十三大橋へ行く途中、ふらっと角を曲がったら、この建物があった。
おおっ、なんだこれは!三榮工業ビルや浅尾ビルとよく似ている~!
規模は大きいが雰囲気はそっくりだ。戦後モダニズム建築だろうか。
ひさしが窓枠をぐるっと囲むように下辺まで巻いている。
そしてそのひさしの角は小さいがアールになっている。
窓の建具はすべてアルミサッシのようだ。最近取り替えたようには見えないので
当初からのものとすれば、アルミサッシの普及時期から考えて昭和30年代
半ば以降の築だろう。
そして、この階段を見て!!
階段の屋根は窓枠のひさしからつながって一体化し、
段々の形は石の腰壁と、壁側の腰張とともにシンクロしている。
全体真っ白な外壁だが、エントランスまわりだけ、風格を持たせるためだろうか、
茶色のスクラッチタイルとグレーの御影石が使われている。
石材の一部には、市松模様の彫り模様が施されている。
スクラッチタイルを使っているのでそう新しい時代のものでもないと思われるが。。
丸窓も、ここのだけ茶色の木製と思われる建具が入っている。
徹底して水平垂直ラインと真円だけを使ったデザインだ。
敷地内のすべての建物が同じテイストで、塀まで真っ白で揃っている。
こんな建物があったとは今まで知らなかった。
詳しいことは全くわからないが、私的にはなかなか大きな発見だ。
後日追記)この建物は昭和9年築とコメントで教えて頂きました。戦前とは!!
驚き。戦災で改修が入ったことは想像されますが。
おおっ、なんだこれは!三榮工業ビルや浅尾ビルとよく似ている~!
規模は大きいが雰囲気はそっくりだ。戦後モダニズム建築だろうか。
ひさしが窓枠をぐるっと囲むように下辺まで巻いている。
そしてそのひさしの角は小さいがアールになっている。
窓の建具はすべてアルミサッシのようだ。最近取り替えたようには見えないので
当初からのものとすれば、アルミサッシの普及時期から考えて昭和30年代
半ば以降の築だろう。
そして、この階段を見て!!
階段の屋根は窓枠のひさしからつながって一体化し、
段々の形は石の腰壁と、壁側の腰張とともにシンクロしている。
全体真っ白な外壁だが、エントランスまわりだけ、風格を持たせるためだろうか、
茶色のスクラッチタイルとグレーの御影石が使われている。
石材の一部には、市松模様の彫り模様が施されている。
スクラッチタイルを使っているのでそう新しい時代のものでもないと思われるが。。
丸窓も、ここのだけ茶色の木製と思われる建具が入っている。
徹底して水平垂直ラインと真円だけを使ったデザインだ。
敷地内のすべての建物が同じテイストで、塀まで真っ白で揃っている。
こんな建物があったとは今まで知らなかった。
詳しいことは全くわからないが、私的にはなかなか大きな発見だ。
後日追記)この建物は昭和9年築とコメントで教えて頂きました。戦前とは!!
驚き。戦災で改修が入ったことは想像されますが。
なお、私は「吠えたり」しません(笑)
受付の姉ちゃんや警備のオッチャンに「写真撮らせておくれやす」です。
やはり戦前でした・・・・(負)
河内永和の、私も車窓から目つけてました!
市民会館とかホールとか、昭和の公共建築は今見るとカッコイイのが多いですよね!
マユさんは吠えられたのですか?(笑)
ほんとに、このデザイン戦前とは思えなかったですが、
これからは見る目を変えなければいけませんね~
隣の延原倉庫も見ました。
昭和21年の戦災焼失区域表示入りの地図を見ましたら、この一角は戦災を免れたようです。
ん~~わからないものですね~~
確かに、スクラッチタイルは戦前の特徴ですよね・・・
ではあのサッシは取り換えられたということか。。
そしたら浅尾ビルや三榮工業も戦前の可能性もあるのかなー
浅尾ビルは戦前でもまだ納得。大阪人で取り上げてくれないかなぁ。
1Fのタイ料理屋に行けていないうちに一風堂(ラーメン屋)になってしまいちょっとガッカリ。
表紙たしかにアレですね(笑)
それでもsold outらしく、まだ見れていません。
この建物の資料がないそうで、大阪人に
掲載している以外の情報はないと伺いました。
ちなみにこの東京本社(田町あたり)も
丸窓を使った近代建築なのです。
バックナンバーは、表紙がかなりアレです。
(説明不可)
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横長の連続窓、丸窓、玄関へのアプローチ階段部にのみ用いられているスクラッチタイルと花崗岩、段々状の手すりと庇 etc. が見事に融和しています。
内部も良さそう。
感想は、”美しい!”です。
よく手入れされているのでしょうが、デザイン的にもぱっと見にはとてもS○年築とは思えませんでした。
また、隣の延原倉庫にもなかなか古い建物が残っているようで、明らかに煉瓦造と思われるものも一棟見えました。この界隈もじっくりと探訪する必要がありそうです。
などなど。
そうだったんですか!大阪人に掲載されていましたか!
発見だと思いましたがもう3年も前にすでに発掘されていたのか・・・
本棚を見ましたがその号は手持ちにはありませんでした。
では、皆さん答えは書店にて大阪人のバックナンバーを探しましょう。
内部の様子が掲載されていますよ。