まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

旧森山家住宅2

2020-03-15 21:53:26 | 建物・まちなみ
2月の鹿児島の続き。

旧森山家住宅のきれいな田の字型配置の和室。これも欄間と言うのか・・・座敷と次の間との境にある透かし窓。


松竹梅ながデザインされている。


そして・・・次の間から見ると、何と、こちらは赤い壁!!雰囲気が全く違うなぁ!!
商談などに使う公の空間としての、客間と座敷は深緑色の壁、プライベート空間としての居間と次の間は赤色の壁、

明確に分けられているとか。


座敷の床の間が次の間側に出っ張っており、こんなところに丸窓が・・・変わってる~~


次の間と居間の境の欄間はこちら。


きんちゃく型の釘隠し。


居間と客間の間の欄間。各部屋の間はいずれも全く雰囲気の違う欄間で面白いな。



尚、離れの四畳半とお風呂などは改修済みで生活感のある空間だった。

玄関脇にある、お庭へ至る門は瓦葺の屋根がついているが、大胆にねじれた変わった材が使われている。




座敷から見えていたお庭だ。ほんの小さな庭園だが、立体的に組まれた石の間に立派な枝ぶりの松やツツジが生え
水のない池の縁には灯籠が配されている、石は元からその場所にあったかのように苔むし、シダ類が取り付く。
そして中央に鎮座するのは田の神。南九州で見られる民間信仰である。


大きなソテツが南国の庭園の風格をかもし出す。古木は、これが育ってきた数百年の年月を想像することによって
お庭に時間的奥行が加わる。



作業場は保護とは言え一見プレハブみたいでちょっとイマイチな外観だけど、内部は古い柱や梁が露出した
作業場らしい空間で、鋳造の資料や森山家についての展示があった。


柱や梁は見るからに後から追加したものもあるが、古いものは手斧の跡が見られたり、転用材が多い。
切り欠きがあちこちに入り強度的に大丈夫かと思ってしまうが、、、


ところでこの作業場に使われている材は、鹿児島市の磯にあった第1期集成館の部材を移築したものではないかと
いう話があるそうだ。


集成館第1期事業で建てた建物は1863(文久3)年の薩英戦争で焼けてしまい、現在磯にあるのは第2期事業で
建てられた1865(慶応元)年竣工のもの。
焼ける前になのか、建て替える時に焼け残った材を譲り受けたのか、、、もしそれが本当なら、
第1期集古館の忘れ形見として大変貴重な資料である。
まぁ、そもそも本当なのかはまだわからないらしいが・・・DNA鑑定とか、調べる方法はないのだろうか?


蔵は、基壇部が石積みでその上に木造の架構を載せてある。この凝灰岩は南隅(大隅半島南部)で見た
ピンク色の荒平石とは違い、加治木石と呼ばれる少し黄色っぽい凝灰岩。


繊細なデザインの持ち送り。このような建築金物は自家製と言われている。 蔵の中には資料が展示されていたが、
撮影禁止だった。


姶良市では、森山家住宅の西側に道路を通す計画があり、隣接地が道路予定地として更地になったため発掘調査が
できることになった。現駐車場部分の調査時には炉跡や集成館鋳物場跡と同じ形の石組みが発見されている。
森山家の工場は隣接地まで広がっていたと考えられており、新たな発見が期待されている。作業場の部材の謎も
解けるといいな!

さて空港近くまで戻り、安楽温泉鶴乃湯にちゃぽん!九州温泉道八十八湯のスタンプはこの旅唯一。
八十八湯の鹿児島県内の温泉はほぼ行きつくしてしまったので、あまり増えない(笑)
近くに素晴らしい温泉があって帰りがけにちゃぽんと入ることができる鹿児島空港は大好きだな!!
最後まで楽しい旅だった~

おわり。

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