もうかれこれ一週間以上も前のことになってしまいます。
地図の緑ラインのJR加古川線日岡駅からスタートして厄神周辺を散策しました。
知らない町中で、見どころ多く、なかなか先に進みません。
この日も2駅が精一杯
参加者:私と夫、長男の3人。
休みでゴロゴロしているなお兄ちゃんを誘うと
「俺も行こかなぁ…」と言って今日は長男と3人でジョギング散策デス🤗
日岡山公園駐車場に車を止めて、公園を出て線路沿いの道を北東に進みます。歩道がなく、センターラインのない道なのでしばらく真剣に
しばらく行くと、広い道になり歩道も出てきたので、私の足はすぐ止まる
加古川市立綾北小学校の前を通り、
住宅が立ち並ぶ沿線沿いをしばらく
……と1両電車が駅を出発🚋
11月の最後の日曜日。
寒いのが苦手な長男は
着てきた長袖の服を腰に巻き巻き、
スタートから15分で二人とも半袖です
☀️☀️☀️予想外に暑い🌡️
住宅街の中にある「神野駅」。
住宅街の中にある「神野駅」。
近代風に建て変わっています。
駅員さんもおられました。
無人駅のほうが多いのに貴重です
線路を横断し、山沿いの道へ
しばらく行くと加古川大堰の見えてくる交差点の手前で踏切を渡り県道18号をしばらく真剣に走る
坂を下って県道と別れ、真っ直ぐな広域農道を進む
坂を下って県道と別れ、真っ直ぐな広域農道を進む
途中、こんなかわゆいマンホール見つけてしまいました消防車🚒
ちなみに、普通は↑こんなです
電線に沢山の鳥がとまってて、
「絶対なんか(イタズラ)するわ…」と思てたら…「カランコロンカラン」…
「わぁ~~っ」て大声で飛び立たすつもりが、それをする前に、下に転がってた空き缶に足がぶつかり…
ってそんなことをしながら…
厄神駅到着。大きな駅です。
駅の中の階段を登り、改札に行くと
マーカーした部分が、2008年4月に廃線となった三木鉄道三木線の跡のようです。
レールは外さていますが、三木市の三木駅まで線路が続いていました。🛤️
現在は三木市側の三木鉄道跡は
「別所ゆめ街道」として遊歩道が整備されています。
(↑三木鉄道散策の時の写真です↓)
駅舎も建て直されて、駅舎風休憩所になってます。
厄神駅のこの砂利が敷いてあるところが三木線のホームだったのでしょうか。
旧三木鉄道の国包駅跡があるようです。そちらが気になるので今日は加古川線とここでお別れ
加古川線は厄神駅を過ぎるとそのまま加古川の上の陸橋を渡ります。私達は
加古川河川敷に降り、
「国包渡し跡」へ
昔、人渡しの渡し舟が出ていたそうです⛵。加古川は播磨五川の中でも最大の河川です。
「そのまた大昔、日岡山(現御陵)に埋葬するため、景行天皇の后、稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)のご遺体を乗せてこの加古川を渡っていたときに大きなつむじ風が吹き、舟が転覆してしまう」
…というお話が伝わる加古川の岸です。
この場所かどうかは分かりませんが…
よくこの辺りは加古川が氾濫し、
洪水が起こったそうで
「大阪で成功した国包出身の商人が国包の村人たちを洪水から守るために築山を作った」と言われる「築山神社」へ
小高い丘であとから神社が建てられたそう。大きな榎が築山に立っています🌲見晴らしが良く、どこからでもこの榎の木でここが分かります。
元々は3本の木🌳があったが、そのうち2本は折れてしまい、今残っている一本もパイプに支えられて立っていました🌲
推定樹齢は250年。築山が作られた頃に植樹されたもののようです。
ここから路地を通り抜けると
旧三木鉄道国包駅跡に出ました🚉
広場というか、放置って感じですね
先程居た「厄神駅」方面を見てます。ずぅっと線路があったのを思わせる真っ直ぐな手つかずの道。
先程居た「厄神駅」方面を見てます。ずぅっと線路があったのを思わせる真っ直ぐな手つかずの道。
↑前にも後ろにも↓
🛤️三木市内の旧三木鉄道は整備されて遊歩道が出来てたので、ここまでつながったらいいなぁ🎵と勝手な想像をします
村の中を抜けて厄神駅に戻ります
………
厄神駅に戻ってきましたあと二駅行かないと駐車場に戻れません(辛)
↓この堰は草谷川樋門。加古川に合流する地点にある堰。
私:「そうそう!お父さんせっかくここまで来たから、加古川大堰を見に行ってみようよ🎵」
夫「えぇで〜🎵ほな寄ってみよかぁ」
じゃ~んこれが加古川大堰です。
じゃ~んこれが加古川大堰です。
向こう岸まで大堰の長さ422.5m
じゃ~んと言うほど迫力がないのは河川の工事をしてるので水が少ないからかなぁこの写真写りかなぁ😱
堰より下流の水を止めてユンボが入ったりして工事中👷です。
堰より下流の水を止めてユンボが入ったりして工事中👷です。
私:「すごいなぁお父さん、水が全然ないけど…🤨🤔🧐水止めてあるん」
夫:「イヤイヤ😑、上流から次々流れてくんのに、水道かっ…😥下に大きなパイプが通してあるんやで😁」
皆さん、ご存知でした
まっ確かによく考えれば分かることなのですが、
上流から次々流れてくるのに、止められた水どこ行くのって感じですよね
パイプを通してるなんて…
いつも先に口走ってしまうので…
(賢くなりました)
色々看板を読んでると、用水路を示した地図が…🤔
この加古川大堰の役割は洪水の多かったこの地域を守る治水はもちろんのこと、水道用水、工業用水の供給を担っています。
そのまた昔、聖徳太子が五ケ井の水路工事をする(またロマンのある話です)
この加古川から工事をして台地に水を引いたように書いてあります。
聖徳太子が基準とした岩が、ここにあったらしく、また、明治時代まで日照りが続くとこの岩の上で雨乞いのご祈祷が行われていたらしい。
この近くに水路の始点があるらしいので探してみることに🧐。
これがなかなか見つからず、ようやく
道端の草むらを掻き分け、発見
新井(しんゆ)水路と五ケ井(ごかい)水路の表示です。
金網の下を覗くと
水路発見
水路発見
右が聖徳太子由来の五ケ井水路、
左が江戸時代に作られた新井水路のようです。
少し高くなったところでさえ、水を引いてくることは難しく、五ケ井水路域ではたわわに稲🌾が実っていたそう。
新井水路でもサイフォンが取り入れられ、ほとんど勾配のない土地で、水位が下がらないように水路の幅を徐々に狭めたりの工夫がなされ、赤矢印の台地へ水が供給されていったようです。
水って貴重なんですね。
普段何も思わず、「当たり前にあるもの」ではないですね。
先人の方たちに感謝感謝です。
「サイフォン」って素晴らしいです
今度はこれらの「水路散策」に行きたくなりました
↑先日の散策で日岡駅に行く途中の遊歩道と一緒に流れてた水路が、新井水路なのかなと思われます。
さて、今日も色々散策してもう夕暮れです。
加古川河川敷マラソンコースを帰ります………
17時前、駐車場に到着。
明るいうちに戻ってこれました。
この日も頑張りました。
この日で11月最終日曜日。
今月、走行距離を見てみることに…
…106.83kmでした
よく頑張れました
体重は何の変化もないんですけどね(どういうこっちゃ)
体重は何の変化もないんですけどね(どういうこっちゃ)