まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

来住家住宅周辺の洋館

2018-04-24 01:09:10 | ディテール
来住家住宅の続き。

客湯殿から渡り廊下を左へ行くと離れ座敷がある。
離れと言うと母屋と別に増築したものと思うが、ここは母屋よりも先に建てられたものである。
客湯殿と離れ座敷を建てている途中に先代が亡くなり、梅吉が引き継いで1916(大正2)年に竣工。
その後母屋が1921(大正7)年に竣工している。

次の間と座敷の2間からなり、次の間は煎茶の茶室としても使われた。

この離れは松材が多用されており、「孤松庵」と呼ばれていた説がある。座敷の書院の格子も松葉次ぎと
呼ばれるデザインで、松にこだわっている。


座敷と次の間のあいだの欄間は表裏で異なるデザインの彫刻。こちらも母屋と同じく市川周道の手による
リアルなコウモリ(座敷側)とホトトギス(次の間側)が浮き彫りされている。


2面がお庭に面した特等席。


母屋に戻る。母屋ではお庭に面した3部屋は「ハレ」の場だったが、裏庭に面した側は「ケ」の場、つまり
家族の日常生活の場。ここから奥は2階があるので天井が低い。


1間の長さの急な階段を上り2階へ。コワイコワイ・・・使用人の部屋だったのだろう、シンプルな部屋だった。
生活空間にもこんな組子の装飾が。


2階の窓から見えたレンガの構造物は高架水槽だとか。井戸水をポンプで汲み上げておいて、湯殿などの
蛇口から水を使ったという。

ギャラリーになっている東蔵、そして非公開の西蔵もちらりと見えた。

他にタイルのあるところはないかと聞いたら、おくどさんのところにあると案内して下さった。


あっ、黒タイル貼りのおくどさんの後ろの壁に、マジョリカのボーダータイルが使われていた!


通り沿いに建つ来住家の洋館は1936(昭和11)年竣工。
現在は西脇情報未来館21という、播州織オーダーメイドシャツ専門店になっている。近代建築の活用と
伝統産業の振興との両方がうまく組み合わさった例だな!


さてそろそろ来住家を出て歩こう。この周辺には洋館がいくつか集まって残っている。
これは・・・洋館とは言わないかもしれないが、ピンク系のペンキが塗られた板壁は他とは違って目を惹く。


現地には表札も何もなかったが、旧水田産婦人科医院と書いてあるサイトがあった。
表にお揃いの納屋のような建物もあり、公民館みたいにも見えるけど。


裏から見ると学校みたいだ。飛び出した部分はトイレだろうか、丸窓がついていて純和風。

手前の広い更地には何が建っていたのだろう、邸宅だったんだろうなぁ。。。

こちらは西脇市消防団第一分団本部。現役の建物というのがいいね!


道路に沿わずに交差点の中央を向いて建っている。しかし・・・やぐらは建物の前に建てないといけないものなのか?
やぐらの基礎?倉庫?後から増築されたと見られるこの構造物がジャマ・・・横とか後ろだとダメなのだろうか(苦笑)
まぁスペースがないか・・・横には公衆トイレがあったし。


三角ペディメントに桜のマークが。


消防団の建物と共に大通り沿いで目立っていた小さな洋館。「居宅介護支援事業所 ときの郷」というプレートが
スクラッチタイルの上に貼り付けられていた。事務所なのだろう。

来住家の洋館と似ていると思ったら、どちらも内藤克雄という人の設計らしい。

蓬莱橋を渡って川の西側エリアもうろつこう。しかしもう時間が少なくなってきたなぁ。
西脇市役所の方まではもう無理か・・・


続く
コメント
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