まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

司牡丹の酒蔵建築

2021-07-30 23:11:40 | 建物・まちなみ
高知の続き。

佐川の古いまちなみエリアをぐるっとめぐると、司牡丹酒造関係の建物が半分ぐらいを占めている。半分は言い過ぎか(笑)
とにかく旧浜口家住宅から東側はほぼ司牡丹である。


佐川はもともと清廉な水に恵まれた地であったところに、1600(慶長5)年、山内一豊に伴って入国した家老深尾氏が
佐川1万石の領主となったとき、美濃から酒造りの職人を連れてきたことで、酒造業が発達したという。
のちに、いくつかあった酒造家が合併して司牡丹酒造となった。
天保時代に建築された1号庫をはじめ、2号庫から5号庫まである蔵造りの建物は、明治以前のものというが
建築年代は不明。


この長さ80mもある迫力ある蔵が1号庫。さっき模型展でも見た建物だ。すごいな!!今も現役の酒蔵なのだ。


こちらは現在焼酎蔵としてつかわれている建物。1号庫以外はどれが何号庫か正直よくわからない(苦笑)


こちらの司牡丹のアンテナショップ「酒ギャラリー」は、浜口家から譲り受け料亭「ほてい」としていた建物。


日本植物学の父、牧野富太郎博士の生家ももと酒造家であり、その建物も司牡丹の一部となっている。
(どの建物か不明)


道を挟んで両側に蔵や工場や事務所があり、可動式の雨よけが設けられている。もう全体が司牡丹村(笑)
右奥の下見板張りの建物は昭和初期頃のものだろうか。これもなかなか素敵だ。








いろんな時代の建物が混じっているがいずれも現役なのがいい。会社の発展の歴史を物語る建物たちである。


こちらは竹村家住宅。
「黒金屋(くろがねや)」という酒造家で、司牡丹の前身であった。主屋、店舗部が1780(安永9)年頃、
座敷部は1838(天保9)年頃に改築されたとか。建てられたのはもっと古いわけだ。
領主に謁見が許される「お目見え町人」であった竹村家では上客を迎えるための上質な座敷を備えており、
土佐地方特有の様式で建てられた建物は重要文化財に指定されている。


内部は見学できなかったが、リーフレットの写真を見ると、やはり一刀彫の欄間や花頭窓のような付書院など、
今回あちこちで見たお屋敷と共通する。これがやはり土佐様式なのだな。


続く

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