まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

佐賀関より九州上陸

2014-10-10 22:17:30 | 建物・まちなみ
佐田岬半島の三崎港をあとにして、九四フェリーで大分は佐賀関へ向かう。


今回もパスした佐田岬灯台を横目に見ながら、船は西へ。
お天気もよくデッキの上は気持ちいい~!あっちを見たりこっちを見たりしていると70分の船旅は
あっという間。佐賀関港が見えてきた!
佐賀関半島は先端が矢尻のような形をしていて、フェリーはくびれた部分の上(北)側の港に着く。


おや、煙突、巨大な建屋、タンク、・・・佐賀関って工場地帯だったのか。
「佐賀関製錬所」という文字が見える。へぇ、全然知らなかった。


出発前日にネットを見ていたら、佐賀関には太田缶詰工場主屋という近代建築があることを知り、
高嶋さんからもおすすめ頂いたので見に行こうと考えていたのだが、現地に来てみるまでは
歩いて行ける雰囲気なのか、バスがあるのかよく分からず、現地に着いてから考えようと思っていた。

港に着いたら、下船した人たちは皆車やバイクで去って行く。取り残された私は、さてどうするか。。。
とりあえず太田缶詰さんに電話して、今からそちらに見学に行きたいのですが開いていますか、
と聞いたら、港まで迎えに来てもらえることに。えっ、ほんとに!?ありがとう~~


太田缶詰のご主人の車で工場に向かいながら、佐賀関製錬所のことを聞いてみた。
1916(大正5)に開設。世界有数の製錬所なんだとか。


昔は近くの鉱山の銅も製錬していたが、現在は外国から船で運んできた銅鉱石を精錬しているのだという。
佐田岬半島には銅山があったので、青石と同じく大分側にも鉱脈は続いているのかと思ったら
大分側には銅山はないらしい。


車はまちなかを通りぬけ、岬の南側の港へ出る。こちらは漁港である。関さば、関あじの水揚げは
年々減っているのだとか。工業港と漁港の距離は約600m、車で走ると一瞬である。
二つの港の間を埋めるようにまちが広がっており、商店街も意外に広いが、やはり現役の店は
少なくなったようだ。

太田缶詰工場については次の記事で紹介することにする。
見学した後はバス停のあるまちなかまでふらふら歩こうと思っていたが、ご主人がまた車で送って下さった。
ありがとうございます~~。ほんとに私は人から親切にしてもらってばかりいるなぁ。感謝、感謝。

ここは早吸日女神社。早吸とは豊後水道のことらしい。
豊後水道の海底に住む大蛸が守っていた神剣をご神体とし、厄除開運の神として信仰を集めているのだとか。
駐車場も整備された立派な佇まいに、ここはどこだったかとちょっと驚いた。
境内には大きな藤棚があり、初夏にはたわわな花房目当ての人々もたくさん訪れるのだろう。


境内の石垣では、赤っぽい色の石が目につく。佐田岬半島では全く見られなかった、いかにも火成岩という
感じの石で、違う地方へ来たのだと感じる。


こちらの石は凝灰岩っぽく、昨日見た井戸枠の「豊後石」と同じものだろうか?

どうしても石に目が行ってしまう(苦笑)。

早吸日女神社社家(小野家住宅)。盟和年間(1764~1769)に建てられ、木材は佐伯藩、瓦は肥後藩
から拝領したと伝えられる。県指定有形文化財に指定されている立派なお屋敷だが公開されていない。
横の坂道をちょっと上り見下ろすと、生活感は全く感じられなかったので、今は人は住んでいないのだろう。



佐賀関のターミナルからは臼杵行きと大分行きのバスが出ているが、臼杵行きは平日のみの運行らしい。
大分行きのバスも2時間に1本ぐらいの本数で、やっぱり車でないとちょっと不便なところである。
まぁ、旅の前半でかなり充実したので、後半は成り行きまかせでゆっくりでいいや、とぐうたら旅(笑)。

続く。

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