30)年3月から「がんこ京都亀岡楽々荘」として開業。


正面の植え込みの木が育ちすぎて建物がうまく写真が撮れないのだが(苦笑)、、、立派な式台つきの玄関がある。


その背後にレンガ造の洋館。洋館の方が住まいだったとは驚くな!
玄関、洋館、和館が有形登録文化財である。


ところで生家を改築したということは、もとの建物は田中源太郎が生まれた時には建っていたということである。
wikipediaによると田中源太郎は、嘉永6年1月3日(1853年2月10日)生まれ。
どの程度改築したのか分からないが、江戸時代の建物がどこかに一部でも残っているのだろうか。
あの水路に面した古い門は当初の名残なのだろうか。

式台付き玄関の脇に別で設けられていた入口から店の中に入ると、フロアの一角にレンガの壁が露出していた。
うわっ、これはあの洋館の壁じゃないの。おもしろいなぁ。


見学をお願いしてあったので食事の前にお庭の方へ案内して頂いた。お庭から見る方が建物がよく見える。
中央にペパーミントグリーンのコロニアルスタイルの洋館がどんと建っている。
2階はサンルーム的にガラス窓がはまり、1階はテラスが回る。


まだ大きなガラスが作れなかった時代に違いない。ガラス窓は桟で細かく分割されている。


テラスの垂れ壁(?)にもガラスがはまり、明るさが確保されている。


テラスの床は明治の洋館っぽいクオリータイル敷き。


お庭に張り出した和館。こちらはガラスに顔をつけて覗き込んだだけ。。。細かい細工の欄間が見えた。


650坪の池泉回遊式庭園は、京都の名匠七代目小川治兵衛(植治)による作庭。保津峡の絶景に見立てたすり鉢状の
庭園になっているとのことだが、建物の写真を撮るのに気を取られてあまりじっくり見なかったなぁ(汗)。


こちらにも和館があったが・・・内部は見れておらず。


建物内に戻り、今度は洋館の内部を見に行く。
廊下に停まっていたこれは料理を運ぶ機械。自動で所定の部屋まで運んでくれるようだ。へぇ~~すごい!
自動運転車じゃないか(笑)。お店の人によるとこれを導入したのはもうずいぶん前らしい。
機械も和風の装いなのがさすが!


洋館の中へ。お庭から見たコロニアルスタイルの洋館は、玄関側から見たレンガ造の洋館と同一のもののようだ。
レンガ造のまわりに木造のベランダを取り付けたということか。印象がまるで違うので別の建物かと思った。


先に2階へ。


和風の欄干を思わせる手すり。


続く。

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