まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

立売堀川跡の公園

2017-12-31 19:19:03 | 川・橋・船
久々に阿波座から西長堀まで歩いたら、おや、真新しい公園が。ここは何だった?
あっ、もしや、ここは下水道局のバリケードが立っていたところじゃないの。ということは、立売堀跡だ!


昔大阪のまちに興味を持ち始めた頃、まちなかの川跡に強く惹きつけられて廃川跡めぐりをしていた。
ここは当時、高いバリケードで閉ざされていたが、木津川との合流部から100mほど立売堀川の水面が
残っていたのだ。どこか覗けるところはないかと周囲をうろつき回り、対岸から遠望して思いを馳せて
いたものだ(笑)。懐かしいなぁ~ →こちら


数年後、対岸にある西区のスポーツセンターのプール前ロビーから、埋め立てが始まっているのを
見ていたが、その後引っ越してすっかり忘れていた。完成していたのだな!
立売堀川の断末魔

しかし、、、なんじゃこりゃ、公園の入口がおかしなことになっているじゃないの。




堤防を割って入口を作る計画をしたものの、コンクリートがあまりにも強固で崩せなかったのだろう(笑)
確かに天端で30cmぐらい、根元の部分では80~90cm近くもの幅があり、鉄筋も入っている。
ビルを解体するような大型の重機でないと、昔の固いコンクリートの塊はびくともしないだろう。
ここまで崩しただけでも相当大変だっただろうな。いやはや、ご苦労さま(笑)


大阪の都心部はかつて大阪城城下の商人町であり、西横堀以西は近世の埋め立てにより作られた土地である。
排水と水運のために大阪のまちなかには数多くの堀川が作られ、八百八橋と言われる景観ができたのだ。
戦後は水運の意義を失い水質悪化もあって、ていのいいがれき処理場となって次々と埋め立てられ
昭和40年代には都心部の堀川はほぼなくなってしまった。


埋め立てられた土地は払い下げられ、川や橋の痕跡もすっかりまちに紛れてしまったが、立売堀川
西横堀川と並んでわずかの距離ながら川の形状をとどめた水面が残り、川のあった風景を思い描ける
貴重なスポットとして気に入っていたのだった。


土佐堀、西横堀、道頓堀、木津川・・・10年くらい前までは見向きもされず暗く汚かった
大阪のまちなかの川も、魅力が見直されてリバーフロントが整備され、すっかり快適な空間になった。
ここもその一環だ。






願わくば、まちに突き刺さった形状の水面をそのままに船着場にしてほしかったが・・・
まぁまぁ、この恐ろしく固いコンクリート堤防が残ったことで、立売堀の存在は後世にまで
知らしめられるだろう(笑)


この記事を書きながら、ブログを開設する前に作っていたサイト(2004.2~2006.11)を
久々に見たら今よりずっと熱心にまちを探索していたなぁ。当時の携帯で撮った写真は許せないほど
汚いし、拙くて恥ずかしいけど(苦笑)、まちかど逍遥の原点だと思うのでリンクしておきます。
ぷにょのつれづれサイト


このブログでも度々廃川跡について書いているので、昔の記事も併せて読んで頂ければ幸いです。
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