まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)

2021-11-02 23:51:21 | 建物・まちなみ
池袋からの続き。


公園のような雑司ヶ谷霊園の中を通り抜けて歩く。広い霊園の中央を縦横に車道が貫いていて、巨木の並木道もあり
静かな公園のようだ。「墓地」という暗いイメージが全くないのは特定のお寺の墓地ではなく都営の霊園だからだろうか。
1874(明治7)年に開設。ひとつひとつのお墓も広くて囲いがあって立派だ。
「竹久夢二の墓」というプレートが目についた。有名人の墓がたくさんあるようだ。


さてようやくやって来た雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)は、霊園に近い住宅地の中にあった。
松の枝が門の上に覆いかぶさるように伸びているのがミスマッチな感じ。


かわいらしい木造下見板張りの洋館。アメリカ人宣教師J.M.マッケーレブが1907(明治40)年に建てた家で、
34年間ここに住み、宣教活動の拠点とした。解体及びマンション建設計画があったが地元住民の保存運動の甲斐あって
豊島区による取得・保存が決定し、1984(昭和59)年に復原工事で創建当時の姿に戻された。


去年(2020年)、開館以来の大規模修繕が行われたとあって内部はとてもきれいだが、意匠も細やかに再現されて
いることが感じられるし、間取りや造りからはアメリカ直輸入の洋館らしさが感じられる。




1階の居間は応接室も兼ねていたといい、建物内でいちばん立派な暖炉があり、ビクトリアンタイルが唯一使われている。


深いグリーンにピンクが映える、アールヌーボー柄のタイル。




大きな窓がとられた明るい食堂。窓の桟がおしゃれだな!


東・南面にはサンルームのようなガラス張りの広縁が回っており、階段が唐突にある。




二階には寝室と書斎があるが、いずれも天井の押し縁に割竹が使われている。それもすす竹のようなあめ色だ。
もちろんこれも復原されたものだが、アメリカ人が住んだ純粋な洋館の中でここだけ日本の材料を取り入れられて
いるのが面白い。


いくつかの部屋にはショーケースなどが置かれ、マッケーレブの生活や活動の紹介、雑司ヶ谷の歴史などの
資料が展示されている。マッケーレブが住み始めた当初はこのあたりは鉄道もなく辺鄙な片田舎だったようだ。

この建物は無料で公開されていて、国際色豊かな近所の子供たちが自転車で連れだってやってきて、展示を見たり
部屋の片隅に座り込んでおしゃべりしたりと、遊び場になっているようなのも微笑ましい。

マッケーレブ邸を出て霊園沿いの道を歩いていると古そうな建物が。建物の前には手押しポンプもある。何だろう。


看板とガラス障子に「此花亭」の名が入っている。そして「東京都雑司ヶ谷霊園公認附属茶亭」と墨書きされた
古い木の看板が。へぇ、公認茶亭なんてのがあったのか!
中に人がいるのが見えたが、お店をやっているような感じではなかった。


続く。

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