世の終わりのキリスト全能神

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『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

2018-09-12 11:12:57 | 福音解答

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』(マタイによる福音書/ 22 37-39

 ここからは、主を愛し、隣人を自分と同様に愛することについて取り上げる。これは、神性において直接表出されたものであったかというと、明らかにそうではない。これは、人の子が人性として述べたことである。「隣人を自分と同様に愛せよ。他人を愛すことは自分自身の命を大切にすることと同じである」などと言うのは人間のみであり、このような言い方をするのは人間のみである。神はこのような話し方をしない。少なくとも、神性の神にはこの種の言葉がない。なぜなら、神の人間に対する愛は、神の中にある物事や神の存在の自然な表出と顕現であり、そのため神の人間に対する愛を統制する上で、神には「隣人を自分と同様に愛せよ」といった信条は不要だからである。神が「わたしは自分を愛するのと同様に人間を愛する」などと言っているのを聞いたことがあるであろうか。愛は神の真髄と神の中にある物事や神の存在にあるからである。神の人間に対する愛と、神による人間の扱い方、そして神の姿勢は、神の性質の自然な表出であり、啓示である。神は、隣人を自身と同様に愛すために、そうしたことを意図的に特定の方法で行ったり、意図的に特定の方法や倫理規則に従ったりする必要はない。神にはこの種の真髄が既に存在するからである。このことから何が分かるであろうか。神が人性で業を行った場合、神の方法、言葉、真理はすべて人間的方法で表出される。しかし、これと同時に、人々が神の性質、神の中にある物事や神の存在、神の旨を知り、理解できるように、これらの事柄が人々に対して表出される。人間が知り、理解したことは、まさしく神の真髄と神の中にある物事や神の存在であり、それらにより神自身に固有の身分と地位が示される。つまり、受肉した人の子は神自身に固有の性質と真髄を、最大限かつ出来るだけ正確に表出する。人の子の人性が人間と天の神との意思疎通や相互交流の障害や障壁とはならなかったのみならず、その人性は実際のところ、人間にとって創造主とを繋ぐ唯一の経路であり、架け橋であった。この時点で、あなたがたは、主イエスが恵みの時代に遂行した業の性質や方法と、現在における業の段階の間に多くの類似性があると感じないだろうか。現在における業の段階でも人間の言葉が大量に使用されて神の性質が表出され、この段階では人間の日常生活における言葉と方法、そして人間の知識を大いに使って、神自身の旨が表出される。神が受肉した後、神が人性の観点から言葉を述べているか神性の観点から言葉を述べているかを問わず、神の言葉と表出の方法は、すべて人間の言葉と方法を媒介としている。すなわち、神が受肉した時は、神の全能と知恵を理解し、神の真の側面全てを知る上で、あなたにとって最高の機会である。神が受肉して成長している間に、神は人間の知識、常識、言葉、人性における表現方法の一部を理解し、学習し、把握した。受肉した神は、神が創った人間から生まれたこれらの物事を持っていた。これらの物事は、神の性質や神の神性を表出する際に、受肉した神の手段となり、神が人間の中で人間の観点から人間の言葉で業を行った際に、これらの物事により、神は業を一層適切であり、真正であり、正確なものとすることが出来た。これらの物事により、人々にとって、神の性質や神の神性が近づきやすいものとなり、一層容易に理解され、したがって神が望んでいた結果が実現した。神にとって、こうして肉にあって業を行った方が、より実践的ではないだろうか。それは神の知恵ではなかろうか。神が受肉し、神の身体が、神が望む業を遂行可能になった時に初めて、神が、地にあって神の性質や業を表出し、そして人の子として神の務めを正式に開始することができた。このことは、神と人間との間に、もはや淵が存在しないこと、神はほどなくして使いによる意思疎通を行わなくなり、肉体を持った神自身が、神が望んでいたあらゆる言葉と業を表出できることを意味するものであった。またこのことは、神が救う人々は神の近くにあり、神の経営の業が新たな領域へと入ったこと、あらゆる人間が新時代を迎えようとしていることを意味するものでもあった。