武豊線めぐりをしたのは土曜日。ほんとは衣浦湾を渡って高浜と碧南にも行きたいと
思っていたのに果たせなかった(欲張りすぎ!)。
それに、行きしな大府で乗り継ぎ時間が20分ほどあるので下車してうろついていたら、
跨線橋のところで衣浦臨海鉄道の貨物列車がやってきたじゃないの!慌ててカメラを向けたが
ロケーションが悪い~(涙)
1日1往復というこの列車がちょうど大府で見れるとわかっていたらホームで待っていたのにぃ~!
・・・てなことで、日曜日にリベンジ、2日連続18きっぷで武豊線訪問(爆)。
さぁ大府に着いたら米原方面行きのホームへ渡りカメラを首からかけてスタンバイ。
時間は分かっている。11時40分すぎ、ディーゼル機関車のライトが見えてきた!
引き連れているのはホッパー車4台。昨日よりこじんまりとした編成の貨物列車はホームから
離れた線にすべりこみ、構内に停車した。
このホッパー車は三岐鉄道の東藤原から炭酸カルシウムを運んで、帰りに中部電力碧南火力発電所
から石炭灰(フライアッシュ)を積んで帰ると、昨日の夜ネットで見た。
レールを通じて思いもかけないところとつながっている・・・・それが貨物線の魅力だ。
昨日武豊線に乗る直前に機関車をつけ換えているのがちらりと見えたので、今日は1本遅らせて
もうしばらく見ていたのだが、今日は電気機関車はやって来ないし出発する気配もない。
武豊線の出発時刻になったので残念だがあきらめる。日曜日はダイヤが違うのかな。。。
さて東浦駅で降りてみる。駅の裏には工場の廃墟が広がっているし、駅前も工場跡地に建てられた
らしき店舗群がある。到着の直前に見えた建物が気になって近寄ってみるとやはり工場だ。
大生紡績、という文字が読める。駅裏の廃墟と一体らしい。敷地の一角にある棟には
人が住んでいるが、その裏に数棟並ぶ社宅と見られる建物は廃れてずいぶん経つようだ。
線路を挟んで反対側は意外と起伏が激しく、高台には住宅が、麓には中小工場がポツポツ立地する。
あら、いろんな色と種類のクリンカータイルが?
バスの路線図を見ると「渡船場口」という名の停留所がある。衣浦湾を渡る渡船があるのだろうか?
人に聞いてみると、昔あったが今はない、という。今は碑が立っているだけだそうだが、
ちょっと行ってみよう。
東浦では古くから製塩が行われており、塩田は除々に水田に転換されていったが、塩の専売法が
公布される明治38年まで塩田が残ったのがこの辺りだそうだ。
説明板でそんなことを知ると道沿いの田んぼも塩田に見えてくる
船着場はもう使われていないように見え、古い船が何艘か半分泥に埋もれていた。
向こうを見やると、衣浦湾の対岸がすぐそこに見える。あぁ、今も渡船があればなぁ・・・
何ヶ所かあった渡船は昭和31年の衣浦大橋の完成をもって廃止されたらしい。
昨日も三河高浜へ渡る方法を調べてみたのだが、渡船もないし、バス路線は数年前に廃止
されているので、衣浦大橋を歩いて渡るしかないが、橋は武豊線の亀崎駅からちょっと遠い。
時間も惜しいしタクシーを使うか。知多半島の横方向の移動はどうも不便である。
・・・・うわっ!衣浦大橋は私の大好きなゲルバートラスじゃないか!!あ~歩けばよかった。
橋を渡ったところにあるかわら美術館でタクシーを降りる。展示を見るが、三州瓦の産業史的な
ことがわかるかと思ったのにちょっと期待はずれ。。。でも前の広場はなかなか素敵!
グエル公園風だが、シルバーグレー一色のいぶし瓦モザイクは東洋的なモノトーンの美。
橋を見に行こう。きれいに見える場所を求めて、、、、エライところに入り込んだ。
(民有地内ではない・・・はず。)
うわぁ~!!きれい~
鳥飼大橋に似ているなぁ。。。
名鉄高浜港駅までの道は、「鬼のみち」として、瓦を使った舗装やポケットパークなどが
整備されていたり民家前に鬼瓦が飾られていたりするが、目に留まるのは自然と一体化した
道ばたのがけ。
石でも瓦でもレンガでも。何でもかんでも。
この無造作の美。なかなかのセンスである。
思っていたのに果たせなかった(欲張りすぎ!)。
それに、行きしな大府で乗り継ぎ時間が20分ほどあるので下車してうろついていたら、
跨線橋のところで衣浦臨海鉄道の貨物列車がやってきたじゃないの!慌ててカメラを向けたが
ロケーションが悪い~(涙)
1日1往復というこの列車がちょうど大府で見れるとわかっていたらホームで待っていたのにぃ~!
・・・てなことで、日曜日にリベンジ、2日連続18きっぷで武豊線訪問(爆)。
さぁ大府に着いたら米原方面行きのホームへ渡りカメラを首からかけてスタンバイ。
時間は分かっている。11時40分すぎ、ディーゼル機関車のライトが見えてきた!
引き連れているのはホッパー車4台。昨日よりこじんまりとした編成の貨物列車はホームから
離れた線にすべりこみ、構内に停車した。
このホッパー車は三岐鉄道の東藤原から炭酸カルシウムを運んで、帰りに中部電力碧南火力発電所
から石炭灰(フライアッシュ)を積んで帰ると、昨日の夜ネットで見た。
レールを通じて思いもかけないところとつながっている・・・・それが貨物線の魅力だ。
昨日武豊線に乗る直前に機関車をつけ換えているのがちらりと見えたので、今日は1本遅らせて
もうしばらく見ていたのだが、今日は電気機関車はやって来ないし出発する気配もない。
武豊線の出発時刻になったので残念だがあきらめる。日曜日はダイヤが違うのかな。。。
さて東浦駅で降りてみる。駅の裏には工場の廃墟が広がっているし、駅前も工場跡地に建てられた
らしき店舗群がある。到着の直前に見えた建物が気になって近寄ってみるとやはり工場だ。
大生紡績、という文字が読める。駅裏の廃墟と一体らしい。敷地の一角にある棟には
人が住んでいるが、その裏に数棟並ぶ社宅と見られる建物は廃れてずいぶん経つようだ。
線路を挟んで反対側は意外と起伏が激しく、高台には住宅が、麓には中小工場がポツポツ立地する。
あら、いろんな色と種類のクリンカータイルが?
バスの路線図を見ると「渡船場口」という名の停留所がある。衣浦湾を渡る渡船があるのだろうか?
人に聞いてみると、昔あったが今はない、という。今は碑が立っているだけだそうだが、
ちょっと行ってみよう。
東浦では古くから製塩が行われており、塩田は除々に水田に転換されていったが、塩の専売法が
公布される明治38年まで塩田が残ったのがこの辺りだそうだ。
説明板でそんなことを知ると道沿いの田んぼも塩田に見えてくる
船着場はもう使われていないように見え、古い船が何艘か半分泥に埋もれていた。
向こうを見やると、衣浦湾の対岸がすぐそこに見える。あぁ、今も渡船があればなぁ・・・
何ヶ所かあった渡船は昭和31年の衣浦大橋の完成をもって廃止されたらしい。
昨日も三河高浜へ渡る方法を調べてみたのだが、渡船もないし、バス路線は数年前に廃止
されているので、衣浦大橋を歩いて渡るしかないが、橋は武豊線の亀崎駅からちょっと遠い。
時間も惜しいしタクシーを使うか。知多半島の横方向の移動はどうも不便である。
・・・・うわっ!衣浦大橋は私の大好きなゲルバートラスじゃないか!!あ~歩けばよかった。
橋を渡ったところにあるかわら美術館でタクシーを降りる。展示を見るが、三州瓦の産業史的な
ことがわかるかと思ったのにちょっと期待はずれ。。。でも前の広場はなかなか素敵!
グエル公園風だが、シルバーグレー一色のいぶし瓦モザイクは東洋的なモノトーンの美。
橋を見に行こう。きれいに見える場所を求めて、、、、エライところに入り込んだ。
(民有地内ではない・・・はず。)
うわぁ~!!きれい~
鳥飼大橋に似ているなぁ。。。
名鉄高浜港駅までの道は、「鬼のみち」として、瓦を使った舗装やポケットパークなどが
整備されていたり民家前に鬼瓦が飾られていたりするが、目に留まるのは自然と一体化した
道ばたのがけ。
石でも瓦でもレンガでも。何でもかんでも。
この無造作の美。なかなかのセンスである。
使われていないように見えましたが、満ち潮の時見たらまた違って見えるかもしれません。
目の前なのに渡れない・・・ほんと、車を持たない人はどうしているのでしょう。
11年前に平壌へ行った時(!)京義線の鉄橋がゲルバートラスでした。日帝時代の戦前に作られたと、すぐに判ります。写真を撮っておけば良かったです(汗
平壌へ行かれたのですか。あちらでは写真を自由に撮れないんでしょうか。
ゲルバートラスの橋はこのブログでも天田橋や笠置大橋などいくつか紹介していますが、
ここのは鳥飼大橋と並ぶ美しさですね!